話題の「強盗団の件」を読んで思うこと

はてな匿名ダイアリーで話題になっている「強盗団の件、犯罪エアプの人達は平和ボケしすぎ」を読んで思ったことや感じたことなどをつらつらと書き綴っていきます。

「強盗団の件、犯罪エアプの人達は平和ボケしすぎ」の主張

この投稿は、強盗事件の増加と現代社会における犯罪に対する認識に関するテーマが中心となっています。以下、主張をまとめます。

  • 近年の強盗事件の増加は、犯罪に対する認識の甘さ社会構造の変化起因する
  • 「強盗は割に合わない重罪であるため、従来の犯罪者グループでは避けられていた」と指摘
  • 現代社会では、SNSや求人サイトの普及により、犯罪への参加が容易になり、犯罪に対する認識が希薄化している
  • 就職難や経済格差の拡大により、犯罪に手を染める若者が増えている
  • 犯罪に対する無知を解消し、犯罪を身近なものとして認識することの重要性を訴えている
  • 警察は発生した犯罪への対処を優先するため、犯罪の未然防止には限界があるとし、個人レベルでの対策の必要性を説いている

闇バイト等の犯罪増加傾向の要因

【心理】闇バイトはなぜ増えた?恥の文化と経済的貧困、行き過ぎた消費社会【考察】でも書いた通り、近年の闇バイト等の犯罪増加傾向は、主に以下の事柄が大きな要因になっていると考えられます。

  1. SNS等の普及により犯罪への参加が容易になった(たとえ犯罪へ加担する気がなくとも)
  2. 経済格差の拡大により「一発逆転」を目的として犯罪に手を染める若者が増えている(恥の文化、自責主義などが影響)
  3. 正常性バイアスによる犯罪リスクの過小評価(行き過ぎた消費社会の影響で倫理的問題を軽視)

要するに、資本主義によって経済格差が広がる→貧困は自分の責任であり、恥という意識が強まる→テクノロジーの発展により、闇バイト等の犯罪への参加が容易になった→高収入という謳い文句に引き寄せられ、倫理的な問題やリスクを軽視──といった流れです。

もう少し掘り下げてみたいと思います。

1. 経済格差の拡大

資本主義社会では、富の集中が進むにつれて、中間層の縮小貧困層の拡大が問題になっています。特に若者や非正規雇用の増加によって、生活が不安定な層が広がっているのです。このような状況では、経済的なプレッシャーが強まり、安定した収入が見込めない人々が、高収入を約束する「闇バイト」に惹かれるのは自然な流れと言えるでしょう。

2. 自己責任論と恥の文化

日本社会では、特に「自己責任」という考え方が根強く、「貧困=自分の失敗」という認識が一般化している傾向があります。このプレッシャーは、経済的に困窮している人が他人に助けを求めることをためらわせ、犯罪的な手段に走らせる要因にもなり得ます。また、「恥」の文化が強いため、貧困状態や困難をオープンにすること自体が難しくなっているのも大きい──。

3. テクノロジーの発展

テクノロジー──特にインターネットや暗号化されたコミュニケーションツールの普及は、違法な取引や犯罪行為への参加を容易にしています。闇バイトの募集や指示が、SNSや暗号化されたメッセージアプリを通じて行われるため、物理的な接触をせずに犯罪組織との関わりが持てるようになっているんですね。これは犯罪行為に対する心理的障壁を下げ、リスクや倫理を軽視させる要因ともなりえます。

4. 高収入という誘惑

特に若者や経済的に困窮している人々にとって、高収入を短期間で得られるという謳い文句は大きな魅力。闇バイトの勧誘はしばしば「簡単で高収入」「低リスク」といった形で行われ、生活の厳しさや将来の不安からその誘惑に負けてしまうケースが多いです。このような状況では、犯罪に手を染めるリスクや倫理的な問題が軽視されることがあります。

