AGIの到来と人材価値の再定義
AGI(汎用人工知能)が社会に浸透することで、知的労働の価値は大きく変容する。特に、これまで「スキル」「専門知識」「処理能力」によって重宝されていた人材が、AIによって代替・補完されることで、そのアドバンテージを失う。結果として、「仕事ができるが性格が悪い人材」は、もはや「仕事ができる」という一点のみでは存在価値を維持できなくなる。
これに対し、「そこまで優秀ではなかったが、人間関係を円滑にする能力がある」「チームの雰囲気を良くする」「他者と協力できる」人材は、AI時代において価値を増していくと考えられる。AGIの普及によって「人間であること」の価値が問われるようになり、それが「良い奴であること」にシフトする可能性は十分にある。
「性格の悪さ」とは何か?
ここでいう「嫌な奴」とは、単なる「能力の低い人」ではなく、社会や組織の中でネガティブな影響を及ぼすような人を指すとする。たとえば──。
- 独善的で協調性がない
- 他者の成功を妬み、足を引っ張る
- 不必要に攻撃的・マウンティング気質
- 他人の気持ちを考えず、冷徹にふるまう
- 自分の非を認めず、改善の意思がない
こうした性格が職場で許容されていたのは、それらの人間が「成果を出していたから」であり、組織としては「性格の悪さ」を妥協してでも利益を得ていた背景がある。しかし、AIが成果を出せる時代には、こうした人物は不要になり、むしろチームの士気を下げる「害悪な存在」として扱われる可能性が高まる。
AIによる「良い奴」への最適化
AGIが進化すれば、個々の業務におけるミスやスキル不足をAIが補うため、「仕事ができないこと」が致命的な問題にならなくなる。その結果、「嫌な奴だが仕事ができる」というタイプより、「仕事の能力はそこまで高くないが、協調性があり、人と良好な関係を築ける」人が求められるようになる。
加えて、AIの発展により「コミュニケーションの補助」が可能になることで、従来「コミュ力が低い」とされていた人々も、AIの助けを借りて円滑に会話できるようになる。たとえば──。
- AIが仲介して適切な表現を提案する
- 感情分析によってトーンを補正する
- 相手の好みや関心をデータから解析し、スムーズな会話を演出する
このように、技術によって「対人スキルの低さ」はある程度カバーできるため、「内向的・寡黙」といった性格はそれほどのハンデにはならない。一方で、「根本的に性格が悪く、他者との協力を拒む」タイプはAIでも補助できず、結果的に淘汰される。
性格の悪さは治療すべきか?
ここで倫理的な問題として、「性格の悪さを治療するべきか?」という問いが浮かび上がる。性格は生まれつきのものか、環境要因によるものかという議論もあるが、仮にAIを活用した「性格改善プログラム」が実現すれば、以下のような選択肢が生まれる。
- ① 自覚があり、改善したい人が自発的に利用する
- ② 強制的に矯正プログラムが適用される
- ③ 性格の悪さも個性として尊重される
①であれば問題は少ないが、②のように強制的な「性格矯正」が行われる場合、倫理的な問題が生じる。人間の多様性を奪うことになり、「良い奴であること」が義務付けられる社会は、ある種の全体主義的な管理社会に繋がるリスクもある。
また、③のように「嫌な奴も社会には必要」とする考え方もある。たとえば、イノベーションや改革を推進するには、時に強引で冷徹な決断を下す人物が必要になる。歴史上の偉大なリーダーの中には、性格的には「嫌な奴」だったが、大きな成果を残した人物も多い。そのため、「全員が良い奴である社会」もまた、停滞を招く可能性がある。
「嫌な奴」の居場所はなくなるのか?
結論として、AGIの時代には「嫌な奴」の生存戦略がより厳しくなるのは間違いない。ただし、それは完全に淘汰されるというより、「性格の悪さを補うだけの価値を提供できるかどうか」によって生き残りが決まると考えられる。
- 知的労働の価値が低下することで、性格の悪さが目立つようになる
- チームワークを重視する社会では「良い奴」が求められる
- AIがコミュニケーションの壁を取り払うことで「良い奴」の価値が上昇
- 性格の悪さを矯正する技術が進歩した場合、治療の是非が問われる
- 全ての「嫌な奴」が不要になるわけではなく、戦略的に必要とされる場面もある
最終的に、AGI時代では「性格の悪い人」がこれまで以上に不利な立場に置かれることは確かだが、全く不要になるわけではない。しかし、性格の悪さが単なる欠点でしかない場合、淘汰されるリスクは高い。AIによって「スキル」や「知識」がコモディティ化された世界では、「人間としての魅力」が新たな価値基準となる可能性が高いのだ。