【日記】AIとの共存、思想を売る、身体性の重要性、現実とは何か、論理的思考、言語化能力(2025/02/06)

考えていることをだらっと語るだけの場。たまにはAIに頼らず、自分の記憶と言葉を使って記事を書く練習をしないといけない。

最近は、以下のようなことを考えている。

  • 人とAIとの共存においてのAI側の鉄則
  • 技術のコモディティ化・知識の民主化によってナラティブ(物語性)の価値が相対的に高まる=思想を売る
  • 人間の持つ身体性の価値、身体性が認知に与える影響、AIがAGIになるためには身体性が必要なのか
  • 現実とは「ありのままの世界」ではなく、脳の推論またはリアルタイム画像・動画生成データ
  • AIに世界を踏み荒らされても論理的思考と言語化能力は引き続き重要

まず、人とAIとが共存する世界を想像する。それはたとえば、映画「her」のようなものかもしれないし、小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」、「すばらしい新世界」、はたまた、アニメ「サイコパス」のようなものかもしれない。

しかし、実際に現実で起きるのは、そのどれとも違うような気がする。herのようにAIと恋に落ちる人は近いうちに出てくるかもしれない。もしかしたらすでに出ているのかもしれない。ただ、AIを人に限りなく近づけるということは間違いなく起きると思う。キーワードは信頼。

AIとの信頼関係は築けるか

それはたとえば、教育というか、自分を律するために何ができるかという問題に繋がっていて──。仮に今、あなたがダイエットに挑戦していたとして、まずは習慣になっている間食をやめるという課題を抱えていたとする。これをAIの手助けを借りて実行しようとするなら、こんな案が考えられる。

  • 定期的に、AIが間食をやめるよう説得(あなたが最も嫌がる、または心に刺さる言い方で)
  • 間食を我慢するためには意志力が必要であるため、日頃から意思決定の頻度を減らし、リソースを節約するよう計画立案・監視

要は、あなたが間食をしないよう、AIが説得、あるいは「なぜダイエットをしようと決意したのか」ということをくどくどリマインダーさせる、といった方法。しかし、これらには強制力は働かず、結局、AIの言葉を受けても間食を我慢できるかどうかは五分五分。

これが、あなたが最も信頼を裏切りたくない恩師、恋人、親友などとの約束であったらどうだろう。間違いなくAIとの──あるいは自分との──約束よりも成功確率が上がる。

では仮に、あなたがAIに対して、あなたの恩師や恋人、親友などと近いレベルで信頼を置いていたらどうだろう。きっと我慢するだろう。AIの信頼を裏切りたくない、あるいは失望させたくない──と。

これは何も、人間と機械が同等であるだとか、機械が感情や意思を持つだとかいう話ではなく、あくまで「信頼(本物か偽物かはどうでもいい)」の話である。

人間の"外"を被り、人間のように話、人間のような思考回路と身体性を持つAIと信頼関係を結ぶことはそう難しいことではないと思う。ましてやアトムやらドラえもんやらでロボットと人間の信頼が成り立つ様を見ている日本人ならなおさら。

少なくとも、生まれたときから日本で暮らしている人なら、飾られている市松人形の首をもいだりはしないだろうし、ビルの屋上からかわいいぬいぐるみを投げ捨てることもしないだろう。なぜならかわいそうだから。では、より自分たちに近い機械がいたら──?

きっと、そこには信頼が生まれる。信頼が生まれれば、約束を守るためのインセンティブが発生する。または、AIがそこまで発達しているなら、かなり高度にパーソナライズされているであろうし、銀行口座(ないしは通貨のようなもの)もAIによって管理されているかもしれない。となると、「約束を守らなかったら1万円を自然保護団体に寄付します」といったアプローチも可能になる(──これは今でもできるか?)。

まあ、結局、言いたいことは「より人間に近いヒューマノイドが実現すればそこには信頼関係が構築されるので、その関係性を維持したいというインセンティブが働き、様々な意識改革が可能になる」ということ。

だって、生まれた瞬間から"あなた"をサポートする完全にパーソナライズされたらヒューマノイド(イメージとしてはファンタジー世界における使い魔のような)がいたら、そんなん絶対信頼するに決まってるやん。家族やん、そんなん。

