誰しも、一度ぐらいは『天才になりたい…』と思ったこと、あるんじゃないでしょうか?
僕は一度どころか、数百回、いや、数千回は思ったことあります。
小学生の頃の僕は、誰よりも背が小さく、運動ができず、頭が悪かった。
周りの人たちはそれらのことを「個性だよ」って言ってくれたけど、当時の僕は子どもなりに自分の限界をなんとなく感じてたんですよね。
『そっか、僕は凡人なんだな。天才にはなれないんだな』って。
それから中学生になり成長期に入ると、身長も伸びてきて、ちょっとは運動ができるようになっていきました。
それでも頭は悪かった。人望もなかった。友達もいなかった。抱えていた劣等感は、消えることはなかった。
それからです。僕の人生がおかしくなっていったのは——。
いじめ。そして、出会い——
中学の3年間、僕はずっといじめられてました。精神的苦痛は想像を超えるものでした
恥ずかしいという気持ちもあり、親や先生には言えずにいました。もしかしたら、先生たちは気づいていたのかもしれないけれど。
そこで僕が取った行動は、ひとつ。反撃するでもなく、不登校になるでもなく、「現実からの逃避」でした。
つまり、物語です。
そう、僕は物語の世界に逃げ込んだ。ラノベ、アニメ、ネット——。
そんな中、僕はついにこれからの人生をひっくり返すような作品に出会ってしまう。
それが『涼宮ハルヒの憂鬱』だった。
日常的非日常のトビラ
平凡でどこまでも普通の男子高校生の「キョン」が語り手として物語は進んでいくんですけど、彼の視点からその映し出される世界の中心には、いつもひとりの女の子がいました。
女子高校生ヒロイン、「涼宮ハルヒ」。彼女がリーダーとなって結成された「SOS団」での活動を中心に、さまざまな登場人物と"日常的非日常"が描かれてます。
この作品が僕の心に深く、深く突き刺さってしまった。それはもう、両手で思いっきり引っ張っても簡単には抜けないぐらい、深く。
もともと都市伝説やオカルトといった類への興味はあったんですが、この出会いによってさらに拍車がかかりました。
天才になりたい男子高校生は、
月日が経ち、天才になりたい凡人の僕は、「キョン」と同じ男子高校生になっていました。
僕の心の根底には、「天才=人と違う能力を持っていること」という方程式がありました。
でも、運動も、勉学も、トップになれない。どこまでも中途半端で、どこまでも嘘つきで、かっこ悪い。
劣等感は日に日に成長を続け、次第に大きく腫れ上がっていく。それでいて天才への憧れはひどく、自分の才能の限界を認めたくない気持ちもたしかにあった。
理想と現実のギャップに耐えかねた僕は、やがて「能力開発」という分野にのめり込んでいってしまうのです。
能力開発に目覚めてしまう
それからというのもの、僕はネットの力を最大限に駆使し、「能力開発」や「右脳開発」に関する情報を片っ端から集めていきました。
瞑想、オレンジカード訓練法、自律訓練法、映像記憶法、速読法、ルービックキューブ、楽器演奏……。
才能開花や天才になる方法、いま思えばどう考えても胡散臭い情報にすら、手を出しては実行してました。
凡人は天才になれない
僕はそれから半年、あらゆる方法を駆使して脳を訓練し続けた。その結果——、
「凡人は天才にはなれないんだ」ということを痛いほど実感しただけだった。
たった半年で何が変わるんだよ、という感じですが、当時の僕は漠然とした強い焦りも感じてたんです。一刻も早く目に見える結果が欲しかった。1秒でも早く天才になりたかった。
『やっぱり僕は凡人だったんだ。天才にはなれない。でも人と一緒は嫌だ。人と違う能力がほしい。——そうか』
オカルトなら僕を救ってくれるかもしれない
脳の訓練に夢中になっていた半年間、天才になることはできなかったものの、たしかに「変化」はあったんです。
でも、それは到底「生活の役に立つ」というものでなく、「夢をいつもより覚えている」とか、「いつもと違う感じがする」とか、そういった程度のもの。
どうあがいても凡人は天才になることなどできない、その事実に打ちのめされていた僕は、ふとひとつの気づきを得ます。
『もしかして、オカルトなら——。オカルトなら、僕の心を救ってくれるかもしれない』
幽霊を見てみたい
『天才にはなれない。でも、人と一緒なのは耐えられない。人と違う体験をしたい。非日常を味わいたい』
そんな一心で、いつしか僕の掲げる「目的」は歪みに歪んでいました。
『幽霊、見てみたいな』
