【宗教2世】うつ病とPTSDを発症した「元エホバの証人」が学んだ、たったひとつのこと

僕は、この世に誕生してから約15年もの間、宗教による束縛を受け続けてきました。

その地獄からようやく抜け出せたのは、高校生になってから。

しかし、それからさらに15年が経ち、齢30年になっても未だに過去の呪いに苦しめられています。

精神科にて「うつ病とPTSD」と診断されたのは、28歳のとき。

これまで顕在化していた幾つもの問題が、なぜかこのタイミングに時限式爆弾のように次々と発火し始めたのです。

──そして、現在。

1年半以上に渡る投薬治療とカウンセリングの甲斐あってか、病気の症状もだいぶ落ち着き、過去に対しても現実的な見方ができるようになってきました。

さて、というわけで今回は「うつ病とPTSDを経験して学んだ、たったひとつのこと」についてまとめていきたいと思います。

キレやすい父、宗教にハマる母

まず始めに「宗教による束縛」という言葉の背景にあるストーリーについて簡単に触れておきます。

僕は埼玉県にある小さな一軒家で三兄弟の末っ子として育ちました。父は真面目な性格の元自衛隊サラリーマン。一方、母は宗教に熱中していました。

父はどちらかと言えばキレやすいタイプの人間であり、しつけに関してはとても厳しかった覚えがあります。口答えをしようものなら間髪入れずに拳が飛んできて、すぐさま家から蹴り出されるイメージ。

酒とタバコはやるが、女遊びはしない──。よく昭和の日本を舞台としたドラマや映画などで描かれる「厳しい父親像」に近しいものがあったように思います。

とはいえ、父が母に手を上げたことは記憶上なく、母の宗教活動においてもある程度の理解を持っていました。父は信者でこそなかったものの、自宅に信者を招いて聖書の研究を行っていた時期もあります。

「宗教による束縛」とは具体的に何を指すか?

キリスト教系の新宗教『エホバの証人』の熱心な信者であった母は、僕を含めた3人の息子達に"教育"を施しました。

教えの中心にあるのは「新訳聖書」のそれであり、基本的な部分はキリスト教の理念におおよそ準ずるものと解釈してもらってよいです。

具体例を挙げるとすれば、復活と永遠の命の信仰、輸血の禁止、他宗教信者との婚姻の禁止、アイドルや音楽などの偶像礼拝の禁止、校歌や国家の斉唱禁止、格闘技の禁止などでしょうか。

当然、暴力やホラー要素を含むアニメや漫画、映画、ドラマは禁止。遊びや習い事に関しても非常に多くの制約がありました。欲しい物のほとんどはほとんど与えられず、やりたいことのほとんどは禁じられていました。

意外な点として、エホバの証人はクリスマスをイエス・キリストの誕生日と信じていないため、祝いません。

というより、世の中にあるほとんどの祭りやイベントごとを良しとしません。ハロウィンやイースターはもちろん、墓参りもしなければ、友人の誕生日を祝うこともしない。

家庭の教育方針や地域ごとの会衆グループによって程度の差はあれど、教育という名目上であればムチやベルトを用いての体罰も許可──場合によっては推奨──されているほどでした。

僕自身、宗教上の教育として母親から折檻を受けたことは何度もあります。その際、何か道具を利用された記憶はほとんどなく、多くは"生尻を手で何度もぶたれる"という手法でした。このとき、少しでも抵抗したり、逃げ出したりするとさらに酷い仕打ちが待ち受けていました。

「宗教」と「いじめ」と「複雑性PTSD」

宗教の主な活動としては「週3日、1~2時間ほど行われる100人ほどの規模の講演会への強制参加」と「近隣住民や知り合いへの布教活動の強制」の2つ。

これに加えて週2~3回、1時間ほどの自主学習を強いられたり、年に数回ほど1~2万人ほどの規模の講演会がありました。

宗教活動の際は必ず正装を強いられ、着たくもない服を着、言いたくないことを言わされる毎日。はっきり言って地獄。苦痛以外の何物でもなかった。

そういった生活がおよそ15年にわたって続きました。今まで自覚はなかったのですが、心理学的な観点から見るとこれらはどうやら『虐待』にあたるらしい。僕は長いこと、虐待を受けていた。

そして当然、継続的な布教活動によって、僕がそういった宗教の家で生まれ育ったということは、同学年の生徒や親、教師にいたるまで周知の事実となっていたのです。

そうした宗教と家庭でのストレスからか、小学校時代の僕は素行がすこぶる悪かったように思います。

そのツケなのか、はたまた"布教活動の副作用"だったのかは分かりませんが、中学校時代の3年間、僕は同学年のヒエラルキー上位者グループを中心とした「いじめ」を経験しました。

結果として僕は、幼少期に虐待を受けた子供達によく見られるように「複雑性PTSD」を気付かぬまま発症しており、28歳にして初めて訪れた精神科にて「うつ病」の診断を下されたのです。