思想を売る

AIよりも優れたAI──AGI(人工汎用知能)が実現すれば、社会は大きく変わる。前の記事でも書いたが、具体的にはビジネスがやばい。教育がやばい。人間の存在意義が危うい。

すでにChatGPT-o1は医師国家試験や東大試験に受かるレベルで、先日OpenAIから発表された"プロトタイプ"の高度な推論モデルDeep Researchは、サム・アルトマン曰く「ホワイトカラーの1割の仕事を担えるレベル」らしい。

これが何を表すのかと言うと、端的に言えば、スキルや技術のコモディティ化・知識の民主化だと思う。

たとえば、イーロン・マスクのニューラリンク(脳にチップを埋め込む技術)を安全に実現できれば、もはや学習の価値がゼロに等しくなると言っても過言ではない。もちろん、思考のフレームワークを構築するための学習には価値があるが、異なる言語が飛び交う会議室においては、短期的な言語インストールされできればよいのだ。

必要なときに、必要な情報群を脳にインストールする。まるでドラえもんの道具のようなものであるが、これが可能なら学習の意味は、それこそ「世界観」や「思考体系」の構築以外になくなる気がする。まあ、あと趣味。

ありとあらゆる技術やスキル、知識は誰でも扱えるようになり、その気になれば、世界レベル(かつての)の数学、ピアノ演奏、ルービックキューブ、コンクリートの生成方法、核融合炉の作り方などを短期間で学び、実践することができるかもしれない。

とはいえ、物を売る、あるいは信頼を勝ち取る、差別化するといったことを考えたとき、技術・スキル・知識では差がつかない。コモディティ化してしまっている。──じゃあ、どうするか。残るものは、きっと思想や哲学、肉体といった限りなく人間臭い何かだと思う。

これは前から言われていたことだけれど、ナラティブ(物語性)の重要性がより高まっていくことは間違いない。「商品を売るな、ストーリーを売れ」みたいなこと。結局、AIには思想は生み出せないし、人間のように非合理的で偏った哲学もない、ましてや細胞分裂を繰り返す肉体もない。となると、そこで勝負するしかない。

だから、なんというか、ビジネスもある意味では宗教的な何かになっていく気がする。今でも企業は持続可能性だとか、多様性推進だとか、環境保護とかよく分からないことを掲げているけど、現状、それらに真面目に取り組んでいる企業は少数で、実際にはファッションタグとしての機能しか持たない。そうではなく、言葉通りの企業理念で、それはもはや信仰や思考に近い形で全面に押し出されていくんじゃないかと思う。

てか、そうでもしないと差別化できない気がする。DeepSeekの一件ではないけれど、ある企業が高度な技術を開発したとしても短期間にラッパーされてより良いものを作り出されてしまう──また、それらの加速はある一点で止まる(用に見える)。つまり、純粋な技術やスキルで差別化をはかることは難しい。

ほら、よくディストピア小説やら、海外の気味の悪いホラー映画かなんかで、近代的な暮らしから離れて、牧歌的な、超自然的な環境でコミュニティ築いて暮らしてる謎の団体とかいるじゃん。あれ。たぶん、これからあれ流行る。それできっと「AIにも人権を与えるべきだ!」「スターリンクは脳を支配する!」「サム・アルトマンはサタンである!」とか喚き始めるんだ。──え、もういる?

身体性。現実とは「脳の生成世界モデル」

これまでの話と被るところが多いけれど、人間の持つ身体性は、AIの技術発達にともなって相対的に価値が高まっていくことは間違いない。要は、筋肉。筋肉は大事。

AIのさらなる進化のためにも、身体性は重要になってくると思う。人間の脳は、ものをどのようにイメージし、考え、構築し、世界を生成しているか。脳だけでこれらは可能なのか──。僕としては、「少なくとも実体としての魂は存在せず、脳と身体は不可分である」が一番近い気がする。

現実の世界というのは、人間が見ているように"キレイ"なものではなく、もっと混沌とした、どろどろとした訳の分からないものなのだと思う。実際、人間が見ている”現実”は、脳によって圧縮されたデータ──つまり、処理済みの世界。人間である以上、どう頑張ったって、カントの言う"物自体"は見ることはできない。常時RAWデータを扱うには脳はスペックが低すぎる。

