『極悪女王』が描く80年代女子プロレスの世界【ネタバレ感想】

Netflixドラマ『極悪女王』を観終わったので、その感想をネタバレありでつらつらと書いていきます。

あらすじ

80年代、男女の不平等や女性蔑視が問題視されずに当たり前だった時代の日本。 そんな時代と格闘し、日本中を熱狂させ空前のブームを巻き起こしたのは女子プロレスだった。 正統派プロレスラーとしての成功にあこがれながらもクビ寸前だったダンプ松本(ゆりやんレトリィバァ)が悪役に転身し、クラッシュギャルズとして日本中のスターへかけ上がる長与千種(唐田えりか)、ライオネス飛鳥(剛力彩芽)ら仲間たちとの友情と戦い、さまざまな代償を抱えながら日本史上最も有名な〝ヒール〟に成り上がっていくさまを描く。

魅了されていく過程「気づけば虜に」

正直、この作品を観る気は全然ありませんでした。プロレスにはまったく興味がなかったし、芸人のゆりやんレトリィバァが主演という点にも期待を持てなかったんですよね。

実際、最初の1・2話はあまり心が動かず、「ここから本当に面白くなるのか?」という疑問を持ったまま視聴を続けていました。しかし、気が付くとなぜか次の話も観始めていて、いつの間にか完全にのめり込んでいたんです。

特に、第3話の終盤、ゆりやんレトリィバァ演じる松本香が「ダンプ松本」へと変貌を遂げるシーン。あの瞬間、僕は完全にノックアウトされました。なんだろうな、あれ。もともと光属性だったキャラが何かの拍子で闇属性になる──みたいな。本当に痺れた。

暴力と優しさの絶妙なバランス

この作品は、はっきり言って地上波では放送できないような過激な内容です。暴力や暴言はもちろん、流血シーンも日常茶飯事。

しかし、そこにゆりやんの演技が絶妙なバランスを取っているように思えたんですよね。ゆりやんの根底にある優しさが、極悪非道のキャラクターを演じながらも、確かに、にじみ出ている。

その演技は、プロの俳優と比べれば上手とは言えないのかもしれません。しかし、それがかえってダンプ松本の良さを、そして作品の魅力を高めているんです。

主人公の成長「苦難と覚醒」

印象深かったのは、やはり主人公・松本香の成長物語。作品のおよそ半分以上が、彼女が人生の苦難や才能の壁にぶつかる姿に費やされています。家族との複雑な関係、同期が次々と出世していく中での葛藤──。正直、見ていて胸が苦しくなるようなシーンばかりでした。

そんな緊張感が限界まで高まった、第3話──。主人公の覚醒シーンは、それまでの伏線を一気に回収し、大きなカタルシスを生み出しました。主人公が苦難を経て覚醒するというのはありがちな展開かもしれません。しかし、だからこそ心に刺さるのです。

80年代の女子プロレス界「苦闘と連帯」

この作品は80年代が舞台なので、僕自身はその時代を知りません。当時の世間の反応や実際の女子プロレス界の様子がどれだけ反映されているのかも不明です。それでも「少女たちの闘いを見たぞ」という熱い気持ちは確かに湧き上がってきました。本当に熱かった。

男性中心の業界構造に翻弄される女子レスラーたち。彼女たちが時に金稼ぎの駒のように扱われる姿には、正直、胸が痛みました。大人の事情や業界の都合で、様々なことを強いられていたのだろうな──と。

それでも、自分たちの道を切り開いていく彼女たちの姿は、なんとも泥臭く、なんとも熱く、なんとも勇気あるものだった。間違いなくね。

涙の理由と『サンクチュアリ』

最終話のラスト10分間、僕はなぜ自分が涙を流しているのか分からなかった。ドラマを観始めるまでプロレスに関する知識はほとんど皆無だった僕が、それほどまでに心を揺さぶられたんです。その瞬間、気付きました。

『──そうか。「極悪女王」は、単なるプロレスドラマではない。これは、夢を追う人々の熱気と苦悩を描いた、普遍的な人間ドラマなのだ』と。

この作品を観終わった後の爽快感は、どこか『サンクチュアリ』を思い出させました。しかし、同時に何か違うものも感じたんですよね。

相撲が個人の闘いなら、プロレスはチームの闘い。レスラーだけでなく、レフェリー、セコンド、実況、観客まで一体となって一つのドラマを作り上げる。そこに『サンクチュアリ』とは違う絆や友情、熱さ、爽やかさを感じたのだと思います。

まとめ

最初は「どうせ面白くないだろう」と思っていた作品。しかし、観終わった今では、胸の中に大きな余韻が残っている。登場人物たちの情熱、彼女たちが乗り越えてきた困難──それらに強く共感してしまった自分がいました。

この『極悪女王』は、プロレスファンはもちろん、プロレスに興味のない人にも強く訴えかける力を持っていると感じます。それは、人生、夢、逆境に立ち向かう勇気について深く考えさせてくれるから。

最後に言えるのは、この作品は僕の予想を完全に裏切ってくれた、ということ。偏見を持たずに様々なものに触れることの大切さを、改めて教わりました。先入観からの食わず嫌い、良くないね。