先日、1年前にお別れした元彼女さんが亡くなったようです。未だに信じられません。
まだ友人伝いで聞いただけなので、なんというか、実感が湧きません。
正直、このことをブログに書くべきなのか迷いました。それも、元恋人と書くのもちょっとどうなのか、と。
でも、僕は書くことでしかいまの気持ちを表現することができないし、受け入れられそうもない。
彼女は『僕という人間を知り、僕という人間がこのブログを書いていること』を唯一知っているただひとりの人間でした。
以前書いた匿名ブロガーが身バレするとこんな気持ちになるで、僕の素性がバレた張本人です。ここでは仮にMとします。
ちょっと気持ちを整理する意味でも文章にすることにします。今は、2016年9月7日22時27分。
直筆のサイン入りCDは、もう——
Mとは1年半ほどお付き合いさせて頂いていて、お互い嫌いになったというよりかは歯車が合わなくなってしまって別れたという感じ。結局は僕のほうから別れを告げる形になったのですが。
それから1年ほどは連絡はほとんど取っていませんでしたし、会うこともなかったです。
今年に入ってからちょくちょく連絡を取り合うようになり、少しずつ友人の関係に戻って行きました。復縁するというわけではなく、ただ、お互いをよく知る友人として。
Mは歌うことが好きな女の子でした。
最近では自作した歌をLINEなんかで送ってくれたりして、「今度サイン入りのCDを売ってあげるよw」なんて話していたり。そのCDを発売したイベントもつい先月末の出来事です。
僕は用事があってそこには行けなかったんですよね。
11月に3マンイベントも企画していたようで、そこには顔を出すつもりでした。でも、それはもう叶わないんだなあ、と。ステージで歌うMの姿は一生見れないんだなあ、と。
思えばいままで一度も見たことがありませんでしたね。悔しいなあ。
死を受け入れられないということ
僕は6年前にも大切な友人を失ってます。
当時、僕は18~19歳ぐらいで、亡くなった彼は22歳だか23歳だか。ちょうどいまの僕の年齢ぐらいですね。
そのときもまったくその友人の死を受け入れられなくて、4年ほど墓参りにさえ行きませんでした。
受け入れるのにめちゃくちゃ時間がかかるんですよね。で、不思議と悲しい気持ちが遅れてくる、というか。
悲しい。たしかに悲しいんですが、そこまで絶望的に悲しくはないんですよ。
彼の葬式でも涙が出なくて、横たわる友人のきれいな顔を見てやっと少し実感が湧いたかな、という感じ。薄情なのか、なんなのか。
きっと死を受け入れられない、ってこういうことなんだろうなあ、と。その存在が自分に近ければ近いほどそうなのかなあ、と。
でも、きっとこれはどうしようもない現実なんです。心のどこかでもうそれは分かってる。
『あぁ、もうMはこの世にいないんだな』となんとなく感じるんです。
Mとはちょくちょく連絡を取っていて、いまでもLINEのトーク画面にはMとのトーク履歴が残ってます。昨日、メッセージを送ってみたけど一向に既読はつかない。
正直、いまでも『嘘だろ?』って思ってます。もしかしたら、いまもどこかで生きてるんじゃないか、って。たまたまスマホの調子が悪くて、体の調子も悪くて、だれにも連絡が取れないだけなんじゃないかって。
発覚までの流れはこうです。
Mと仲の良い女の子が一向にLINEの既読がつかないことを不審に思って、Mが働く居酒屋の店長に連絡。その店長だか、いまの彼氏だかがMの家を訪れる。
すると、もう家の周りにはたくさんのパトカーとMの親父さんが——、という感じだったらしいです。
Mはひとりでなんでも抱え込んでいっぱいいっぱいになっちゃうタイプ。
きっと、いまの彼氏にも、仲の良い友達にも言えなかったのかもしれない。相談していたとしても、どうにもならなかったのかもしれない。
家庭の事情が複雑で、いろいろな問題を抱える女の子だったM。最近では「うつ病」になってしまったともいってました。
Twitterでも、ブログでも、その変化はきっとあった。心の声を、直接的ではないにしろ一生懸命叫んでたんだと思います。
気づけなかった自分の無力さを責めることは簡単です。気づいていたとしても、どうすることもできなかった自分の無力さを責めることは簡単です。
でも、Mはきっと『そうじゃねえだろ』って怒ると思うんですよ。
僕の命の恩人
いまから2~3年前、僕は人生のどん底を味わっていました。文字通り、どん底。
川で寝そべり、アホみたいな量の酒を飲み、気がついたら首元まで川の水に浸かっていました。まあ、オブラートに包んでいっちゃえば未遂ってやつです。
自分も周りに心のさらけ出せずにひとりで抱え込んでしまうタイプなので、いつの間にか大きなストレスを抱え込んでいたようなんですよね。
そのときに僕の命を救ってくれたのがMでした。
これまでの僕の言動や行動から異変を感じ取っていたMは、しつこいぐらいに連絡をしてきました。「もういいよ」と言っているにもかかわらず電話をかけてくる。
これにはもう自分の心をさらけ出すしかないな、と。
Mの電話に出て、水に浸かりながら大号泣。大人の男が川に入りながらワンワン泣いて電話をしている光景はとてもシュールに見えたはずです。
ともかく、そこで自分の気持ちをすべて吐き出し、『ああ、僕はなにをやっているんだろう』と踏みとどまることができたわけです。