そう、僕は天才になることをすっぱりと諦め、幽霊を見ることを人生の目的にしたのです。
オカルトの研究がはじまる
幽霊を見ることにした僕は、それから必死で「幽霊を見る方法」を研究しはじめました。
主な活動場所は2ちゃんねる(今の5ちゃんねる)のオカルト板。ここでさまざまな情報収集をしたり、自分の実験内容を公開したりしていました。
幽霊を見るためにやったこと
「能力開発・右脳開発」は、幽霊を見るためにも必要だったようで、この点はとてもラッキーだな、と思いました。何がラッキーなのかはわかりませんが。
僕はそれからというもの、非日常を求めるあまり、非科学的なトレーニングに頼り、非現実の世界へとズブズブとハマっていってしまったんです。
ついに一年後の夏休みに幽霊と出会ってしまう
幽霊が見たい、その一心で訓練を続けてから1年が経ちました。
もうこの頃には「人と違うことがしたい」という目的は抜け落ち、ただただ「幽霊が見たい」という思いで毎日を生きてた気がします。
そんな高校2年生の夏休み、ついに僕は見てしまった。
——そう、幽霊を。
ひとりかくれんぼの最中のことだった
詳しい体験談は、ひとりかくれんぼで身長5mの赤い女を召喚してしまった件で書いていますが、結果だけを書くと、
「家の玄関に、身長5mの真っ赤な大女が立っていた」
ですね。はい、おめでとう。無事に幽霊を見ることができました。目的達成です、うんうん。
——で終わってればよかったんですけど・・・
オカルトにハマった代償は大きかった
その後も現実離れした現象は続き、心身にも悪い影響が目立ちはじめてました。いや、もう手遅れかもしれないとも思った。
幻聴や幻覚に襲われたり、線路に吸い込まれるような感覚に度々襲われたり、味覚・聴覚・視覚の情報がごちゃごちゃになったり、テンションが急に上がったと思ったら急降下したり。
その頃には夢を自由自在にコントロールできるようにもなってましたが、そのせいで夢と現実がごちゃ混ぜになったりもしてましたね。
それでも僕は、まだ「オカルトの世界」に囚われてました。
夢日記は書き続け、毎日のように夢を操り、恐ろしいものを見たにもかかわらず、なお、もっと幽霊を見たいと願っていた。どうしようもないクズだった。
生前整理をはじめる
今でこそ言えるんですが、本気で『死ぬかもしれない』と思ってました。たぶん、自分は長く生きられないな、と。
それから僕は「生前整理」をはじめました。いつ、この世界からいなくなってしまってもいいように。
部屋にあるものを次々に捨て、使っていないものは片っ端から処分し、必要最低限のものだけ手元に置くようにしたんです。
それでもまだオカルト脳は拭えず
「死ぬかもしれない」と思っていたのは事実ですが、僕の目的は「異世界に行くこと」も含まれてました。
具体的に言うと、「夢を経由して時空を飛び越える」です。そうですね、厨二病ですね。でも、当時の僕は本気だったんです。
何度も何度も、同じ時代の同じ夢をイメージし、夢で見て、その夢の中の自分の精神と身体を乗っ取る。
これが2ちゃんねるで見つけた「異世界へ行く方法のひとつ」でした。
異世界へ行こう
実際に僕は、小学校のグラウンドで数人でサッカーをしている、という夢を頻繁に見てました。同じ時の、同じ夢を。
「夢を経由して別世界へ移動」という話を本気で信じていたんです。いや、信じざるを得なかった。
現実はひどい有様だし、『もしかしたら夢の世界が本当の世界で、こっちは偽物かもしれない』、そんな考えも信じはじめてたんですから。
異世界へ行く僕は必死で勉強し、生前整理を行った
『もし仮に本当に異世界へ行けたとして、僕は"別の世界から来た"ということを証明しなければならないときが来るかもしれない。よし、いまのうちに勉強しておこう』
そう本気で思った僕は、現実の世界の勉強を少しずつはじめるようになりました。歴史や数学、現代文、古典……。
『異世界に行ったら、その知識を持っているのは自分だけかもしれない。それに、何の知識も持たずに異世界へ行ってしまったら、僕はすぐに死んでしまうかもしれない』
みるみるうちに部屋の持ち物は減っていき、それと同時に現実世界の知識は増えていき、明晰夢や金縛り、幽体離脱の回数は、週に3〜5回を常にマークするようになってました。
オカルトが引き起こした人生の変化
それからも、いつ僕が世界からいなくなってしまってもいいように、はたまた、もっとたくさんの非日常を経験できるように、幽霊が見れるように——。
