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個人事業主になって8年が経つそうで

忘れもしない、今から8年前の2015年12月24日クリスマスイブ。僕は一枚の紙を握り締め、最寄りの税務署を訪れていた。──そう、開業届を提出するために。

22歳の頃、ふと「開業でもしてみるか」と思い立ち、その日のうちに必要書類を揃え、税務署に行き、晴れて個人事業主となりました。

無事に開業届を提出し終え、税務署を後にすると、何故か外の景色のコントラストがより鮮明に見えて驚いたことを覚えています。

ひとつ悔やまれるとすれば、開業届の職業欄に100均ダイソーのボールペンで書いた"インターネットビジネス"という汚らしい字のことだけでしょうか。

当時は、バンドマンとして活動する傍ら、初めてブログアフィリエイトでまとまった収入が得られるようになり、少し浮足立っていたように思います。

あれから8年──。この8年を振り返ってみると、本当にいろいろな出会いがあり、別れがあり、たくさんの喜怒哀楽の出来事がありました。

そのすべてを書き記すには、この場所はあまりに狭く、浅い。よって、ここではただの日記を書くことにします。

出会い

"20代"という長い年月をあえて一言で表すとしたら、それは「出会い」という言葉に他なりません。

人はもちろんのこと、仕事や趣味、本の一冊に至るまで、出逢って、出遭って、出会ってきました。

PCひとつで年収1億を稼ぐ人、山奥で自給自足のような暮らしをしている人、限界集落でコミュニティを築いて生活する若者の集団、日本から海外のスラム街に移住して現地人と結婚した人、深刻な精神疾患を抱える人、末期ガン患者、寺生まれのマジシャン、財閥の御曹司、現役のプロ歌手、芸人、作曲家、アーティスト、女優、アイドル、小説家、海外で活動する企業の社長、LGBTQに属する人、全身に入れ墨のある人、東大卒業生、愛する人──。

特にこうした「人との出会い」は、僕の世界をぐっと広げてくれ、部屋で読書をしているだけでは決して得られない"大事なもの"を与えてくれました。

世間一般的とされているデフォルトの道──大学を卒業して、就職する──を歩んでいたら、まず間違いなく関わりを持たないであろう人々と出会い、会話を出来たことは、贔屓目なしに見ても「宝」と言えるでしょう。

中には、自分が被害を被ったりするケースも多々ありましたが、今となってはそのどれもが「面白い」または「貴重な体験であった」と感じることができるほどまでには、心の許容量が増えたように感じます。

もっとも、それが心が鍛えられたのか、はたまた心が麻痺したのか、ただ単に鈍感になっただけなのかは分かりませんが。

いずれにしても、20代はとにかく印象に残る出会いが多かった。多すぎた。僕は、もしかしたらその反動で、今こうして「人との関わりがほとんどない生活」を送るに至っているのかもしれません。隠居には、31は若すぎる。

思うに、僕は数年おきに活動期と沈黙期を繰り返していて、今はその時計の針が沈黙期にいるだけなのではないかと思います。

つまり、3年から5年の周期で、世界を飛び回るほどアクティブに動いて人との出会いを積極的に探しに行く「活動期」と、部屋に引き籠もって夥しい量の書物に埋もれながら人との関わりを避ける「沈黙期」を繰り返しているのではないか、ということです。

現在は、名目上"うつ病とPTSDの療養中"ということにはなっているものの、こうした歴史を振り返ってみると、HSS型HSPの特性がよく現れているなとも思うし、どうやら双極性感情障害の気もありそうだと感じるところ。

人間は結局、大海原に漂ういかだのようなもので、かろうじて浮くことは出来ても、荒れ狂う波の中では為す術なく翻弄されるだけの小さな存在なのかもしれません。

しかし、波に乗りたいがため、わざわざ遠方から湘南の海を目指すサーファーがいるように、波を楽しめる人も確かに存在し、また、誰しもがその可能性を内に秘めているということは覚えておきたいものです。

