AI社会と人間の主体性、管理される未来への洞察【シビュラシステム】

AIの進化が日々加速する中、僕たちの社会はどのように変わっていくのだろうか──。

管理社会という言葉が現実味を帯びる今、人間の主体性はどのような形で存在し続けるのだろうか──。

今回は、AI社会における人間の在り方について、哲学的な視点も交えながら考えていきたいと思います。

一部「劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE」のネタバレを含む箇所もあるため、まだ作品を未視聴の方は閲覧注意です。

AI社会の到来と人間の役割について

シビュラシステムが示唆する未来

アニメ『サイコパス』に登場するシビュラシステム──人々の犯罪係数を測定し、社会の安定を維持するシステム──は、AI社会の一つの可能性を描いています。

現実社会でも、AIによる監視や管理システムの導入が進んでおり、『サイコパス』の世界観が徐々に現実味を帯びてきている気がします。

こうしたAI社会の到来は、サルトルが唱えた「実存主義(端的に言えば「生きる道を自分で切り開く」ことを求める思想)」の考え方に新たな解釈をもたらすかもしれません。

サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と述べましたが、AI社会では逆に、自由の重荷からの解放が起こるのではないでしょうか。

意思決定の変容

AI社会では、人間の意思決定の多くをAIが代行する可能性があります。キャリア選択や投資判断など、重要な決定をAIに委ねる人々が今後、増えるかもしれない──。

これは、エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で指摘した、現代人の自由への恐れとも通じるものがあります。

フロムは、人々が自由の重荷から逃れるために権威や集団に依存する傾向を指摘しました。しかし、AI社会では、AIがその依存先となる可能性があるのです。

実際、現代でもChatGPTなどのAIツールへの過度な依存により、人々の意思決定プロセスに重大なリスクが及ぶ危険性も十分に考えられます。

AI活用で批判的思考力が落ちる?AIツールへの過度な依存がもたらす問題点とは

主体性の新たな形とは?

外部への委託と自己認識

歴史を振り返ると、人間は常に自己の一部を外部に委託してきた──と言えます。

古代では宗教や神話、近代では哲学や科学、そして現代では消費行動を通じて、自己の感情や欲望をコントロールしてきたわけですね。AI社会では、この「委託」がさらに進むことになるでしょう。

しかし、人間にとって重要なのは「自分が選択している」という感覚です。主体性の行方がどこであるかは、さほど重要ではない。大切なのは、自分で選んだという感覚があるかどうか、なのです。

ジル・ドゥルーズは、現代社会を「管理社会」と呼び、規律や監視よりも自発的な管理が重要になると指摘しました。

AI社会でも同様に、自発的にAIの判断を受け入れる形で主体性が発現するかもしれません。いや、もうすでになっているのかもしれない──。

消費社会における"錯覚"との類似性

現代の消費社会では、消費者は自由に選択していると感じながらも、実際には産業側が提供する選択肢の中から選んでいるに過ぎません。

以下、デザインされた「幸せ」と「楽しい」という概念からの一部引用です。

現代社会では、人間に期待されていた「主体的に世界をまとめ上げる力」が薄れ、その代わり産業やテクノロジーが「まとめ上げる」役割を果たすことが多くなっている。

これは、マルクス主義的な観点から見れば、一種の「疎外状態(人間が本来持っている自己の本質や労働の成果から引き離され、疎外感や自己喪失感を感じる状態)」とも言えます。

同様の構造は、AI社会でも生まれる可能性があります。人々は、AIが提示する選択肢の中から「自由に」選んでいると感じることで、主体性を保っているつもりになるのかもしれません。

常守「──シビュラが絶対じゃない
人とシステムは共生関係でなければならない
そうでなければ私たちは生きる価値を失う
その形こそ法なのよ」

砺波「こんな世界で誰がそんなものを求める
人はシビュラのもとでささやかな幸福を求めるだけだ
正しさなど求めてはいない」

劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE

管理された幸福の実相とは

ディストピア文学が示唆するもの

ジョージ・オーウェルの『1984年』やオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』、Netflix映画の『アグリーズ』、アニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』──。