僕は日々勉強に励み、瞑想をし、楽器演奏に打ち込み、能力開発に勤しみ、たくさんの本や知識を貪欲に吸収していきました。
そんなある日、ふと「気づいてしまった」んです。
『——あれ?人生、楽しくねーか?』
それは、これまで世界を呪って生きてきた僕にとって、衝撃的かつ今後の人生を左右する、本質的な"気づき"でした。
幽霊を見るため、異世界に行くため、非日常をもっと経験するため。
そういった目的のためにやってきたこと、学んできたことが、すべて、人生を好転させるために必要なことだったんです。
オカルトをやめた日
『オカルトで培ってきた知識や経験を、どうにか人生をよくするために活用してみよう』
それから、僕の人生は大きな転換期を迎えました。
まず、オカルトから身を引きました。身を引いたと言うよりかは、自らの経験を元に、自分なりに分析していったんです。
心身に悪影響を及ぼすものは除外、よい変化をもたらしそうなものだけ残す、といった取捨選択を行いました。
仮説を立て、実際に行動して、結果を受けて、分析、それからまた仮説を立てて——という風に、
「オカルトの持つ"いい部分だけ"を人生に取り入れていった」んです。
きっと、もう何言ってるかわからないと思いますが、安心してください。僕にだってわかりません。
オカルト人生幸福論
そこからの人生は、それはもう絵に描いたような偶然と奇跡の連続でした。
『プロのミュージシャンとして活動させてもらったり、デザイナーとして企業に起用してもらったり、ブログでお金が稼げるようになったり』
『自転車で日本を旅したり、無料でフィリピンに英語留学をさせていただいたり、現地の人とノリと勢いで事業を立ち上げたり』
『ハワイでオープンカー乗り回したり、キャンピングカーでアメリカ大陸を横断したり、タイムズスクエアで新年を迎えたり』
これ、ぜんぶ夢じゃないんですよね。
そりゃあ、この10年間、いいことばかりではなかったです。苦しいこともあったし、悲しいこともたくさんありました。
それでも、僕はこの世界を生きることにしたんです。だって、この世界しかないんだもん。僕は、「キョン」じゃないから。
ここで15時間おしっこを我慢して臨んだ、タイムズスクエア前の年越し動画を見ていただきましょう pic.twitter.com/M0JEPGn2Xe
— あめぎ (@ameyohure) 2019年1月1日
あとがき
未だに週3ペースで金縛りにあって、無意識に体外離脱しちゃったりします。そのときは99%の確率で、尻にウォシュレットを当てられているような感覚がします。
夢も多いときで日に5〜7つ見ることがありますし、小学校のグラウンドでサッカーをする夢は、いまでもたまに見ます。
幻聴や幻覚はないですが、これらは「オカルトがもたらした副作用」だと、僕は思ってますね。
まあ現在はまったくと言っていいほど悪影響はないので、それだけはせめてもの救いですが。
僕は心霊現象否定派の人間です
ここまでの話から、ちょっと勘違いされてしまいそうですが、
僕は心霊現象否定派の人間であり、「オカルト・超常現象・都市伝説の類には、必ず科学的根拠がある」と考えています。
しかし、僕がこの10年間でやってきたことは、そのほとんどが『オカルト』に起因するものです。
これまで培ってきた知識や経験を、あくまで「脳科学的・心理学的に分析・解析」して、どうにか人生にいい影響を与えられないだろうか、と思って毎日を過ごしてます。ええ、意識の高いヘンタイですね。
このブログはいわば、それらの情報、つまり「オカルト人生幸福論」のアウトプットの場みたいなものです。
僕の研究が少しでもお役に立てれば、これまでの非日常的体験も少しは報われるというものでしょう。
なんか、別に天才になれなくても、毎日幸せに生きられたらそれでいいんじゃないかな、って思います。
以上、『天才になりたい凡人が「能力開発」を勉強してオカルトに夢中になった結果、なぜか人生が幸福になったよ』というお話でした。
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留学生「こんな話知ってる?ネットで見つけたんだけど…」
ワイ「?」
〜5分後〜
留学生「––そう、それでね…」
ワイ「(どっかで聞いたことある話だな)」
〜さらに5分後〜
留学生「––ってことがあったんだって…」
ワイ「(それワイが書いたオカルト体験談記事や)」— あめぎ (@ameyohure) 2018年4月23日