正直に白状すると、PTSDによる健忘──つまり、トラウマ体験に関する記憶の一部が思い出せない症状──も多く見られました。

どうやら過去の僕は、辛い現実から逃れるため、別人格とまでは言わないまでも"現実をただ観察するだけの自分"を用意し、あたかも舞台上の人物を眺めるようにして自分という人間を認知していたようなのです。

よって、ここで話していることの何割かは「最近になって取り戻した記憶」でもあります。

上記の他にも特筆すべき人生のビッグイベントはいくつかあるものの、それらは記事の最後にでもまとめて掲載しておきます。

初めての精神科で「うつ病」と診断された28歳フリーランス男の話を聞いてくれ

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うつ病とPTSDを経験して学んだ、たったひとつのこと

うつ病とPTSDの治療を進める中で、僕が特に効果が高いと感じたものは「心理士によるカウンセリング」でした。

記憶の彼方へと追いやられていた問題とひとつずつ向き合い、事実を確認した上で自分の認知を正しく理解する──。

カウンセリングの主な手法として行っていた「認知行動療法」は、まさに"言うは易く行うは難し"という言葉がふさわしい、辛く、とても根気のいる作業であったように思います。

トラウマの原因となっているであろう問題を時間をかけて掘り出し、出来事の事実のみを書き出し、それに対する自分の認知を確認した上で現実的でない考えには正しい解釈を与える。

分かりやすく言えば、記憶の再構築、あるいは再設計でしょうか。

そうした作業を続ける中で、僕にとって特に重要な発見であり、PTSDを克服するための鍵となる大きなヒントがありました。

それは「相反する感情を同時に持つことは"自然"である」ということ。

簡単に言うと、正義と悪だとか、愛と憎しみだとかいう二元論的な考えに凝り固まっていた思考に"とびっきりのグレーゾーン"を取り入れたわけです。

宗教や信仰に対して否定的な考えはない。ただし──

勘違いして欲しくはないのが、僕は決して宗教に対して否定的な考えを持っているわけではないし、現在進行形で母親のことが嫌いというわけでも、憎悪を感じているというわけでもないということ。極論、誰がどのような信仰を持ち合わせていたとしても、自分に実害がない限りは特に何も言いません。

というのも、宗教にすがる母親の気持ちもある程度は理解できるからです。

母は東北地方の、土着信仰が色濃く根付く小さな村で育ったといいます。話を詳しく聞いたわけではないにしろ、そこにもやはり"宗教"の影があったようです。

もしかしたら、そうした背景から『自分の子供には間違った教育をしたくない』という気持ちがあったのかもしれません。まあ、真意ははかりかねますが。

そして何より、エホバの証人という宗教には「復活」という概念が存在していることが大きかったのでしょう。

実は、僕にはもう一人兄がいて、本来ならば僕は"四兄弟の末っ子"となるはずでした。しかし、その兄は生まれてから数時間後に亡くなってしまったそうです。

子を持つ母親の気持ちは僕には一生理解できるものではありませんが、それがどれほど辛い出来事であったかは容易に想像できます。

だからこそ、母を心の底から憎むことは到底できないし、世の中に存在するありとあらゆる宗教や信仰についても完全に悪だと断ずることはできない。

僕がずっと引っ掛かっていたのは、このあたりのこと。

「理解はできるが、許せない」は成立する

要するに「母の行動や宗教および信仰の存在意義について"理解はできる"ので、僕は過去に起きたあらゆる事象に対して"許さなければならない"」という思い込みが存在していました。

僕は幼少期から「すべての人に対して愛を持って接しなければならない」という教育を受けてきたため、何か、あるいは誰かを嫌いになることに対して"極度の罪悪感"を持つようになっていました。むしろ、嫌うことができないようになっていた、という表現のほうが正しいかもしれません。

もちろん、母親に対しても"母がどのような行動を取ったとしても絶対的に愛さなければならない存在"という認識を持っていました。

端的に言えば、「世の中の大半のことは許せることであり、嫌いになってはいけないもの」だった。きっと、これがいけなかった。

傷付いて憔悴しきった精神と自分の心の声を無視し続けても、根本的な解決には決して至らぬのです。

そして、心理カウンセラーから言われたある一言で僕は救われました。

理解できることと、許せないことは別。嫌なものは遠ざけて構わないし、誰かを、何かを嫌いになってもいい

「すべての人に愛を持って接する」と言えば聞こえはいいですが、何かを嫌いになれない、あるいはどんなことでも許せてしまうというのは、人として自然な状態であるとは到底言えません。

ましてや、本来もっとも愛すべき自分を放置していただけにその反動は大きかった。自己犠牲の精神とは程遠い、偽善に満ちた悪意なきマリオネット。

僕に必要だったのは、嫌われる勇気などではなく、嫌いになる勇気でした。

『母親のことは嫌いではないし、愛してもいるが、過去の行動や言動については許せない。』
『宗教のことは否定はしないし、周りの人は良い人ばかりだった。でも、宗教が僕に強いてきた事柄は許せない。』

許せない自分がいるということを認める、何かを嫌いになる許可を自分に与えるというのは、僕にとって想像以上に勇気のいることでした。

正直、今もまだ道の途中です。

世の中の大半のことはグレーゾーンに属する

僕は十数年以上にわたって「聖書=正義」という教えを徹底され、ありとあらゆるものは例外なく"正義と悪"のように二元論的に捉えることができると信じ込まされてきました。

けれども、世の中の大半のことはグレーゾーンに属するものであるし、愛と憎しみ、正義と悪、宗教と科学、過去と未来などといったものは「相反する概念というよりは、同じものの違う側面である」という認識が正しいような気がしています。

シェイクスピアの『オセロ』よろしく、真実の一部分を悪意を持って切り取れば、正義なんて簡単に歪められてしまうものなのです。

コインの裏表のようにはっきりと分かれているわけではなく、あくまでコインの同じ面を見た人間が勝手に表だ裏だと決めているに過ぎません。

一切の歪みや凹みのない完璧な球体がこの世に存在しないのと同様、絶対的な正義というのも人の思考の中でしか存在することができないわけです。

とはいえ、一度頭の中に形成された世界モデルを創り換えることはとても難しく、どうしても現実と自分の心の中での折り合いをつけるために事実を二元論的にカテゴライズしなければならないシチュエーションも出てくるでしょう。

だからといって別に世の中で起きているすべての事柄ひとつひとつに対して正義か悪かをジャッジする必要はない。ましてや、肉親だから、世話になった人だからといって必ずしもこちらが愛を持って接しなければならないわけでもない。

許せないことに対しては許せなくていいし、嫌いなことは嫌いでもいい。グレーゾーンを持つことの重要性、真の意味で中庸でいることの価値を学んだ気がしました。

嫌いなものが"正しい形"で増えていく心地よさ

実際、僕はカウンセリングを重ねる度、嫌いな人やこと、ものが増えていきました。

いや、増えていったというより、過去に出会った人や触れたもの、体験した出来事について「ああ、あのときの自分は嫌悪感を抱いていたのだな」と再確認するといったイメージですかね。

過去の自分は驚くほど自分に対して無関心で、どこまでも他人事で、心の声なんてまるで最初からないかのように過ごしていました。

間違った行動や言動を取れば問答無用で"教育"が待ち受けているため、幼い僕は仮面を付けて生活せざるを得なかった。

分厚く歪で不気味な笑顔を浮かべる仮面を、重ねて、重ねて、重ねて、重ねて、生きるしかなかった。

15年にも及ぶ"呪い"を解くのは決して簡単なことではないし、意識的に記憶のリフレインもするため、相応の苦痛も伴います。それでも不思議と、嫌いなものが増えていく自分は妙に心地がよかったりするのです。

『"仮面"はあくまで僕を守るために存在してくれていたのだろうし、PTSDも、うつ病も、結局は自分自身を守るために潜在意識が起動させた"自己防衛プログラム"に過ぎなかったのかもしれない』

不思議とこの考えに至った瞬間から一気に心が軽くなり、これまで十数年以上、週3~4回のペースで見続けてきた悪夢もかなり頻度が落ちました。

最後に

正直、宗教の呪いに晒されていた月日は、何度自ら命を絶とうかと思ったか分からないし、神や信者、母に対して激しい憎悪と嫌悪感を抱いていたことも事実です。

「僕は宗教や過去の母親を否定しているわけではない」と前述しましたが、現在進行系で組織を憎んでもいるし、過去の母親のことは嫌いです。神の存在もこれっぽっちも信じていません。

未だに宗教の集まりがあった曜日になると気分が悪くなったり、体調を壊したりするし、テレビやネット記事などで組織名を目にする度に腹の奥底からよく分からない液体が勢いよく飛び出してきそうになります(この記事を書いている行為そのものも正直辛い)。

「否定はしないし、理解もできる。でも、憎んでいるし、嫌い」というのが正直な気持ちではあるものの、最近になってようやく『エホバの証人』のおかしい部分についてメディアでも取り上げられ、それに伴って組織の考えや教義に多少なりとも変化が増えてきたように思うので、その点はきちんと評価したい。

少なくとも宗教の教義として、助かるはずの幼い命が輸血の禁止によって助からないのはどう考えたっておかしいし、重度の精神病を自分たちの子どもに抱えさせることが健全な教育と呼べるのかは甚だ疑問だったので。

現在も母は信者であるものの、過去の教育に関しては反省していて間違いだったと認めています。今となっては、父と母ともに非常に丸い性格になり、僕を含めた3人の兄弟ともに両親との関係は決して悪くないように思います。その点はせめてもの救いなのかなと。

ただ、兄弟の中で現在も宗教と関わりのある人間は一人もいません。何とは言いませんが、つまりはそういうことです。

とはいえ、宗教によって人生をめちゃくちゃにされたことは疑いようのない事実。まだまだ供養しきれていない過去の自分の心が多々あるので、これからも根気強く、心のいたるところにカビのように蔓延る"呪"を滅していく所存です。

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