カオスな世界をコスパよく演算できるように発達したのが、脳というハードウェア──というより、複雑で不確実な環境(カオス)に適応するために最適化された情報処理システム(OS)なのだろう。そして、そのためには身体性は欠かせない。おそらく、脳だけでも世界モデルを構築することは可能。しかし、それでは現実世界との差分がデカすぎて、そのままだと夢や幻想のまま。

たとえば、目の前にりんごがあったとして、眼球から色や形、空間、距離などの推論はでき、世界モデルを構築することはできるが、正確な重さ、匂い、手触りといったデータは実際にりんごを手にとって見るまで分からない。もしかしたら中が腐っているかもしれないし、精巧に作られたプラスチックかもしれない。正確な世界を構築するためには身体性は欠かせない。

よって、AIがより人間に近い形に進化し、社会で人と共存できるようなレベルになるためには、身体性が必要。最近はロボティクス分野にも「iPhone」や「OpneAI」レベルの革命が起きていて、AIが身体性を獲得する日もそう遠くはないんじゃないかと思っている。

僕としては、人間に近いヒューマノイドよりかは、攻殻機動隊のタチコマや、最近の中国の球体警察ロボ、あるいはアクロバティックに走り回るロボット犬といった「どう見ても機械」といったロボがその辺を闊歩している世界のほうが熱い。

論理的思考と言語化能力、受け取り手のアップデート

前の記事でも書いたけど、これから人間にとって重要になってくるのは、Why(なぜ)とWill(意志)。How(どうやって)はAIが教えてくれるので、ナラティブの構築のためにも、身体性の価値を最大限に発揮するためにも、WhyとWillだけ大切にしてたらいいと思う。

結局、これからどれだけ機械が発達し、AIによって社会が変わっても、その便利になったツールやテクノロジーで何をするかが重要なのであって、本来、主語はいつだって"I(私)"から始まるべきだと思っている。最近はAIの進化が早すぎて、またそれが刺激的なこともあって、つい「AIは──」などと主語をAIから始めてしまうことが多いけど、「私は──」、あるいは「人間は──」と始めたほうがこれから訪れるAGI以後の世界にとっては良い気がする。

「AIでいろいろなことが自動化できます」と言われても、自分がどんなことをしたくて、どんなことに躓いていて、何を不便と思っていて、何を解決したいのかが分からないと、意味がない。論理的に物事を考える能力と、問いを立てる力、そしてその問いをAIなり、ロボなりに伝える言語化能力の重要性はおそらくこれから少なくとも50年ぐらいは変わらない、普遍的なものだと思う。

ただ、必ずしも言語化が必要化というとそこには一考の余地があって、というのも、どうやら人によって思考あるいは推論が言語メインでない場合があるから。抽象で考える人もいれば、具体で考える人もいて、言語で考える人もいれば、ビジュアルで考える人もいる。または一人の人間にそれらが混在している。

つまり、これまで「アウトプット」をする側は飛躍的に発達してきたが、「インプット」する側の能力はあんまりアップデートされてきていないというわけ。簡単な話、論理的思考力や言語化能力は"教育"であって、その教育は、ほとんどのケースにおいて環境──特に家庭環境──によって左右される。教育は課金ゲーだから。

これからの時代は、インプットする側──コンテンツを消費する側のアップデートがより重要になるし、それはAIによって可能になると思っている。インプットのパーソナライズ化というか、極限まで"わたし"にフォーカスされた教育システムに近い。

要は、世界にあるありとあらゆる情報を"わたし"が完全に理解できる形で提示するアシスタント、あるいはシステム。

まあ、先に話したイーロン・マスクのニューラリンクであれば、それを付けている人同士は言語を介さずとも「概念を直接受け渡し」することができるので、もはや言語化能力はいらないのかもしれないけれど。

おそらく、脳チップなら思考のフレームワークもインストールでき、任意の知的体系をばこっと脳に入れてそれを元に最効率の論理的思考を行うこともできると思うんだけど、そうなると「そこに自由意志はあるんか?」という話になってくるので、これまた倫理的な問題に発展する気がする。そもそも、脳にチップぶち込むこと自体が倫理に反していると言われればそれまでだが。

ブルシット・ジョブが完全に消え失せた社会、見た目が25歳の150歳、白髪や小じわをあえて残すことがトレンドになっている2040年、ありとあらゆる病気が根絶された世界──。そのどれもを、自分が生きているうちに見られるかもしれないという、まさに夢のような、今日。もう、SFでは、ない。