あなたには「子供の頃の不思議な体験の記憶」がありますか?
「幽霊を見た」「不思議な体験をした」と言っても、目の錯覚だったり、脳の誤作動だったりがほとんどです。
ただ、稀に「勘違い」では割り切れない不思議な話があるのも事実なのです。
今回は、僕が子供の頃に体験した動物に関する不思議な話をしていきます。怖くない、不思議な話です。
特にオチらしいオチもなく、あまり褒められた過去ではないのですが、「世の中、こんなこともあるのかも」という程度に聞いてください。すべて実話です。
グロテスクな表現や、虫や動物に関する話題が出てきますので、苦手な方は閲覧注意でお願いします。
虫にまつわる不思議な話「虫の神様」
子供って時折、残酷な行動に走ること、ありますよね。
小学一年生の頃、僕は「昆虫博士」というあだ名で呼ばれていました。
家には、世界中の虫や動物が描かれた本がたくさんあり、ゲームやアニメよりも優先して「図鑑」を眺めていました。
大抵の虫なら触れたし、大好きでした。とにかく、虫という生き物にとても興味があったんです。実際、小学3年生の頃は「いきものがかり」でした。
虫の命を奪うということ
「いきものがかり」の主な仕事は、教室で飼っている魚の世話と、校庭にある小さな池の管理です。
池には、ヤゴやゲンゴロウ、オタマジャクシ、ドジョウ──と、本当にたくさんの生き物が住んでいました。
毎日のように、放課後には校庭にある小さな池で、空が暗くなるまでいろいろな生き物を観察していました。
その日も、いつものように池で生き物の観察をしてたいたのですが、そのとき、突然「指に激痛が走った」んです。
「痛ッ」と反射的に手を振り払うと、"黒い何か"が指から落ちて、ピタッと空中で静止しました。よく見てみると、直径1cmほどの黒いクモでした。
指からはぷくっと血がにじみ出ていて、じんわりとした鈍い痛みが手全体に広がっていきました。
クモはまだ見えない糸で僕の指にぶら下がっているらしく、ただただ空中でジタバタと動いてるだけ──。
痛みで怒りを覚えた僕は、宙にあるであろう糸をたどってクモを捕まえ、地面に放り投げ、足で思いっきり踏みつけました。
我に返り足をゆっくりと退けると、ぐちゃぐちゃになったクモから黄色のような緑のような血が出ていて、なんとなく気持ちが悪かったのを覚えています。
この出来事をきっかけに、僕は「虫の命を奪うこと」に何の抵抗もなくなってしまったのです。
残酷な少年とコオロギ
本当に褒められることではないのですが、小学校の頃の僕は、あまりに残酷な子供でした。
バッタの足を引っこ抜いてみたり、ダンゴムシを両手で引っ張って真っ二つにしてみたり、カマキリの首を指でもぎ取ってみたり──。
アリの巣の前に座り込み、指でアリをひねり潰し、アリの死骸で黒い山を作ったこともあります。
友人たちと一緒にコオロギを捕まえ、道路に投げては「誰が一番コオロギを車に轢かせられるか」という酷い遊びもやっていました。
いくら虫に興味があったとはいえ、いつの間にか、大好きだった虫たちの命を粗末に扱うようになってしまっていたのです。
虫の神様との出会い
僕の地元は、森や川、山がとても身近にあり、自然豊かな土地です。たくさんの生き物や虫たちが、自然と共存しています。
もちろん、中には危険な生き物もいて、特にスズメバチ、マムシ、ヤマカガシの3種は「命を落とす危険がある」ので、要注意生物でした。
ヤマカガシとは?
ヤマカガシ(Rhabdophis tigrinus)は、有鱗目ナミヘビ科ヤマカガシ属に分類されるヘビ。有毒。特定動物。
不死身のプラナリア
小学3年生の夏休み──。僕は、仲のいい友人2人と「プラナリア探し」をしていました。自由研究のテーマが「プラナリア」の研究だったのです。
プラナリアは、「きれいな水の川にしか生息せず、体を切断しても、それぞれが別の個体として再生する」という、滅多にお目にかかることのできない"超レア生物"です。
プラナリアとは?
