【異世界に行った話】子どもの頃の不思議な体験とパラレルワールド

忘れるはずがないようなこと。しかし、だれもなにひとつとして覚えていないようなこと。

案外、記憶というものは、不確かで、不安定なものなのかもしれません。

人間の脳は「やがて忘れるように作られている」といわれてますが、本当に起きたことではない──いわゆる「偽物の記憶」をも作ってしまうことは果たしてあり得るのでしょうか?

たとえ、その記憶が「勘違いや思いちがいの域を超えていた」としても、それは偽物の記憶ではないといい切れるのでしょうか。

今回はまだ僕が子どもの頃に体験した『異世界』にまつわる不思議な話をさせていただきます。実話です。

不思議なお茶会とパラレルワールド

僕の頭の中では「100%実話」という括りでいまもなお保存され続けている記憶です。いまとなっては、それが夢か現か定かではないのですが。

僕がまだ幼稚園か小学一年生だった頃、母親といっしょに近所のお茶会に参加したことがあったんですよね。

そこには、僕と母、そして母の友人が2人、あわせて4人が丸型のテーブルを取り囲むように座っていました。

お茶会は母の友人宅で開かれてたのですが、家の中はとても広く、洋風な家具が多かった印象があります。

壁際には2mほどの大きな古時計が置かれており、天井からはプロペラのような形をしたライトがぶら下がっていました。

初めのうちは足のつかないような高さの椅子にちょこんと座り、いただいた紅茶を飲んだり、部屋の中を見渡したり、おとなしく過ごしていました。

──が、子どもは僕ひとり。当然、大人たちの会話についていけるはずもなく、次第にその場にいることが苦痛に感じられてきたんですよね。

お茶会がはじまって1~2時間が経った頃だったでしょうか。

ついぞ退屈に耐えられなくなった僕は、先にひとりで帰ることにしたんです。

僕の家はそこから比較的近い場所にあったので、母親も承諾してくれました。

子どもがひとり、異世界への夜道を歩く

時刻は午後6時を回っており、外はすでに暗くなってました。子どもの僕にとって、夜は恐怖の対象そのものです。

いつも母親といっしょに帰っていた道もひとりでは思った以上に心細く、足早に家までの帰り道を辿っていきました。

当時の僕は、夜にひとりでトイレすら行けないような怖がり──。

犬が吠える声に驚いて心臓が飛び出しそうになったり、電柱に貼ってある張り紙の顔にびっくりしたり。いま思えば、かなり挙動不審だったと思います。

二人目の母と異世界体験記

ビクビクしながらも無事に帰宅することができ、玄関でホッとしていると廊下の奥から「おかえり」と女性の声がしました。

『あれ、おかしい。うちには母親しか女性陣はいないはずだ』

靴を乱雑に脱ぎ捨て居間に直行すると、そこには見慣れた母親の姿がありました。

頭の整理が追いつかず、どういうことか、いったいなにが起きたのかさっぱり理解できない。

母が僕と同じ道を帰ったのだとするとどこかで僕を追い越さなければならないし、ちがう道をたどったのだとしても僕より早く家に着くことはありえない。

『じゃあ、目の前にいる母親は"いったいだれ"なのだ?』

しかも、たしかに姿は僕の母親なのですが、妙な違和感があるんですよね。

いや、母親だけに限らず父親、兄弟の性格や話し方、家の細かい家具の配置など、それらすべてが微妙に、ほんのわずか、いつもとちがう。

どこがちがうと具体的にいえないものの、確実にどこかちがう。どことなく家全体の空気がピリッと張り詰めているというか、僕がここにいるべきではないような違和感というか。

帰ってくるときには暗かった空も、なぜかそのときには明るくなっていました。

『ついさっきまでお茶を飲んでて……。あれ? お茶会はどうしたの? え、なんで?』

泣きながら必死にこの不思議な現象を説明するも、当然、理解されるはずもなく、夢でも見てたんじゃないのと母親に諭されておしまい。

時空を超えたのか、タイムスリップでもしたのか?

月日が経つごとにその記憶は次第に薄れていき、世界にはこういうこともあるんだなと子どもながらに感じていたようにも思います。

しかし、そのあとも何度か似たようなことがあり、その度に母親に泣きついて一生懸命説明を繰り返した覚えがありますね。

いまは当然そんな不思議な出来事もなく、我が家は我が家であることに変わりはないですし、世界に対する違和感もまったくありません。

いつの間にかこの出来事については忘れてしまっていたんですけど、中学生のときにもこの出来事をふと思い出したことがあったんですよね。

『僕って小さい頃によくこんなことで喚いてたよね』と、家族みんなに確認してみましたがだれも覚えていませんでした。不思議ですね。

違和感を覚えたあの日から、もうひとりいたはずの兄の存在も消えてました。あとあと母親から聞いた話だと僕には亡くなった兄がいるそうです。

異世界の入り口

もし「異世界への入り口」なるものがあったのだとすると、きっとここだろうという場所がひとつだけ思い当たります。

実家の近所には、庭があらゆる植物で埋め尽くされているお宅があり、車庫が1階部分、家が2階部分という造りになっています。

コンクリート造りの車庫は道路に面した場所にあるのですが、ここがどうも奇妙なんですよね。

もとより奥まった場所にあるためかなり薄暗く、なぜか奥まった場所にひとつぽつんと古びたロッキングチェアがあるんです。

これが子どもの頃はずっと不気味に思えてならなくて、この日もロッキングチェアを見てから世界がぐにゃり、とどこか変わってしまったような気がするんですよね。

いまとなっては

いまとなっては、この体験が狐に化かされたということなのか、はたまた「物心」がついた瞬間だったのか、それとも本当になにか不思議な出来事に巻き込まれたのか、ただの夢だったのか確かめる術はありません。

案外、子どもの頃の記憶なんて、映画やドラマ、人から聞いた話、夢、想像、そういったシチュエーションがごちゃ混ぜに記憶されているようなもの。

こういう不思議なことがあってもおかしくはないように感じますね。

この出来事以外にも小さい頃の記憶でおかしいことはたくさんあるんですけど、こういった記憶をひとつずつ掘り起こしていると、

「いったいなにが本当でなにが本当じゃないのか? 自分は何者で、この世界のどこからどこまでが本物なのか?」

──と無限ループに入り込んで頭がおかしくなりそうなのでやめておきます。

「もし、この体験が本当にタイムスリップや異次元の話だとすると、今僕がこうして生きている世界は本物なのか? それとも偽物?」
「本当にそうだとしたら何度、異次元を行き来して、何度、ちがう母親に会ってきたのか?」
「もしあのとき、帰り道を引き返してお茶会に戻っていたら?」

考えるとキリがありません。幼少期には記憶の混濁がよく見られるそうなので、これもその中のひとつなのかもしれませんね。

なにはともあれ、この出来事はこれからも「実際に起きた不思議な現象」として僕の記憶に残り続けることになるでしょう。

もしかすると僕がいる現実は異世界で、本当の世界はまだあちらで流れ続けているのかもしれません。すると、僕は異世界転生者という括りになるのでしょうか。この世界は平行世界なのか?


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