波を「今すぐ解決すべき深刻な問題」として捉えるか、それとも「広い海を行き交う単なる"たったひとつの波"」として楽しもうとするのかによって、見える景色はがらりと変わるはず。

多少水を飲んでしまったとしても慌てず冷静に判断すればすぐに溺れることはないし、足首には自分とサーフボードを繋ぐリーシュコードもあるのだから焦る必要はないんですよね、きっと。

20代は様々な波に翻弄されていたとは言え、どうにか自分の事業だけで奨学金を返し終え、数百万円の借金を返済することに成功できたのは、幸運だったように思います。

思えば、ブログアフィリエイトに始まり、グラフィックデザイナー、コンテンツ販売、クリエイター、ツアー事業展開など、いろいろな方法で収入を得てきました。

自分の生活にはそぐわないほどの収入を得ていた時期もあれば、様々な要因が重なって収入が激減した時期もあります。

そうした経験から思ったことは、収入の多少よりも、何らかの目標を立て、それに向かって日々の生活や行動を改善し、望んだ成果に近付いているという"実感"のほうが重要であるということです。

確かに「先立つものは金」という言葉の通り、何をするにもお金は必要です。ただ、年収が1,000万円以上だろうと1億円以上だろうと悩みを抱えている人はいたし、逆に収入がほとんどない生活を送りながらも自分らしく堂々と生きている人もいました。

どれだけ多くの資産を持っていたとしても、心が荒んでいたり、貧しかったりすると、人間は本当の意味で幸せになることはできないのではないかと思うのです。

「お金よりも成長の実感のほうが重要である」という気付きのヒントになったのは、海外で暮らしているとき、信頼していた人間からお金の問題によって裏切られた経験から来ているところが大きいかもしれません。

もちろん当時は怒りや悲しみを覚え、一時はその人物に復讐心を抱いたこともありました。──しかし、結局、その道は選ばなかった。

なぜなら、その程度のお金で「信頼していた人間から金の問題で裏切られた」という経験を買うことが出来たから。

ここでその人物に復讐して問題を"チャラ"にしてしまったら、このストーリーは「どこにでもある単なるつまらない復讐劇」になるだけです。これは非常にもったいない。

重要なのは、「復讐は可能であったが、しなかった」という事実であり、感情ではなく理性で考えることができたかということであり、そこに精神の成長を実感を見出すことができたか否か、なのです。

成長を第一とする資本主義社会においては、どうもお金の増減だけが成長の指標となっている節があり、精神的な成長は蔑ろにされているように感じます。

もっとも、「精神的に未熟な人間であっても、問題なく社会の歯車として働けるシステムを構築すること」こそ、資本主義の特徴とも言えるのかもしれませんが──。

未来

現在は、また新しい領域に挑戦しており、日々、学びと実践を繰り返し、目標に向かって一歩ずつ前進しているところです。

病気のせいで心身の体調を崩すことは珍しくありませんし、一日の活動限界時間は一般の人と比べても3分の2か、3分の1程度しかありません。

けれど、今はそれでいいと思っています。むしろ、人よりも活動できる時間がないからこそ、より少ない努力と行動で結果を出さざるを得ず、それがかえって成長に繋がっている気がするからです。

いずれ今の事業や活動に飽きたら、具体的にどのようなことをしていたか、どんな成果が得られたのか記事にするかもしれませんが、当分は秘密主義を貫きます。もうバレているかもしれませんが。

個人事業主8年目も、自分の身の丈にあった領域と方法で、さほど頑張らず、しかしより良く、それなりに生きていこうと思います。

  • この記事を書いた人

あめぎ

宗教2世クソ生活15年→いじめ被害3年→歌舞伎町バンドマン→2年でブログ収益50万円→自転車日本一周の途中でセブ島留学→海外起業→アメリカ大陸横断→富士山登頂→うつ病と複雑性PTSDの療養→|HSS型HSP|INFJ-T

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