AI技術の進化──特に、AGIの実現は、これまで人間が行ってきた多くの労働を代替する可能性を秘めています。労働から解放され、ベーシックインカム(UBI)によって生活が保障される未来は、一見するとユートピアのように思えます。しかし、本当にそうでしょうか?
本記事では、AGIがもたらす「労働なき世界」の光と影を、"効率化"の美名に隠されたリスクに焦点を当てて考察していきます。楽観的な未来像に潜む、人間の存在意義に関わる深刻な問題に目を向けてみましょう。
AGIとは何か?その可能性と限界
AGIの定義とその現状
AGI(Artificial General Intelligence)とは、人間のように幅広いタスクを学習し、実行できる汎用的な人工知能のことです。特定のタスクに特化した従来のAIとは異なり、AGIは人間と同等かそれ以上の知的能力を持つとされています。
現在、AGIの完全な実現には至っていませんが、その開発は急速に進展しています。早ければ、その一端を2025年中に見られるかもしれません。
労働なき世界はユートピアか、ディストピアか
労働からの解放とUBI
AGIが多くの仕事を代替するようになれば、人類は労働から解放されるかもしれません。これは、一見すると素晴らしい未来のように思えます。労働に縛られず、自分の好きなことに時間を使えるようになるのですから。
さらに、UBI(Universal Basic Income)が導入されれば、すべての人に最低限の生活が保障されます。これによって、人々は経済的な不安から解放され、誰もが自由に生きられる社会が実現するかもしれません。
目的喪失とアイデンティティの危機
しかし、それは本当にユートピアなのでしょうか? 労働は、単に生計を立てる手段ではありません。多くの人にとって、仕事は生きがいであり、社会との繋がりを感じるための重要な手段です。仕事を通じて、人々は自分の能力を発揮し、社会に貢献し、自己実現を果たします。
AGIによって仕事が奪われれば、多くの人々が目的を失い、アイデンティティの危機に陥る可能性があります。「何のために生きるのか?」という根源的な問いに、多くの人々が直面することになるでしょう。
退屈という最大の敵
人間は、本質的に「意味」を求める生き物です。何かに没頭し、目標に向かって努力し、達成感を得ることに喜びを感じます。労働なき世界では、この「意味」を見出すことが難しくなるかもしれません。
たしかに、最低限の生活は保障されるかもしれません。しかし、ただコンテンツを消費し、日々を無為に過ごすだけでは、精神的な充足感は得られません。このような生活が本当に人々が望む未来なのでしょうか。
退屈は、やがて倦怠感や絶望感を生み出し、社会的な不安の温床となる可能性があります。
資本の集中と格差の拡大|新たな支配構造の出現
AGIが生み出す富の偏在
AGIの開発と運用には、莫大な資金と技術力が必要です。そのため、AGIの恩恵は、それを所有する一部の企業や資本家に集中する可能性が高い。
AGIによって生み出された富が、社会全体に還元されず、特定の個人や集団に偏在する──。これは、新たな経済格差を生み出し、社会の分断を招く可能性があります。
UBIは救世主となるか?
