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AI時代の「年功序列」は時代遅れの雇用形態となるか?

正直、AI技術の急速な進化が社会に与える影響は計り知れないものがありますよね。

最近も「AIに奪われる雇用の割合は日本の場合14%でアジア最高」といったニュースがありましたが、AIに雇用が代替されていくことは、遅かれ早かれ、間違いないのだろうと思います。

大量失業やベーシックインカムの可能性はさておき、AI技術の台頭によって雇用が脅かされる人間がいるであろうことは疑いようのない事実です。

こうしたことを考えたとき、やはり問題になってくるのは「年功序列型賃金制度」なのではないでしょうか。

日本企業の多くには未だ根強く年功序列とかいう古い体制の遺物が残されており、このせいで仕事へのインセンティブが失われている──特に若い世代において──面があります。

果たして、これからのAI時代において「年功序列」は時代遅れの雇用形態なのだろうか──。

年功序列と恥の文化

戦後の経済復興期以降、企業は「人材の確保」と「優秀な人材の離職」を防ぐため、勤続年数や年齢による年功序列型の賃金制度を導入してきました。

要するに、『能力のあるなしに関わらず上司は偉いし、先輩の言うことは絶対』という価値観が中核にあり、勤めている年数が長いほど高い評価と報酬を得ることができる仕組みになっていた、と。

しかし、それは同時に「効率化や生産性の向上が必ずしも給与アップに直結しない」ということも指しています。

AI技術が労働を代替し、単純作業が減少していく中で、従業員は新たな価値を生み出す能力を求められます。

──が、その対価として挙げられるのは、"社会貢献"だとか、"やりがい"だとか、そういった聞こえのよい美名ばかりじゃあないですか。

日本は国家としては民主主義ですが、群衆や組織、グループといった単位で見ると「全体主義」のように振る舞う性質があります。つまり、集団主義的な価値観が個人の行動や意思決定に大きな影響を与えているんですよね。

特に、群衆に逆らうことが社会的な"恥"と見なされる文化は、個人が不公正、あるいは不合理な状況下において声を上げづらくしている可能性が高い。

  1. 年功序列によって、仕事に対するインセンティブが失われる
  2. しかし、群衆の和を乱すことは"恥"であり、"罪"であるという価値観が蔓延しており、個人よりも組織を優先する人間が「一般的」とされる
  3. 結果、なんとかなってしまう

「年功序列型の賃金制度」と「日本人特有の群集における集団主義的思想」は別のベクトルの話ですが、この二つが、仕事の効率や生産性を下げていることは確かです。

ただ、少なくとも年功序列──パートナー型の雇用形態の何割かをジョブ型にすることができれば、こうした状況を幾分かは改善できると思うんですよね。

日本はただ"なんとかなっていただけ"

「年功序列ってクソだよな」「すべての企業はジョブ型雇用にすべきだよな」と言いたいわけではなく、企業はジョブ型雇用"も"積極的に取り入れていったほうがよいのではないか、ということです。

年功序列を重んじる組織においては、往々にして意思決定権を持つ層の能力が低いというケースに陥る可能性があります。能力の低い人の指示のもとに動けば、当然、結果もそれだけよろしくないものになるわけなのですが、これまでの日本はそういった状況でも"なんとかなってしまっていた"という面があります。

これを支えていたのは、やはり「日本特有の恥の文化」であり、「人口増加ステージボーナス」であり、「サービス残業などのやりがい搾取」であり、「システムの一定の有効性」であったと思うのです。

そういった問題が、ChatGPTを始めとしたAI技術の導入によって、一気に明るみに出てきた──というのが2020年以降の日本社会だと言えるのではないでしょうか。

そろそろ「雇用保護」緩和したら?

パートナー型からジョブ型への移行はいずれ通らなければならない道なのでしょうが、その障壁となっているのが「雇用保護の緩和」と「リスキリング」だと思っています。

あなたが経営者であれば、冷静に考えて、わざわざ高い人件費を払ってまで「AIに代替できること」を人に頼まないでしょう。

しかし、日本においては比較的雇用を強く守る特徴があり、企業が一方的に従業員を解雇することが難しくなっています。これは"雇用の安定性が高い"と言える一方で、市場の柔軟性を損ねている──つまり、経済的な問題を引き起こす一因になっているとも言えますよね。

ただ、これを「日本は雇用が強く保護されているから、AIに労働を代替されることはない」としてしまうのは危険です。

むしろ、今の日本の状況を鑑みると、「よし、雇用が奪われるかもしれないからAIを規制しよう!」という方向に動く可能性は低く、それよりかは「雇用の保護を緩めてAIを積極的に導入していこうか」という流れになると考えたほうが自然。

仮にジョブ型雇用が一般化し、成果主義の思想が強くなったしても、今度は「成果に繋がらないから頑張らなくていいや」といった方向でインセンティブが低くなる可能性があるので、そういった意味でも雇用の保護を緩和する方針は合理的と言えるでしょう。

とはいえ、「はい、君、解雇。明日から会社に来なくていいよ」と失業者が増えていくと、結局は「政府何やってんの」という話になるので、その対策として政府は急ピッチでリスキリングの枠組みを整える必要性が出てきます。

まとめると、「AIに労働を代替されていくことは時間の問題なので、年功序列型の賃金制度を見直し、ジョブ型雇用形態を取り入れて従業員のインセンティブを確保しつつ、同時並行で雇用の保護を緩め、リスキリングの枠組みを整えていく必要がある」ということです。

日本産AIマダァ?(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン

年功序列の見直し、ジョブ型雇用形態の採用、雇用保護の緩和、リスキリングの制度を整えるところまで行ったとしても、次はまた違う問題が出てきます。

「AI技術の進化と普及が進む中で、今の日本、海外技術への依存が高いままでいいの?」という問題です。

言わずもがな、ChatGPT、Claude、Geminiは、いずれもアメリカ企業の技術ですよね。これは要するに、海外企業によって開発されたAI技術をもとに効率化や価値の創出が進められている──つまり、これに伴う経済的利益が国外に流出しているということです。

技術依存のリスク──データ流出等を含む──の軽減しつつ、国際的な競争においても有利に立ち回っていくためには、やはり"日本産AI技術"の開発が必要不可欠だと思うんですよね。

でもなぜか日本は"そんなことより"もどうしたって大阪万博がしたいらしい。

2025年大阪・関西万博にかかる国費負担は1647億円に上る」と言われていますが、その何分の1かだけでも自国でのAI開発に回したらどうですか、マジで。

頑張って開催した結果、万博の最大の見ものが相も変わらず"月の石"と"人間洗濯機"だったら張っ倒しますからね、ガチで。

大規模言語モデルを今から作って先んじるというよりかは、それプラスアルファの──例えば、五感のいずれかなどの拡張とかならまだ可能性ありそう。ドラえもん作ろう、ドラえもん。

個人でAI活用しようぜ

少し話が逸れました。つまり、僕が言いたかったのは、年功序列ヨシッな社会でいくらAI活用して仕事効率化したとて給与アップに直結しないなら、自分で副業なりなんなり始めてそこでAI活用したほうがいいんじゃないか、ということです。

ただ"恥"を晒したくないがために、あるいは組織の和を乱さぬためにAIを活用し、仕事効率化しようとするのは、労働というよりは遊びとか趣味とかそういう範疇に収まってしまうもののような気がしてしまうんですよね。浮いた時間があればその分だけ仕事が増える、という現代バグがある限りは。

結局、多くの人は、AIを使おうとすると、「どうにかこうにか活用して、ビジネスに応用し、効率や生産性を上げなくちゃならん」という方向に頭が行きがちだし、それはそれで正しいことなのかもしれません。でも、それはきっと楽しくない。

であれば、純粋にAIと遊ぶほうがまだ健全であると僕は思うし、"自分のビジネス"に応用したほうが分かりやすくベネフィットに直結しているという感覚が得られるし、何より楽しいと思うんですよ。

実際、僕はこれまで就職せずに、ずっと自由気まま、その時々でやりたいことをやって自営業として過ごしていますが、AIのおかげで生産性バチバチに上がっています。例えるなら、これまで2時間かかっていた作業が10分に短縮されたぐらい、バチバチ。

生産性(笑)

そもそも人間がビジネスにおける効率や生産性に寄与できる範疇なんてたかが知れているわけです。

冷静に考えて、50以上の言語を理解できて、司法試験と医師国家試験が合格水準にあり、絵が超絶上手い人ってまずいないじゃないですか。すでにChatGPTはその領域にいるんですよね。

こんなことに比べたら人間の生産性なんて「生産性(笑)」であって、生産性があるかどうかは、少なくとも人間同士の競争においての生産性という文脈に落ち着いていくと思うんです。あくまで『人間なのにすごいね』って話なんですよ。

ともすると、やっぱり「年功序列って古くね」って話になるし、「あれ、仕事ってなんだっけ」って話になるし、「そもそも何が"普通"で、なんで"恥"に思うんだったっけ」という話になっていく。

もっと言うと、「"私"ってなんだっけ」「"人生"って幸福を目指すものなんだっけ」「"幸福"ってなんだっけ」という問題に、遅かれ早かれ、ぶち当たるわけです。

こうした変化は──ある人々にとってはディストピア的な世界ではあるかもしれないものの──人類にとって大きな転換期であることは間違いありません。

余談

僕は、「創造性は"孤独"と"退屈"から生まれる。狂気もまた然り」と思っている過激派()なので、むしろ、人類の労働の大半をAIが持っていく世界を心待ちにしていますし、ベーシックインカム等によって退屈を持て余した人間がどう行動し、どういった結果のもと世界がどうディストピア化していくかという想像に胸を高鳴らせてしまうタイプの人間です。

そこに「自分があちら側にいるか、それともこちら側にいるか」といった観点が抜け落ちていることは認めますが、そもそも"あちら"や"こちら"といった概念がない世界がAI時代だとも思っており、これからの日本は、今の監視社会的側面を残しつつも、ゆるやかな管理社会になっていくのではないかという予感がしています。

  • この記事を書いた人

あめぎ

宗教2世クソ生活15年→いじめ被害3年→歌舞伎町バンドマン→2年でブログ収益50万円→自転車日本一周の途中でセブ島留学→海外起業→アメリカ大陸横断→富士山登頂→うつ病と複雑性PTSDの療養→

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