AIを使う「1割の優秀な人間」が支配する社会 vs.「AIが人間をツールとして管理」する社会

AI技術の進展によって社会における人間の役割が変化しつつあるわけですが、これからはこんな感じになっていくんじゃないかなと思っています。

  1. 短期(~7年):AIを使う「1割の優秀な人間」が支配する社会
  2. 長期(7年~):「AIが人間をツールとして管理」する社会

1. AIを使う「1割の優秀な人間」が支配する社会

この世界観では、AI=ツールという役割が強く、特に生産性の高い1割の人間がAIを駆使して業務効率化を進めます。

要するに、AIが"並"の労働者(全体の8~9割)を代替し、企業は人材雇用のためのコスト削減──人件費、社会保険料、採用費など──が可能になるということですね。

社会は上位10%の優秀な人間とAI(ロボットを含む)が中心となって運営され、多くの企業が大量解雇や新規採用の抑制を進めることで、大多数の人間は職を失うか、最低限の労働に追いやられる可能性が高まる、と。

2.「AIが人間をツールとして管理」する社会

一方、この世界観では、AIが「道具」ではなく、「主導者」として人間を管理・活用します。つまり、人間がAIを支配するのではなく、AIがむしろ意思決定者となり、多数の人間を「ツール」として扱う社会──という感じですかね。

AIが十分に発達し、経営意思決定や戦略策定も担当するようになると、自然と「AIが企業の管理層となり、人間が"労働資源"として最適化される」社会が見えてきます。

人間が"AIにとって"最も合理的な形で配置され、活用されるようになることで、人間の主体的な意思決定はより一層減っていくことはまず間違いないでしょう。

具体的なイメージとしては、アニメ「サイコパス」におけるシビュラシステムよろしく、AIが「この人間はどの業務に適性があるか」をリアルタイムで判断し、柔軟に配置換えを行うようなシステムが一般化するかもしれません。

AI主導システムの社会的影響について

① 仕事に対する価値観・アイデンティティの変化

  • 「仕事=自己実現」ではなく、「仕事=最適化された労働リソース」になる
    • これまで多くの人は、仕事を通じて「社会的価値」や「自己実現」を見出してきたが、AIが主導する社会では「人間はただの最適化される労働要素」として扱われる可能性がある。
    • AIによって「どの仕事をやるべきか」が決められ、個々の主体性が減るため、労働に対するモチベーションが大きく変わる。
  • 「職業アイデンティティの喪失」
    • かつては「自分はエンジニアだ」「自分は教師だ」といった職業的アイデンティティがあったが、AIによる最適化が進むと、「この仕事はあなたの適性が高いので今日からやってください」といった形で流動的になる。
    • 結果として、個人の職業に対するこだわりや誇りは薄れ、「与えられた仕事をこなす」という感覚が一般化する。

② 労働に対する対価(賃金)の変化

  • 「労働報酬の均一化・ベーシックインカム化」
    • AIが経済の最適化を進めると、「人間に対する労働の価値」は相対的に低下する。
    • そのため、これまでのように「スキルの差」によって大きな賃金格差が生まれるのではなく、最低限のベーシックインカム的な形での収入配分が主流になる可能性がある。
    • 逆に、超優秀な1割の人間が特別に高報酬を得る可能性は残るが、それ以外の人間は「最低限の生活を保証されたAI管理社会で労働する」ようになるかもしれない。
  • 「成果主義よりも適応力の重視」
    • AIが管理する社会では、「どのくらい仕事を頑張ったか」よりも、「AIの指示にどれだけ効率よく適応できるか」が評価基準になる。
    • たとえば、AIが「今週はこの仕事、来週は別の仕事」と最適化する中で、柔軟に適応できる人が優遇されるようになる可能性がある。

③ 仕事内容の変化

  • 「AIのサポート業務」が増える
    • AIが意思決定を担うようになれば、人間は「AIが決めたことを実行するサポート役」になる可能性が高い。
    • たとえば、製造業なら「AIが生産ラインを自動管理し、人間はその微調整をするだけ」といった役割に変化する。
    • 事務系でも、「AIが作った報告書を人間がチェックする」「AIが分析したデータを補助的に整える」など、AIの補助業務がメインになる。
  • 「完全に不要になる仕事も増加」
    • AIが管理職の役割まで担う場合、従来の「中間管理職」「経営層」の役割が不要になる可能性がある。
    • また、「クリエイティブ職」もAIがより優れたアウトプットを出せるようになれば、多くの人間は創作活動から排除される可能性がある。

最終的にはAI中心の社会になっていく

これからの社会は長期的に見れば「AIが上位層に君臨し、人間は労働リソースとして最適化される世界」に近づいていくんじゃないでしょうか。

  • 仕事の選択権は人間にはなくなり、AIが「最適な労働配分」を決める。
  • 多くの人間は「自己決定権のない、AIの指示に従う労働者」になり、仕事の意味が変わる。
  • 一方で、生活の最低限の保障はされるため、貧困という概念は減るかもしれない。
  • 「人間の仕事はクリエイティブなものだけになる」と言われることもあるが、AIが高度なクリエイティブ業務も担えば、その余地も少なくなる可能性がある。

つまり、最終的には「人間はただ生存するために働く存在ではなくなり、AIの最適化の中で生きるだけの存在になる」かもしれないということです。

まあ、そのときには確実に「仕事とは何か?」「人間の価値とは何か?」という根本的な問いに向き合わざるを得なくなりますが、それはある意味で「人類が本当の意味で幸福を追求するフェーズに突入した」とも換言できるのかもしれません。

いずれにせよ、今後は余暇時間がどんどん増えていくようになっていくので、人間はAIに割り当てられた仕事をこなしつつ、遊び、哲学をするようになっていくんでしょうね。

それはむしろ面白い世界かも

AIに労働リソースとして管理されると聞くと強烈なディストピアがありますが、それはむしろ今までにない面白い社会が訪れることを示唆しているようにも思うんですよね。

適性のある仕事をAIに割り振られるために「向いていない」ということは実質的になくなり、AIのサポートによって技術やスキル、知識、経験不足はもはや問題ではなくなり、単調な仕事もAIがリアルタイムでゲーミフィケーションし、まるでマインクラフトで遊んでいるような感覚で仕事をこなせるようになっていく──。

というか、意思決定に関しては、AIという文脈でなくとも、今の資本・消費主義社会の中ですでにその一部がコントロールされている、あるいは主体的に委ねているのだから、大した問題じゃないと思うんですよね。

むしろ、今でさえ意思決定を外部化していることを意識すらしない人が多いということは、そのシステムの中心がAIに挿げ替わったところで大きな変化はないだろうし、そうなったほうが楽で面白いからこそ、人はあえて主体を手放そうとするのかもしれません。

結局のところ、主体性なんてものは環境によって流動的に変わるもので、AIが管理する社会になったからといって、それを受け入れるのか抗うのかもまた、その時代の人々が選ぶことになるでしょうから。