プラナリアの再生能力はいちじるしく、ナミウズムシの場合は前後に3つに切れば、頭部からは腹部以降が、尾部側からは頭部が、中央の断片からは前部の切り口から頭部、後部の切り口から尾部が再生される。
僕たちは、プラナリアを捕まえるため、誰も入ったことのない「手付かずの川」を探すことにしました。
自転車で近所を探し回ってようやく見つけた絶好のポイントは、民家のすぐ脇にある「フェンスで囲まれた浅い川」でした。
緑色のフェンスを3人で乗り越え、コケの生い茂った岩崖を2mほど下ると、横幅50cm、深さ30cmほどの細い川がすーっとまっすぐ通っていました。
周りは大きな岩と木々に囲まれ、水は透き通っていて、とても美しい──。まさに理想的な川です。
「ここに、プラナリアがいるに違いない」
そう感じた僕らは、川の石をめくっては戻し、めくっては戻しを繰り返し、夢中で「プラナリア探し」を始めました。
神虫(しんちゅう)は実在した
プラナリア探しを始めたはいいものの、頭のあたりまで木々が垂れ下がっていて、とにかくクモの巣によく引っかかったのです。
嫌気がさした僕は、足元に落ちていた木の棒を拾い、あたりのクモの巣を一掃しました。
ちょうどそのとき、
「ギチギチチッ!」
という不思議な鳴き声とともに、"何か"が僕の肩に乗っかってきたのです。
自分の肩に目をやると、そこには「見たこともない虫」が止まっていました。
体長20〜30cmほどの──自分の顔と同じぐらいの大きさはあるんじゃないか、というほど巨大な昆虫です。
一瞬だったものの、足は確かに8本、薄く緑がかった透明の白い羽を広げていて、体はほんのりと碧く、緑色に輝いていました。例えるなら、「コオロギとタマムシを合わせて、大きさを3倍ほどにした」というようなイメージです。
これまでに図鑑で見てきたどの虫たちとも似つかないような、どことなく神聖さがある虫──。
「うわッ!」
僕が叫ぶと同時に、その虫は羽を広げ「ギチギチチッ!」と音を立てながら、森の奥に飛んで消えてしまいました。
「どうしたの! プラナリアいた?!」
「そんなことより見た!? 今の!」
僕は、今の体験を共有しようと必死で説明するものの、友人は2人とも「そんなものは見てないし、ギチギチなんて鳴き声も音も聞いていない」と言うのです。
しかし、そのとき僕の肩には、確かに「"得体の知れない何か"がここにいた」という重さの感覚が残っていました。幻覚などとは到底思えません。
当時、「昆虫博士2」というゲームにハマっていた僕は、
「あれは"虫の神様"に違いない! 実在したんだ!」
──と、子供ながらにめちゃくちゃ興奮したのを覚えています。
神虫(しんちゅう)は、奈良国立博物館に所蔵されている絵巻「辟邪絵」に描かれている、災厄・疫病を退散させるとされる虫のようなもの。
甲虫のような胴体に8本の肢を持ち、災厄をもたらす鬼のようなものをつかんでいる。
動物にまつわる不思議な話 「白蛇と緑の空」
これは、「虫の神様」と遭遇した日と同じ日にあった出来事です。
結局、3時間ほど探してもプラナリアは発見できず、僕らは採集ポイントを「近くの田んぼ」に変更することにしました。
川から自転車で15分ほど離れた場所──大きな坂を下り、神社を通り過ぎると、一面に田んぼが広がっている場所があります。
今にして考えてみると、田んぼにプラナリアがいるわけもないので、いつの間にか「とにかく珍しい生き物を捕まえよう」という流れになっていたのだと思います。
最初はゲンゴロウやヤゴを眺めて過ごしていたものの、だんだん飽きてきて、そろそろ採集場所を移動しようかなどと考えていると──。
「おい、ヘビだぞ!」
そう叫んだ友人の近くに小走りで駆け寄ると、田んぼ近くの用水路の下に1mほどに「ヘビ」がウネウネしているのが見えました。
「ヤマカガシだ!」
僕は一瞬で分かりました。黄色の顔に、黒とオレンジのシマシマ模様──間違いなく「ヤマカガシ」です。
僕らは半ばパニック状態になりつつ、近くにあった石を「ヘビ」めがけて投げ始めました。
「ガツッ──」
ようやく石がヒットしたと思ったら、僕の投げた石が「ヘビ」に見事に命中していました。
平たい石を投げたせいか、石の角がちょうどヘビに直撃しており、首の辺りからぱっくりと胴体が切れていました。
文字通り、首と体が皮一枚でつながっている状態です。ヘビとの距離は離れているものの、"く"の字に折れ曲がったヘビの顔がこちたを睨んでいるようでとても不気味でした。
ヘビの血がだんだんと透明な水を飲み込み、辺りの水が赤く染まっていく光景が、とても気味悪く思えたのを今でも覚えています。
「おいッ! お前ら、何してる!」
一部始終を見ていたのか、自転車を押して歩いているおじさんに突然、怒鳴られました。
「やべッ! 逃げろッ!」
反射的にその場から逃げるように走り出した僕たちは、プラナリア探しを諦め、いつも遊んでいる川に行くことにしました。
大量発生したヘビ
田んぼからさらに自転車で10分ほど移動した民家の端っこの下に「いつも遊んでいる川」はあります。
一箇所だけコンクリート製の壁にハシゴがついていて、3mほど下ると大きな川に到着します。
ここはプラナリア探しをしていた川よりも水がきれいではなく、プラナリアが生息している気配もありませんでした。
川に降り立ち、石で水切りをしながら「次は何をして遊ぼうか」と考えていた矢先──。
「ヘビだ!」
再び、ヘビが現れました。今度は、アオダイショウでした。
「ヤマカガシ」を目撃したときと同様に、僕らはヘビめがけて石を投げ始めました。とにかく「ヘビ=危険=身を守らなくては」という思考回路だったのです。
草陰に隠れてしまったアオダイショウを追いかけていると、もう片方の友人が「おい、またヘビだぞ!」と叫び始めました。声の方向に目をやると、川の上をすーっと移動する小さなヘビがいました。
これでもう3匹目です。いや、ヤマカガシを合わせると4匹目です。いくら田舎とはいえ、一日でこんなに大量のヘビを目撃することはまずありません。
「おいおい、どんだけヘビいるんだよ。勘弁してくれ」
一人は草むらに隠れているアオダイショウめがけて石を投げ、もう一人は川の上にいるヘビめがけて石を投げている。
さっきの光景が、思わず頭に浮かぶ。ヘビの血で赤く染まった水、ぱっくりと裂けた首、じっとこちらを睨むヘビの生首──。
「ちょっと俺、あっちのほう探してくる」
少し気分が悪くなってきた僕は、適当な言い訳をしてその場から少し離れた場所で休むことにしました。
白蛇と穴
友人たちから少し離れて木の棒で草むらをガサガサと探っていると、またもや「ヘビ」がひょっこりと顔を出してきました。
「ッ!」
あわてて友人たちを呼ぼうとしたものの、僕はそのヘビから目を離すことができず、声を上げることもできませんでした。
「白蛇」でした。全身が真っ白で、目は赤く、身体中に薄い黄色の斑点がありました。
今までに見たことのないヘビだったので、感動するよりも前に「コイツは珍しい。どうしても捕まえてやろう」と思ったのです。
試しに白蛇を木の棒でつついてみるも、暴れもせず、威嚇もせず、ただスルスルと移動するだけです。
「捕まえられるかもしれないぞ」
さすがに素手で触るのは怖かったので、木の棒をふたつに折り、箸のように挟んでヘビを捕獲することにしました。
クンッとヘビの首を挟もうとしたとき、急に白蛇は移動スピードを上げ、スルスルと壁をよじ登り、逃げてしまったのです。
白蛇が逃げた先は、壁面にある80cmほどの「丸い穴」でした。穴は地面から高さ1m50cmほどのところにありました。おそらく、用水路の出口か何かだったのでしょう。
幸い、壁面が少し斜めになっていたおかげで、助走をつけてジャンプすることで「穴」に入ることができました。
緑色の空
穴の中は薄暗く、入り口からは奥がどうなっているかを確認することはできないほど、外の明かりが入ってこない造りになっていました。白蛇の姿も見えません。
しかし、白蛇が穴に入り込んだのは間違いなく、穴の中を進んでいけば見つかるだろうと思ったのです。
頭が天井に当たらないように身をかがめて慎重に先へと進んでいきます。穴を進むにつれ、だんだんと暗闇に目が慣れ、次第に穴の中の様子が鮮明に見えるようになっていきました。
穴を3mほど進んでいくと、針金でフェンスがしてあり、その先には進めないようになっていました。
「行き止まりか。仕方ない、戻ろう」
白蛇も見つからず、穴の先にも進めず、僕は諦めて戻ることにしました。
穴の入り口まで戻り、壁を降りようとしたとき、僕はふと「異変」に気が付きます。
空が緑色でした。
透き通ったような緑色──まるでスプライトのペットボトルのような、透明な緑色でした。
「は?」
生まれてこの方、一度も見たことのない空の色を目の当たりにし、僕は一切の身動きが取れなくなってしまいました。金縛りです。
「そんなところで何してんの?」
穴の入り口で呆然とする僕を見て心配したのか、友人が声をかけてくれました。
「──あ、いや、さっき白いヘビ見てさ」
「うそ!? 白いヘビとか見たことないな! 超レアじゃん!」
いつの間にか僕の体は自由に動けるようになっていて、空の色も普通の色に戻っていました。
結局、友人たちはヘビを見失ってしまったようで、その後は、空が暗くなるまで水切りをして遊びました。
家に帰ってからも、僕は、今日見かけた「虫の神様」と「白蛇」、そして「緑色の空」のことがどうにも頭から離れませんでした。
「きっと、虫やヘビたちの命を粗末に扱う僕に怒ってるんだろうな」
なんだか不思議な一日だったなあ、と眠りについたその日の夢は「巨大な白蛇に喰われる夢」でした。
その日をきっかけに、僕は虫たちやヘビを傷付けることは一度もなくなりました。
「空が緑になった日から」
空が緑になった日から、うちの周りには「たくさんの生き物」が近付いてくるようになりました。
ナナフシが家の木に止まっていたり、庭にたくさんのアブラムシとてんとう虫が集まってきたり、石をひっくり返せばたくさんのダンゴムシがいたり──。
虹色に輝くタマムシが家に入ってきたり、ノコギリクワガタやオオクワガタがベランダに飛んできたり、セミの幼虫が自宅のカーテンで羽化したり、という珍しいこともありました。
とにかく、たくさんの虫や生き物を目にすることが急に多くなったのです。
ところで、セミが羽化する瞬間って、見たことありますか?
本当にめちゃくちゃキレイなんです。少しずつ時間をかけてサナギを突き破り、羽が乾ききるまで、その場から一切動かない──。
サナギから出たばかりの頃のセミは、青白い体で、とても神々しい姿をしているのです。
セミの羽化を見たとき、ふと白蛇と虫の神様のことを思い出して、鳥肌が立ちました。決して怖い意味ではなく、畏怖の念から。
生き物は大切にしよう
僕は、生き物をとても大切に扱うようになりました。
ダンゴムシ、ミミズ、カマキリ、オタマジャクシ、アマガエル、ミドリガメ、カタツムリ、ナナフシ、アリ、てんとう虫、クワガタムシを飼育していたこともあります。さすがに、ゴキブリとハチは飼いませんでしたが。
特に、ジグモの巣作りは感動します。土の上にポンとジグモを置いておくと、一日で「土でできた寝袋」のような自分の巣を作ってしまうのです。一体どうやって作っているのか──。
卵から孵った幼虫を大事に育てて、成虫になったカブトムシを近くの森に放したときは、感動して泣きました。生き物は大切にしよう。
動物にまつわる不思議な話 「3本足のカエルの神様」
小学3年の夏休みが終わってからのある日の出来事──。その日は、朝から小雨が降ってました。僕は、向かいにある家のアサガオを眺めていました。
雨が降るとカタツムリの動きが活発になり、カタツムリが歩いた軌跡がキラキラと輝くのです。僕は、その光景が好きでした。
「そろそろ家に戻ろうか」というタイミングで、僕は玄関の前に佇む「一匹のカエル」を見つけました。
玄関の前には約1m四方の小さな庭があるのですが、庭に置いてある茶褐色の石の上に「体調20cmほどのヒキガエルのような大きいカエル」が乗っていました。
触れようとすると、ぴょんっと逃げるものの、どうにも飛び方がおかしい──。
そのカエルをよく見てみると、後ろの足が片方なかったのです。怪我をしたというより、もともと足が存在してなかったよう感じでした。3本足のカエルです。
かわいそうだと思った僕は、母に頼み、うちで飼えないかと相談しました。
──が、結果はダメ。大きいし、うちで飼っている猫が食べてしまうかもしれないし、自然に返したほうがいい、と。
