【人の目を気にしない方法】アドラー心理学「課題の分離」をヒントに学ぶ

「嫌われたくない」
「否定されるのが怖い」
「人の目が気になって仕方がない」

周りからの評価ばかり気にして生きてたら、

『は? 人生つまんな』

ってなったので、「なるべく人の目を気にしないで生きる方法」を考えてみました。

「課題の分離」をする

結論、「自分の課題と他者の課題、混ぜるな危険」です。

他人が自分のことをどう見ていようが、どう考えていようが、どう評価していようが、その見方を変えることは難しいです。

それは他者の課題であって、自分の課題ではありません。

「課題の分離」は、アドラー心理学の中心となる考え方です。『嫌われる勇気』では以下のように説明されています。

まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。

岸見一郎・古賀史健 (2013) 『嫌われる勇気』,ダイヤモンド社,p.150

つまり、「人の目を気にするのって、本当に自分がすべきことなの?」ってことです。

主語はいつだって「自分」にする

「人の目を気にしてしまう」というのは、いわば、主語が「周り」になっている状態です。

それは自分に自信がないことが原因なのか、他者と比較した上で生まれる不足感から来るものなのかは、わかりません。

しかし、自分に対して誰がどう思おうが、どういった評価を下そうが、それは「自分ではコントロールできない領域」のものです。自分の課題じゃなく、他者の課題なんです。

何も、自分勝手に、自己中心的に生きろ、ということではなく、あくまで「問題を切り離して考えようぜ」ってことですね。

他人の家に入ったら、その人に敬意を示すこと。それができないならそこへは行かないこと

『他人の家に入ったら、その人に敬意を示すこと。それができないならそこへは行かないこと。』

これは『悪魔教会』が掲げる11のルールのひとつです。

『悪魔教会』と聞くと、なんだか怪しげなイメージを持ってしまいますが、実際は悪魔どころか神さえ信じていないです。決して、悪魔を崇拝しているようなカルト集団ではありません。

人の目を気にしてしまうというのは、いわば「他人の家、つまり、他人の世界のことを気にしている」みたいなものですよね。

敬意を示せないのであれば、おいそれと関与するべきではありませんし、もし介入できたとしても、そう簡単に変えられるものでもありません。

教会の考え方は実に合理的で、割と日本人が受け入れやすい思想なのかな、と。詳しく知りたい方は以下の記事をどうぞ。

「悪魔教会」が掲げる11のルール|実はとっても合理的?

他人の見る世界を変えるのは超しんどい

他人の目を気にするということは、何かしら自分の願望が根源にあるのだと思うのです。「こう思われたい」、「こう見られたい」、とかね。

別にそれが悪いってんじゃなくて、自分の力で変えられないもので悩むのってしんどいよね、って話です。

自分の世界を生きるのでも精一杯なのに、それを差し置いてまで他人の世界に干渉し、挙句の果てにその世界を変えようとしてるんですから。

周りからの評価を受けることで、自分の価値を見出せることもあるでしょう。「他人の目から見た自分」から、何かヒントが得られるかもしれません。

でも、他人の考えや意見を捻じ曲げることは、そう簡単な話じゃない。

他人の世界を変えるのは、超しんどい。

他人の世界は自分には見えない

そもそも、「他人の見ている世界」と「自分の見ている世界」が同一のものだとは限りませんよね。

もしかすると、僕の見ている赤と、他の人が見ている赤は違う色かもしれません。

でも、『赤はどんな色なのか?』ということはあまり重要ではなくて、赤を赤と認識していればそれでいい。

赤がどんな色だろうと、赤は信号機の「止まれ」であって、りんごの赤、という解釈が一致してさえいれば、争いは起きません。

他人の世界は見ようと思って見えるものではないし、変えようと思って変えられるものではないんですよ。

人間は、脳が作り出した幻影を「現実」と呼んでいるだけ

カントの『純粋理性批判』では、「世界そのものと、人間が見ている世界は別物」だと捉えています。

『どういうこと?』って思ってしまいそうですが、僕たち人間は、自分っていうフィルターを通して世界を見ているに過ぎないんですよね。

例えるなら、DVDプレイヤーでしょうか。DVD単体では映像を観ることはできませんが、プレイヤーにDVDの凹凸を認識させることで、はじめて映像として出力することができます。

「世界」というDVDを、「自分」というDVDプレイヤーで変換し、出力した映像を「世界」として捉えているだけのことなのです。

MINDグループによってオンラインポータルで公開されている一連の研究論文でも、『現実とは、これまでの知識や経験に基づいて脳が作り出したものである』ということが示唆されています。

つまり、生理学的に言えば、人間は脳機能に基づいて世界の像を構築しているだけ。

極論を言えば、人間は、脳が作り出した幻影を「現実」と呼んでいるだけ

「先生……、現実って何でしょう?」萌絵は小さな顔を少し傾けて言った。
「現実とは何か、と考える瞬間にだけ、人間の思考に現れる幻想だ」犀川はすぐ答えた。
「普段はそんなものは存在しない」

森博嗣 (1998) 『すべてがFになる』,講談社,p.357

科学的根拠に基づく事実を知っても、信じたくない人は信じない

イェール法科大学院の教授であるダン・カーハン氏が率いるチームの研究

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では、「科学的根拠に基づく事実を知ったところで、信じたくない人は信じない」ということがわかっています。

Pew Research Centerの調査によると、アメリカ人の33%が進化論を、26%が地球温暖化を否定しているそうです。信じるか、信じないかは、個人の信条や宗教、支持する政党によって大きく異なります。

