最近、AIの進歩や社会の変化についてあれこれ考える機会が増えまして。どうにも、技術や方法論の部分はどうしてもAIのほうが得意になってくる――と感じる場面が多いんですよね。スキルや知識はどんどん代替されていくのではないかと思っています。そんな中、「人間にはいったい何が残されるのか」と自問自答する時間が増えてきました。
僕が最近たどり着いたのは、やはり「Why(なぜ)」や「Will(意志)」という、人間特有の問いや欲求の大切さ。──というか、むしろここしか残らないかもしれない。つまり、何かを学んだり、作ったりするのはAIのほうが得意だとしても、「そもそも何のために、なぜそれをやりたいのか?」を突き詰めるのは、自分自身の内面を深掘りして見つけていく作業であるということです。
そして同時に、「自分は何をしたいのか」がはっきりしてきたら、そのときはAIに協力してもらうほうが圧倒的にスムーズで、むしろ相乗効果が生まれるならそこしかないとも思うのです。どうやって実現するか(How)はAIに任せればいい。ただ「何を目指すのか」「何が欲しいのか」というコアの部分は人間が決める――この役割分担というか、住み分けこそが、これからの時代にアイデンティティを保ちながら、人間であることの尊厳を守るための唯一の手段なのかもしれません。
もっとも、そのためには「まず自分が"空っぽ"であることを認めないといけないな」と思っています。もともと僕自身、色々な情報を詰め込みがちで、あれこれ考えすぎてしまうタイプでした。しかし、「これは自分にとって必要なことなのか?」と真剣に問い直すと、意外にもそうでもないものが多い。それはもう、多すぎるほどに。まあ、だからニュースアプリも削除して、SNSも見るのやめたんですが。そうしたら、驚くほど心が軽くなった。
ただ、一方ですべてを削ぎ落とせばいいかというと、そう単純でもないのです。たとえば、何の脈絡もないところから、ふとした偶然や無駄のように見える情報が、新しいアイデアを生んでくれることがあります。むしろ、「まったく関係なさそうなもの」にこそ、面白い発想のタネが潜んでいることが多い。だからこそ、絶対に必要ないと断言できるものを排除しつつ、高品質な無駄(!)や偶然を楽しむ余裕は持っていたい、と思うようになりました。
それからもう一つ大切だなと感じたのは、退屈を受け入れること。以前は、少しでも手が空くとスマホを触ったりして暇つぶしをしていました。──が、あえて退屈に身を置くと、妙に落ち着かない反面、頭の中で新しいイメージがふっと湧いたり、普段は埋もれていた考えが浮き上がってきたりするんですよね。インスピレーションが湧くためには、退屈が必要不可欠。これからAGIの登場によって、人類には退屈な時間が増えてくるかもしれない。けれども、暇を恐れる必要はない。人間にとっての退屈は、植物にとっての水みたいなもんだから。
ニヒリズムについても、ちょっと考え方に変化がありまして。何もかも無意味かもしれない、と一度受け入れてみると、逆に「じゃあ、そこから自分なりに意味を作るしかない」という気になってきます。世の中の価値観や常識に縛られすぎず、自分が本当に大切だと思えるものを再定義するチャンスになるのです。そもそも僕は人生や人類、地球、宇宙に本質的な目的や使命などは存在しないと思っているタチなので、それを自由に設定できるという自由を行使できる余地は残しておきたいものです。そのためにも毎日AIと深いディスカッションをしながら、自分の中に染み付いている旧世代的な固定観念、既成概念、クソみたいな掟、ルール、しきたり、伝統といったものをものすごい勢いでぶっ壊して再構築する作業にハマっています。思考のマイクラな。
早ければ年内には人類トップの知性を持つ人間が束になっても勝てない、AGI 0.9ぐらいが実現するかもしれません。2025年2月の時点でAGI 0.75ぐらいなので、このまま行くと遅くとも2027年まで──もしかしたら年内に1.0が実現する可能性さえある。AGIが実現してすぐに社会に大きな変化が訪れるかというとそうではないかもしれませんが、少なくとも、ここ数日の孫正義とサム・アルトマンの発言や動きを見ていると、まずは日本で実証実験的にAGIが社会実装される可能性が高そう。2年以内に、AGIロシアンルーレット、日本で開始。高まれり。
さすがに、2025年1月の怒涛のAI関連ニュースをきちんと仕入れていた人は「AIが人間の労働を代替することはない」だとか「新たな雇用が創出されるので問題ない」という持論を軌道修正し始めたように思います。冷静に考えて、AGIによって雇用を失うのは数十億人レベル、新しい雇用が生まれるとしてもせいぜい数十万が限界。AGIは、人間が行うほぼ全領域の知的活動を代替できるポテンシャルを持つ史上最も賢いComputerであり、問題はできるかできないかではなく、Whenの一点。
──結局、「Why」や「Will」を見いだすためのプロセスは、自分の内面に向き合うことから始まります。"空っぽ"であることを認め、必要以上のものを手放してみる。そして退屈やニヒリズムすらも一度受け入れ、そこから自分にとって意味のあるものを再発見する。そうやって見つけた「やりたいこと」や「欲しいもの」があれば、その実現方法はどんどんAIに協力してもらえばいい――というのが、今の僕の素直な考え。
今後2~3年は、凄まじいスピードで人間のアンデンティティが喪失し、人類の価値や尊厳が脅かされるシチュエーションが増えてくると思っています。すでに小さい領域ではそれが始まっていて、これから遅かれ早かれ、非常に感染力の高い伝染病のように、コミュニティ、国家、世界レベルで広がっていくのではないかな──と。
極端な話、『アイデンティティとか価値とかどっちにしてもAGIに全部ぶっ壊されるんで、今のうちから自分からぶっ壊しにいって、未来の超破局的AGIショックに耐性つけとこーっと」ということですね、はい。外からぶっ壊されるより内からぶっ壊したほうがまだいいんで。
あと、2月に入って解約したChatGPTをたった3日で「再課金」しました。自分が思っている以上にAIに依存している自分がいて驚いている。DeepSeekやGemini、Claudeでは得られない何かがChatGPTにはある。──というか、単純にo3-mini、o3-mini-high、o1が賢すぎるんですよね。今のところ対抗できるのはDeepSeekだけど、やはり何か足りない。そもそも人が増えすぎてまともに使えないことが増えてきたし、深度求索は。
ただ、DeepSeekがオープンソースの流れを作ってAGIの実現は早まったわけですが、その反面、AI推進派──というか、AIの進化に全ベットしてブレーキぶっ壊しちゃった権力者と金持ちが勢い増しちゃって、x-riskが相対的に高まってる雰囲気。grokも3のリリースと合わせて2をオープンソースに、OpenAIもサム・アルトマンがオープンソースの方向に傾き始めているので、世界で検証と研究が進むのは良いことなのですが、一方でリスクも高まるのは間違いないので、このトレードオフがどちらの天秤に傾くかであと200年生きられるか決まるってわけ。アンドロイドは電気羊の夢を見るか、her、すばらしい新世界、1984の世界が近付いている。ビッグブラザー。