母と一緒に傘を指して見守っている間も、カエルはその場を動こうとはしませんでした。
小雨が降る中、僕はひょいっとカエルを持ち上げ、近くの森に返すことにしました(めちゃくちゃ重かった)。
森に着き、僕の手からぴょんと降りたカエルは、やはりその場を動こうとせず、僕がその場を離れるまでじっとこっちを見ていました。
いつの間にやら、カエルの頭にはもう一匹小さなアマガエルが乗っていて、「もしかしたらカエルの神様だったのかな?」と子供ながらに思ったものです。
動物にまつわる不思議な話 「死を看取る猫」
小学校5年か、6年か──持久走の個人練習で家の周りを走っていた、肌寒い季節の夕暮れ時の出来事です。
──付いてくる。一匹の猫が付いてくる。僕が走る後ろを、ひょこひょこと追いかけてくる薄茶色の子猫が一匹いました。
お腹が減っているのか、遊んで欲しいのか、はたまた迷子になったのか。何を求めているのか分からないものの、振り切ろうとしても、その猫はどこまでも僕に着いてきました。
結局、家の前に着いてもその猫は僕の後ろを着いてきていて、近寄っても逃げないばかりか、じっと僕の顔を見ているのです。首輪も付けていない。
うちにはもう一匹猫がいて、もしかしたら飼えるかもしれない、と思って家族に相談してみました。
その間も、猫は家の玄関の前でちょこんと座って待っていて、まるで「うちに来ることが目的だった」ような行動を取っていました。
生き物嫌いな父が珍しくノリ気だったのが不思議だったのですが、兎にも角にも、無事にその猫はうちで飼えることになりました。
その猫は、僕がもし女の子に生まれていたら付けられていたであろう名前「いちご」と命名され、家族の一員となりました。
「いちご」が来てから、より一層、うちの周りには生き物が増えました。
近所の猫はもちろん、迷い犬や近所の猫が捕まえてきたであろう瀕死状態の鳥、玄関先に無残な姿で転がるヘビ、軒下にできた大きいハチの巣、家の廊下にカナヘビの首がごろんと転がっていることもありました。
瀕死の状態で発見された生き物は、うちで保護したりもしました。結局、弱り切って、みんな死んじゃうのですが。
うちで死んでしまった生き物たちは、みんな家の庭に埋めています。鳥も、カラスも、ハチも、カナヘビも、ヘビも、カブトムシも──。
もしかしたら、いちごは「生き物の死を看取る──猫の神様、はたまた動物の──神様の使い」だったのかな、なんて思ったり。
「いちご」との出会いから10年以上が経ち、数年前に「いちご」は肝臓不全で他界してしまったのですが、うちに来て幸せだったのなら、僕はうれしい。
まとめ
子供の頃に見ていた景色はもう
きっと、今も家の周りにはたくさんの生き物が生息してるはずなのですが、子供の頃に比べて、虫や動物たちを目にすることが極端に減りました。
不思議な生き物を見ることもなくなったし、珍しい虫も見ません。カナヘビはおろか、カタツムリだって、ダンゴムシだって見ない。
子供の頃に見ていた景色は、今ではもうすっかり「見えない世界」になってしまいました。
少し寂しい気持ちはあるものの、今の時代の子供たちのところに「見えない世界」が移ったのかな、と思えばうれしくもあります。
もしもあなたが「神様」を見かけたら
「白蛇」はアオダイショウのアルビノだったのかもしれないし、「神虫」は突然変異で大きく成長した虫だったかもしれない。
「緑色の空」だって、暗いところから急に明るいところに出てきたせいで見えた「幻覚」かもしれない。
「3本足のカエル」だって家の庭にたまたま迷い込んだだけかもしれないし、迷い猫の「いちご」だって偶然、僕に付いてきただけかもしれない──。
「かもしれない」で考えたらキリがないですが、もしかすると、子供というのは「神様」に近い存在なのかもしれません。
もし、あなたが虫や動物、山、川、森の神様を見かけたら、怯えたり、叫んだり、攻撃したりせず、静かに見守ってあげてください。
今回はオチらしいオチもなく、あまり自慢できる過去ではないので恐縮なのですが、ひとまず「生き物は大切にしましょう」ということで記事のまとめとさせていただきます。