たとえ正しい知識を持っていたとしても、自分の理念や信条、政治的・宗教的な見解とぶつかる場合には、それを認めたくないのです。

いくら科学的根拠を並べて論理立てて事実を話したところで、信念や偏見の前では無力なんですよ。

ダン・カーハン氏は『「我々のアイデンティティ」と「科学的な根拠に基づく真実」を切り離して考えればいい』とも言っていて、これはアドラー心理学の「課題の分離」にも通ずる話じゃないかなぁ、と。デカルトさんも『難しい問題は、小さく分けて考えようぜ』って言ってますしね。

他人の世界を勝手に再構築することはできない

現実なんてものは、あってないようなものです。たとえそれが真実だったとしても、信じたくない人は信じませんから。

ましてや、他人の世界なんてあやふやすぎて、介入することはおろか、改変することなんて、とてもじゃないけどできません。

他人の世界を勝手に再構築することはできないんです。神サマじゃないんだから。いや、神にだってそんな権利はないはずです。

だから、ちゃんと分けて考える。自分と他者。自分の世界と他人の世界。科学的根拠とアイデンティティ。

他人ヒトの目は他人ヒトの目、と。

まあ、こんなあやふやな世界だからこそ、信じるという行為には価値があるし、信じられるものは貴重なんでしょうけどね、きっと。

自分の皮膚で触れた部分が世界なんですよ。

伊坂幸太郎 (2010) 『砂漠』,新潮社,p.92

現実は経験と知識の堆積物

「他者から干渉されたくない」という気持ちを抱きつつも、心のどこかでは「他者に干渉されたい」と願っている。

「人生を変えたい」という気持ちを抱きつつも、心のどこかでは「誰かに人生を変えてもらいたい」と願っている。

そんな矛盾を抱えて、理想と現実のジレンマに呼吸困難になりながらも、幸せを追い求めながら生きる。それでいいんじゃないかな、って僕は思います。

自分は自分ですし、他人は他人です。他人の本当の気持ちを理解することは難しいし、他人の心を変えることはできません。

現実なんてものは、フィルターを通した偽の世界であって、たかだか経験と知識の堆積物です。「愛してる」なんて言葉と同じぐらい曖昧です。

だから、まずは自分の課題と他者の課題をしっかりと見極め、難しい問題は小さく切り分け、ひとつずつ対処していく他ないと思うんですよ。

自分で気づくしかないのだと思う

いくら他人が「これはこうだよ」と教えてくれたところで、自分に都合の悪いものは排除してしまうのが人間という生き物です。

つまり、人の目を気にしないようにする——、自分の世界を変えるためには、自分で気づくしかありません。

そのためには、まず自分に合った考えや理念を集めて、また世界を再構築する必要があると思うんですよ。

具体的には、自分が心地よいと思うもの、「なるほど」と思うものを集めて、自分の世界をアップデートしていく、みたいなイメージですかね。

「自分で気づく。そして、自分で築く。」ことでしか、「人の目を気にせずに生きる」ことを実現させるのは難しいんじゃないでしょうか。

人の目を気にしない方法まとめ

人の目を気にしない方法まとめ

  • 自分の課題と他者の課題、混ぜるな危険
  • 他人の世界を変えるのは、超しんどい
  • 人間は、脳が作り出した幻影を「現実」と呼んでいるだけ
  • 科学的根拠に基づく事実を知っても、信じたくない人は信じない
  • 他人の世界を勝手に再構築することはできない
  • 自分に合った考えや理念を集めて、また世界を再構築する必要がある

読書から気づきを得るということ

僕の場合は読書が趣味なので、本から気づきを得ることが多いですね。

人によっては、気づきのきっかけが旅行だったり、映画だったり、スポーツだったりするかもしれません。

なので、僕は「読書家=偉い」って考え方にはあまり賛同できません。

どれだけ多くの本を読んでいたとしても、それについて熟考しなければ、本から得た知識を基に行動をしなければ、それは無意味で無価値なものだと思ってます。

読書は、他人にものを考えてもらうことである。(中略)ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く。

アルトゥル・ショーペンハウアー著,斎藤忍随訳 (1983) 『読書について』,岩波書店,p.127-128

とはいえ、本から得た知識は、そっくりそのまま自分の人生に役立てることができるので、気が向いたら読書してみるといいですよ。

すべて良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人びとと親しく語り合うようなもので、しかもその会話は、かれらの思想の最上のものだけを見せてくれる、入念な準備のなされたものだ。

ルネ・デカルト著,谷川多佳子訳 (1997) 『方法序説』,岩波書店,p.13

人の目を気にしすぎる人は「アドラー心理学」が刺さるかもしれない

特に、「人の目が気になって仕方がない」という方は、『嫌われる勇気』を一度読んでみると幸せになれるかもしれません。

この本(アドラー心理学)では、トラウマと承認欲求を否定しています。課題を分離させて考えることで、「必要以上に人の目を気にしてしまう本当の理由」も見えてくるかもしれません。

「読書が苦手……」という方には、オーディオブックで聴いて読む方法をおすすめしてます。

両手がフリーの状態で本を読む(聴く)ことができるので、満員電車の中でも、料理や洗濯の間でも、読書を楽しめますよ。

僕の場合、気に入った作品は書籍とオーディオブックの両方を購入してますが、ここはお好みで選んでみてもいいと思います。

苦労を重ねて途中で本を投げ出すよりかは、すべて理解できなくても楽して読み切ったほうがプラスになりますしね。

オーディオブック聴き放題なら - audiobook.jp


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