多くの人は「やる気」と聞くと、まるで独立したエネルギータンクのようなものを想像するかもしれません。
しかし、実際には「やる気」とは単なる概念であり、何か実態を持った存在ではないんですよね。
ここを履き違えてしまうと、やる気がないから動けない、やる気が湧きさえすれば行動できる、といった無根拠な結論に陥りがちになってしまう。
何かをやるのに"やる気"は必ずしも必要ではなく、むしろ、多くの場合、行動し始めた後に"やる気"は生まれるものです。
つまり、やる気とは、行動を起こす前提条件ではない。
「やる気があれば動ける」という考え方は「やる気が湧かない限り、行動を起こせない」という負のサイクルに繋がります。
行動を起こすために必要なのは、最初の一歩を踏み出す勇気。
やはりとりあえずやってみる精神・・・・!! とりあえずやってみる精神は全てを解決する・・・・!!
「集中力」や「才能」といった概念も同様
これは、集中力や精神力、さらには才能といった他の概念にも当てはまります。
人は、何か「集中力」や「精神力」を、まるで身体のどこかに存在する具体的な力のようにイメージしがち。
けれども、これらもまた、やる気と同様、実際には抽象的な概念に過ぎないんですよね。
集中力や精神力があるときというのは、それが自然と引き出されるのではなく、何かの行動や環境の中で培われていくもの。
集中することで集中力が生まれ、行動することで精神力が強化される。まるで順序が逆。
才能という言葉にあるイメージ
才能についても同じことが言えます。「才能」と聞くと、多くの人は特定の分野やジャンルでの卓越した能力をイメージします。
しかし、才能とは、単一の力ではなく、複数の要素が複合的に絡み合って形成されるものです。
人は才能を語るとき、当人の努力や試行錯誤、失敗、嫉妬、後悔といった数々の過程を見逃しがち。
こういった要素を無視してしまうと、才能というものがあたかも生まれつき備わっているものかのように錯覚してしまいます。
才能というシンプルな概念に潜む罠
才能という言葉は、確かにシンプルで、だからこそ分かりやすい。
とはいえ、この"シンプルさ"は、往々にして「その裏に隠された多くの要素」を無視させる原因となり得ます。
例えば、ある野球選手が「ずば抜けた才能の持ち主だ」と称賛されるとき、その裏でオオタニサンが何度も失敗し、苦悩し、努力を重ねた過程は見えにくくなります。
簡略化された「才能」のイメージに囚われてしまうと、本質的な努力や成長のプロセスが見過ごされてしまうのです。
「やる気」や「才能」は幻想
「やる気」や「才能」といった幻想に囚われすぎず、実際の行動や努力がすべての基盤であることを再認識する──。
やる気とは、待つものではなく、行動の中で生まれるもの。
才能とは、生まれつきの特質ではなく、複合的な能力や経験の積み重ねによって形成されるもの。
シンプルな概念に惑わされることなく、自分自身の努力と成長を信じ、行動し続けることこそ、オオタニサンに一歩近付くヒントなのかもしれない。
マインドセット(経験や価値観に基づく考え方や枠組み)を変えるために役立った本。
本当にやりたいことが分からない←解決するための考え方と対処法とは?