「もっと悪い奴らと会話をした方がよい。」には同意できない

僕は過去、7年ほど歌舞伎町でバントマンとして活動していたり、フィリピンの治安の悪い地域に住んでいたり、アメリカ大陸を横断したり──と、比較的、犯罪が身近な環境でのサバイブ経験があります。実際、詐欺や窃盗に遭ったこともありますし、違法薬物への誘いも度々ありました。

その上で思うことは、今回の「強盗団の件」での『もっと悪い奴らと会話をした方がよい。』には全く同意できないということです。おそらく筆者は、犯罪に対する無知への対処法として、もっと悪い奴らと話すということを挙げたのだと思います。しかし、犯罪が身近にある状況下での回避ノウハウは、必ずしも実地で得られるものではないし、ましてや自発的に近づいて学ぶべきものではないのです。

"悪い奴ら"がどの程度の悪を想定しているかは不明ですが、少なくとも何かの拍子で「強盗、やっちゃおうか」となってしまうような思考回路の持ち主とは一切関わらないほうが良いでしょう。後ろにどんなバックがついているか分かりませんし、知らず知らずのうちに自分も犯罪へ加担してしまうリスクもあるからです。

僕はこれまで、何人も「見た目が普通なのに、ヤバい奴」を見てきました。結局、悪い奴らが悪い格好をしているわけでは全くないので、そういった知識がないままに「悪い奴らと会話をする」を目的にすると、十中八九、巻き込まれます。しかも、気付いたときにはもう術中にハマっていることさえ珍しくない。

単に、犯罪への無知を解消し、身近な犯罪リスクへのリテラシーを身に付けるだけであれば、犯罪心理学を通して実際のケースから学んだほうが断然良いです。それか、「凶悪」や「冷たい熱帯魚」、「渇き。」、「葛城事件」、「日本で一番悪い奴ら」、「マインド・ハンター」あたりの映画でも観れば良い。

「犯罪は遠い世界の出来事ではない。」には完全に同意

とはいえ、筆者の以下の意見には同意せざるを得ません。

犯罪は遠い世界の出来事ではない。お前も犯罪者になるし、俺も犯罪者になるし、お前も被害者になるし、俺も被害者になる。

そういう意識をもって常に生きるべきだ。

僕は、犯罪というものは決して特別なものではなく、むしろ、とても身近に存在する──例えるなら"通りもの"のような認識をしています。人間が悪事をはたらくのではなく、悪事が人間に乗り移る──といえば分かりやすいでしょうか。

現代はなんというか、あまりに「犯罪=普通でない人が引き起こすもの」という認識が強すぎる気がします。実際、犯罪心理学の研究によれば、犯罪は特別な精神状態を持つ人々だけが行うものではなく、むしろ、普通の価値観を持つ人々が特定の環境や状況において犯罪を選択することが多いとされています[1]。

つまり、多くの犯罪者は、特別な思考回路を持っているわけではなく、一般的な価値観を持つ人々なんですよ。犯罪を犯すきっかけは、環境や状況によって引き起こされることが多く、誰もがそのような状況に置かれれば犯罪を犯す可能性がある──という見解が重要なのです。

犯罪の背景には、差別、格差、孤立、生活苦などの社会的要因が存在し、これらが犯罪行動を引き起こす要因となることが多い。そして、犯罪は、動機を持つ人が犯罪の機会に出会ったときに発生する。

現代の犯罪学では、動機があっても、適切な機会がなければ犯罪は起こらないという考え方が支持されています[2]。これは、裏を返せば、動機と適切な機会さえあれば、犯罪はいつだって起こるということです。

だからこそ、「お前も犯罪者になるし、俺も犯罪者になるし、お前も被害者になるし、俺も被害者になる。」という言葉には真実味があるのです。

僕はこういった考察をすると、最後には決まって「結局、資本主義とSNSがクソ」という結論に辿りついてしまうのですが、これはあながち正しい認識なのかもしれません。狂気と混沌が渦巻く世界は、なんと美しい。