一部では、UBIが格差を是正する手段として期待されています。しかし、UBIが「万能薬」となるかどうかは疑問です。UBIの財源をどう確保するのか、給付額をいくらに設定するのか、といった問題は容易に解決できるものではありません。
また、歴史を振り返ってみても、再分配政策が富の集中を完全に解消した例はほとんどありません。たとえば、累進課税制度は格差是正を目的に導入されましたが、富裕層は税制の抜け穴を利用したり、タックスヘイブン(租税回避地)を利用したりして、課税を回避してきました。
UBIが導入されたとしても、同様の事態が起こり、資本家や企業による支配を覆すほどの力を持つとは、正直、考えにくいです。
監視・管理社会の到来
AGIは、社会を効率的に管理するための強力なツールにもなり得ます。一部の企業や国家がAGIを独占し、それを用いて人々を監視・管理する社会が到来するかもしれません。
表向きは自由で豊かな社会が実現しているように見えても、その裏ではAGIによって巧妙にコントロールされている、というディストピア的な未来も十分に考えられます。
これは、アニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』で描かれたようなカオスな未来とも言えるでしょう。
国家の役割の変化と人間の価値の低下|AIに従属する未来
国家と国民の関係性の変容
これまで国家は、国民の労働力や税収に依存してきました。そのため、国民の権利を守り、福祉を充実させることは、国家の繁栄にとって不可欠でした。
しかし、AGIが労働力を代替し、税収を生み出すようになれば、国家と国民の関係性は大きく変わる可能性があります。国家にとって、国民は「保護すべき対象」から「管理すべき対象」へと変化するかもしれません。
人間の価値の相対化
AGIが人間の能力を凌駕するようになれば、人類の価値は相対的に低下するでしょう。人間よりも効率的に働き、正確に判断し、創造的な成果を生み出すAGIの前では、人類の存在意義は揺らぎます。
近年、一部の企業では、採用選考にAIを導入する動きが見られます。これは、人間の判断よりもAIの判断の方が優れていると考える企業が増えていることを示唆しています。また、中国では「社会信用システム」と呼ばれる、AIを用いた国民の評価制度が導入され、社会問題となっています。
このような事例は、国家や企業にとって、人間は「コスト」と見なされ、その権利や尊厳は軽視されるようになる可能性を示しているのかもしれません。
マトリックス的世界への突入か
映画『マトリックス』では、人間はAIによって仮想現実の中に閉じ込められ、現実世界ではAIのエネルギー源として利用されています。これは極端な例ですが、AGIがもたらす未来の一つの可能性を示唆しています。
物理的な苦痛や経済的な不安が取り除かれたとしても、それが人間の「幸福」を意味するとは限りません。自由意志や自己決定権が奪われた社会では、人間は精神的な充足感を得ることができず、真の「自由」を享受することはできないでしょう。
結論
AGIがもたらす「労働なき世界」は、ユートピアとディストピアの両面を併せ持っています。その未来は、人々がどのような選択をするかにかかっています。AGIの可能性を最大限に活かしつつ、そのリスクを最小限に抑えるためには、社会全体で議論を深め、新たな価値観を共有し、制度を整えていく必要があります。
特に重要なのは、技術の進歩に振り回されるのではなく、人間が主体的に未来を設計していくことです。「何のために生きるのか?」という問いに向き合い、人間らしい豊かさを追求し続けることが、AI時代を生きる人々に課せられた使命と言えるでしょう。
そして、その過程で、真に人間らしい社会を築くことができるかどうか──。それが、人々自身に問われているのです。
あとがき
「AIが人間の労働を代替し、やがてUBIが導入されるだろう」といった言説に対して「楽観的だ」「そんなユートピアは実現しない」と評する人々に対して僕が感じている違和感は、おそらく、それはむしろ悲観的で、ディストピアな未来を示唆するものだからだろう。
"労働からの解放"は多くの人にとっての希望なのかもしれないが、実際は、労働をすることにより、目的を得ていたり、退屈と向き合わなくて済んだり、アイデンティティの確立に役立っていたりする。
仮にAIが労働を代替し、人生が完全な自由なものになり、毎日遊んで暮らしてよくなったら──。その先に待ち受けるものは「退屈」である。
FIREした人がそれほど幸せに見えないのも、宝くじに当選した人が数年後に破産するのも、定年を迎えた人が急速に衰えていくのも、退屈による副作用によるところが大きいのではないか。
だから僕は、「AIによって労働は代替されるかもしれないが、人類は仕事をやめられない、あるいはお金を払ってでも仕事をするようになる」と思っている。
目的を得るため、社会や他者に貢献しているという実感を得るため、退屈を凌ぐため、アイデンティティを守るため──。理由はなんでもよいが、なんとなく、そんな未来を想像する。
人が思い描く、非の打ち所のないユートピアが存在できるとすれば、それは人間の頭の中ぐらいだろうと、そう思う。