Mは僕の命の恩人だったんです。
次に会うときは──
たぶん。
乗り越えるのには時間がかかる。きっと、かなりの時間がかかる。
そして、この悲しみは一生背負っていかなくてはならない。
それでも僕らは生きなきゃいけない。息をして、前に進んでいかなきゃならない。
うまく言えませんが。まだ気持ちの整理さえ、なにが起きたかの把握さえできていませんが。
それでも『いま、僕は幸せだぞ』と見せていくべきなんだと思う。彼女に、彼に、みんなに。
専門学校時代の友人のKも、僕についてきてうちの猫になったIも、そして、僕の命を救ってくれたMも。
みんなの分も生きる、だなんてそんな話じゃありません。
ただ、僕たちは幸せに生きていくべき理由があって、使命があって、夢がある。
正直、いまは『前に進もうよ』だなんていえたもんじゃないです。
自分にだって、だれかにだっていえない。いえるわけがない。
黙って隣にいて、その子がいなくなってしまったんだってことを一緒にゆっくりと受け入れていくしかない。これには近道も、裏技も、忘れる技術なんてものもない。
僕は無宗教で、復活とか、生まれ変わりとか、輪廻転生とかの類はわかりません。
でも、できるなら、もう一度、大切な人たちと笑って話したい。
この宇宙のどこを探しても、死んでしまった人たちは見つからない。
人の記憶に思い出として残るだけ。残るだけだけど、その想いは一生消えない。
いま思うことは、大切な人は大切にすべきで、一緒にいたい人とは一緒にいるべきなんだってことです。
そして、好きな人には好きとちゃんと伝えること。会いたい人にはすぐ会いに行くこと。これに尽きますよ、本当に。
次に会うときはお互い笑って話せりゃいいな、と心から、そう思います。
追記:2021年12月19日
この記事を書いてから約5年が経ちました。訃報を聞きつけ、Mの顔を見に行って『ああ、事実なのだ』とその場で泣き崩れながら、実感しました。
なんの運命の悪戯か、お世話になった先輩の結婚式とMの葬式が重なり、僕はMの通夜だけ行き、次の日は先輩の結婚式に行きました。冠婚葬祭の婚と葬が重なるのは二度と御免です。
その後は現実から逃げるようにして、群馬の雪山にこもり、自転車で日本中を旅し、セブ島へ留学し、フィリピンに移住し、現地の人とツアー事業を立ち上げ、ハワイでオープンカーを乗り回し、キャンピングカーでアメリカ大陸を横断し、富士山に登り、引きこもりニートになり、奇しくもMと同じ「うつ病」になりました。
この5年はもうなにがなんだかわからないぐらい人生が大きく動いて、やっぱりそれでもMは記憶の中にまだ生きていて、いまだに夢に出てきたりもします。
現在僕はうつ病の療養中で、ふと訪れる希死念慮とも向き合っています。状況はちがえど、もしかしたらMはこういう気持ちだったのかもしれない、と少しだけ──本当の意味でMが闘っていた病気に対する理解が進みましたね。
僕の心にはずっと「なにか大切なことを忘れているような感覚」があって、きっとこの感覚はこの先もずっと続いていくんだろうと思っています。そして、この心にぽっかり空いた穴は死ぬまで埋まらないんだろうな、とも。
この「心に空いた穴はきっとこの先も埋まらないだろう」という感覚のことを人は「悲しい」と表現するのかもしれませんね。5年経っても、やっぱり悲しいね。
追記:2024年10月7日
この記事を書いてから約8年が経ちました。公開してから文章は一切いじっていません。当時の気持ちを手を付けず、残しておきたいから。そして、ひとつ気付いた。
大事なこと、どうして書いていないのだろう──。
実は、Mの訃報を聞いたあの日から1週間後、僕とMは一緒に遊びに行っている予定だったんですよね。だって、その数日前までLINEで「埼玉県の長瀞でライン下りしよう」なんて話してたんだから。
そのとき彼女は何も言わなかったんですが、このとき、Mには付き合っている彼氏がすでにいたんです。僕はそのことを知らなくて。それを知ったのは、Mの訃報を知ったときで。しかも、彼氏の方から伝えられるわけですよ。「MのLINE見たよ、君はさいごまでMの中にいたんだね」と。いや、心境、複雑すぎる。
だから、ずっと僕は自分を責めていた。僕の余計な誘いがMを追い詰めてしまったのではないか──と。今となっては真実はわからない。誰も誰かの心は覗けない。
そして、僕はうつ病になってカウンセリングに通うようになり、そこで初めてこのことを誰かに話したんです。今まで自分でも目を逸らしていたのか、あれから5年以上も経って、ようやく心の中にあったドス黒く、こびりついて離れない罪悪感に気付くことができた。誰かに話すことで自分の心の闇に気付いた。ちょうど、上の追記を書いた、そのあたり。
あのときの彼氏さんも、カウンセラーの先生も「あなたの責任ではない」と言ってくれたけど、未だに年に数回、Mが夢に出てくるあたり、僕はまだその罪悪感を完全には下ろせていないのかもしれない。それでいい気もするし、それではだめな気もする。
でも、たまに夢に出てきてくれるおかげで、顔や仕草を鮮明に思い出せる。それでいい気もするし、それではだめな気もする。
8年──。長いようで、短い時間。僕はずっと考えている。きっと正解はない問いを、考え続けている。俺、また音楽、始めたぞ。