こうしたディストピア作品では、管理された社会の中で、多くの人々が「幸福」を享受している様子が描かれています。

この描写は、外部によってデザインされた幸福が、必ずしも否定的なものではないことを示唆しているとも言えます。

実際、僕たちの社会でも、ある程度の管理や規制によって安定と幸福が得られている側面があります。

完全な自由よりも、ある程度の制限の中で選択できる自由の方が、人間にとって心地よい場合もあるのではないでしょうか。

──大勢の悪意や罪悪感を委ねられ かつ シビュラと和解できる存在は 人とは考えにくい

常守 朱(つねもり あかね) / 劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE

映画『アグリーズ』考察とネタバレ感想

AIによる格差是正の可能性

AI社会には、格差是正の可能性も秘められています。

トマ・ピケティが指摘するように、現代社会では資本の集中により格差が拡大する傾向にあるのは確か。しかし、AIによる公平な資源配分が実現すれば、こうした問題が解決される可能性もあります。

──なぜ シビュラが生まれた?
世界が大混乱に陥ったからだ
では なぜそうなった?原因は 広がりすぎた貧富の格差だ
そして それは 絶対的な力でしか是正できない(中略)

──お前たちが平和の恩恵を受ける陰で 起きている事実だ
人が 人を支配し続けるかぎり 必ず誰かが不当に殺される

人を支配するのは 全てを平等に裁定できる AIでなければならない
そこに人は 干渉してはならないのだ

砺波告善(となみ つぐまさ) / 劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE

ただし、これには当然、倫理的な問題も伴います。AIに社会の管理を任せることの是非については、今後も議論が必要でしょう。

ニック・ボストロムが指摘するように、超知能AIの登場は人類にとって「存在論的リスク(existential risk)*」となる可能性もありますしね。

*存在論的リスク──地球起源の知的生命体を絶滅させるか、その長期的な発展の可能性を永久的かつ劇的に縮小させるリスクを指す。

AGIが変える未来。9つの主要な側面における希望と絶望のシナリオ

未来社会における人間性の再定義

AI社会で人間が主体性を保ちながら生きていくためには、AIの能力を補完的に活用しつつ、人間固有の価値を見出していく必要があります。

人間固有の価値とはつまり、創造性や感情の機微を理解する能力──。これらは、AIには模倣が難しい、人間特有の特質です。

AI社会でこそ、人間の創造性や感情の価値が再認識される可能性がある──というのは、一つの希望と言えるのかもしれません。

また、最近僕は、こうしたことを考える中で「人間が創造性を取り戻すためには、あえて退屈な時間を確保する必要がある」という説を推しています。

僕の推し活に興味がある方は、以下の記事もぜひ読んでみてください。

退屈を創造性に昇華する方法とは?脳科学と哲学が示す人間の可能性

おわりに

AI社会の到来は、間違いなく人間の主体性に大きな影響を与えます。しかし、それは必ずしも人間性の喪失を意味するものではありません。

むしろ、AIとの関係性を通じて、「人間とは何か」を改めて問い直す機会になるのではないでしょうか。

歴史を振り返れば、人類は常に新しい技術や思想と向き合いながら、自己を再定義してきました。AIによってもたらされる社会もまた、そうしたプロセスの一つなのかもしれません。

大切なのは、技術の進歩に流されるのではなく、人間として何を大切にし、どのような社会を目指すのかを常に考え続けること。

AI社会における人間の在り方に、簡単な答えはありません。しかし、この問いについて考え、議論を重ねていくことそのものが、より良い未来社会の実現に繋がるはずです。

だからこそ、僕たちは、問い続けなければならない。人間とは何か、幸福とは何か、罪とは何か、正義とは何か、法とは何か──。

答えが簡単に出ない問いを、考え続けなければならない。きっとそれが生きるということなのだと、僕は思います。

人が人であるためには 議論し続けることが一番 大切なのだと 今回の事件で痛感しました
この議論を止めることが 未来の正しい正義の 在り方ではないと 私は思います
人には法が必要なんです

常守 朱(つねもり あかね) / 劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE