AI時代のコンテンツ生成と消費の未来。意思決定プロセスそのものがシステムに内包される可能性

AI時代のコンテンツ生成と消費の未来のことを考えたとき、これからの人間は「キュレーター」としての役割へシフトしていくだろう──と僕は思っていました。しかし、最近は「意思決定プロセスそのものがシステムに内包される可能性のほうが高いんじゃね?」と感じ始めています。

【日記】AIを日常的によく使うほど「これからの人間の役割はキュレーション的な意思決定が中心になる」ということが腑に落ちてる気がする(2025/02/08)

現在、急速に発展するAI技術によって、従来の「クリエイターがイチから創作する役割」から「膨大な生成物の中から優れた作品を選び抜く役割」へシフトしつつあります。

生成されるコンテンツが膨大になれば、どの作品を楽しむか、あるいはどの組み合わせが最適かという判断がより重要なテーマとなるのは当然の話。逆に言うと、AIの性能が良くなれば良くなるほど、人間の仕事はそういった方面に傾いていく──と考えることもできるかもしれません。

しかし、たとえば、パーソナライズされたAIが個々の嗜好を理解し、最適なコンテンツを自動で選別・提示するシステムが登場すれば、どうでしょう?

僕たち自身が行う「選択」という意思決定プロセスそのものが、システムに内包される可能性が出てきますよね。

結果として、人はより効率的かつシームレスにエンターテインメントを享受できる一方で、選択の自由や創造的な偶然性が薄れてしまう懸念もある、と。

AIがどれだけ高品質な画像やら音楽やらを生成できたとしても、そこから特に優れた生成物を選ぶのは人間です。

僕は過去に某なんとかソニックの写真選定の仕事をやったことがあるので分かるんですが、無数の画像データから優れた作品をピックアップするのってめちゃくちゃ大変だし、できれば避けて通りたい面倒な作業なんですよね。

将来的に、AIが長期記憶を備え、より高度なパーソナライズドAIへと進化するのは必然なので、もちろん、個々の趣味嗜好もアルゴリズムによって最適に管理されるようになるでしょう。

数十秒で、自分好みの音楽、アニメ、映画、小説がどさっと一週間分ぐらい出てきたら、もう誰かが作ったコンテンツを消費する必要ってそんなに高くねーと思うんですわな。世界でたった一人、それも自分だけのために作られたコンテンツの破壊力は想像以上にヤバい気がする。

要するに、です。AIが瞬時に新たなコンテンツを生み出す環境では、従来のように既存の作品を消費するだけでなく、その場で自分好みにカスタマイズされた新規コンテンツを楽しむという体験が主流になるかもしれない──ってことなんですよ。

そうした環境では、「新しさ」や「即時性」が重視され、常に変化するコンテンツの波に乗ることで、無限に広がるエンターテインメントの中から個人に合った体験が提供されるようになるはず。

この変化はある意味、人間が時間と労力をかけて創り上げた作品に宿る「偶然のひらめき」や「独自性」が機械的に生成されたパターンに埋もれてしまうリスクがあるということであり、コンテンツの価値、質の評価、共感の基準が再定義されるかもしれないということなのです。

なんなら、モンハンよろしく協力プレイありきのオンゲーであっても、もはや人間ではなく、人間のようなAIでいいのかもしれません。

少なくとも個人におけるコンテンツ消費という文脈でならば、対戦相手や協力者がAIであっても、そこに擬似的であれなんであれ、人間同士のコミュニケーションや共感を"感じさせる体験"があれば、それは単なるコンテンツ消費を超えた重要な要素となり得るわけで。

やっぱりあれかな、これからはより人間と人間との繋がりの価値が高まってくるから、公園とか、カフェなんかで友達と集まって、ゲーム機つき合わせて一狩り行くようになるのかも。

──でも結局外に出るのが面倒で、VR空間内で遊ぶことになるだろうし、そうなったら人間かAIかなんて見た目や中身でさえ分かんねー状態になっていそうだし、自分がいろんな場所に同時多発的に別々の活動をしているなんてことも有り得そう。最高にクレイジーな時代。