お金の不安とその根本的な問題とは?抑圧の道具としての「お金」

今回は、なぜお金が不安を生み出し、抑圧の道具として機能するのか、その本質を探っていきたいと思います。

お金は抑圧の道具として機能する

お金は、人間の欲求を抑圧するために使われることが多々あります。

「お金が必要だから」「仕事だから」といった理由を盾に、本来なら優先すべき欲求やニーズを後回しにする──。

例えば、嫌な仕事をしてでも「お金を稼ぐためだから」と自分を納得させることがあります。

このように、お金は人に何かをさせるための抑圧の道具としても機能するのです。「行動を正当化する装置」と言い換えてもいいかもしれない。

マルクスも、資本主義社会において、労働者が賃金を得るために自らの時間やエネルギーを抑圧される状況を指摘しています。

この考え方を参考にすれば、お金が単なるツールを超え、人間の行動や欲求をコントロールする存在になりうることが理解できるでしょう。

お金は欲望そのものである

お金は単に物を交換するための手段ではなく、欲望そのものとしても機能します。

お金があれば、人は他の欲望──例えば、物を手に入れる欲求や快適な生活を送るための欲求を満たすことができます。性欲も然り。

このため、多くの人は「お金さえあれば幸せになれる」と考えがちです。

しかし、この欲望には落とし穴があります。お金は他の欲望を満たす手段である一方、それ自体が無限に追い求められる対象にもなり得るのです。

フロイトが述べたように、人間の欲望には無限性があり、満たされた欲望は新たな欲望を生み出します。

お金も同様に、手に入れることで次の欲望を刺激し、結局「完全な満足感」は得られません。

お金の時間的な性質:先送りが可能

お金のもう一つの特性は、先送りが可能であることです。

体力や若さは、時間が経つにつれて失われていきますが、お金は使わずに貯めておけば後で使うことができます。

つまり、現在の欲望を抑え、将来のためにお金を蓄えることができるんですね。

──もっとも、経済の変動やインフレーションによって、お金の価値が相対的に減少する可能性もありますが。

それでも、若さや体力とは異なり、お金はある程度その価値を保持し続ける点で特異と言えるでしょう。

このような性質があるため、人間はお金を過剰に重視し、「将来の不安」に対処しようとする傾向があるのです。

お金が目的になったとき、欲望はズレていく

お金の抑圧的な側面に囚われ、お金そのものが目的となると、人の欲望は次第に本来のものからズレていきます。

本来は幸せや安心感を得るためにお金を稼いでいたはずなのに、気が付くと「もっと稼がないと」というプレッシャーに追われるようになるのです。

マズローは、欲求階層説の中で、基本的な生理的欲求や安全欲求が満たされると、次の段階の社会的欲求や自己実現欲求が重要になると述べています。

しかし、お金の稼ぎに集中しすぎると、この階層を超えることができず、より高次の欲求を見失ってしまうんですね。

お金を稼いでも不安が消えない理由

お金を稼いでも不安が消えないのは、根本的な問題が「お金の不足」にあるわけではないからです。

お金によって得られるものは限られていますし、それが心の平穏や満足感、幸福に直接結びつくわけではありません。

お金は手段であり、目的ではない。重要なのは、所有することではなく、存在することに価値を見出すこと。

お金を持っていることが幸せにつながるのではなく、どのように自分が存在し、何を体験しているかが本質的な問題なのです。

お金と上手に向き合うためには

お金がもたらす不安から解放されるためには、まず、お金に対する考え方を変える必要があります。

お金はあくまで手段であり、人の幸せや安心感は、他の要素に依存していることを理解することが大切です。

お金を過度に追い求めるのではなく、心の充実や人間関係の豊かさ、自己実現といった「存在そのもの」に価値を置くことで、真の安心感を得ることができるのではないでしょうか。

こういったお金に対する固定観念やメンタルブロックは、そうそう簡単に覆せるものではありません。

しかし、「お金は"抑圧の道具"として機能することがあるのだ」「根本的な問題はお金の不足にあるのではない」と知っておくだけでも、お金という概念に対する不安は少し和らぐのではないかと思っています。

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