うつ病と複雑性PTSDを発症してからというもの、驚くほど「1日の行動可能ターン数」が激減しました。
現在は寛解期に入り、以前に比べてだいぶ症状は落ち着いているものの、まだ日によって調子に波があります。
悪夢、季節、花粉症、気圧、砂糖の摂取量、カフェイン、気温、服装、ニュース、SNSなど──。
こうした様々な要因によって、まるで"別人格の目覚め"のような気持ちの浮き沈みが日めくりカレンダーの如く襲ってくることも珍しくありません。
調子の波は思春期の乙女心のように移り変わりが激しく、いついかなる顔を見せるのか予想することは非常に困難です。
翻弄され、期待し、裏切られ、絶望し、不安を感じ、焦燥感を抱き、再び翻弄される──。毎日、ひたすらこれの繰り返し。
調子が良くなってきたかと思えば、次の日にはストップ安がかかるほどの急激な気持ちの下落を見せるし、調子が最悪かと思えば、夜が近づくにつれて徐々に気持ちが復活していき、ちょうど寝る時間帯になって目がギンギンに冴えてしまう。はっきり言ってクソすぎる仕様。
しかし、こうした生温い地獄の中においても「できること」はあります。むしろ、こうした中でしか獲得できないスキルと言い換えても良い。
少なくとも僕は、この考え方で、通院・投薬・カウンセリングを続けながら、新たな習慣を確立し、目標を達成し、結果を残すことに成功しました。
その考え方というのは、ずばり「調子が最悪な日でもできることを続ける」ということ。
午後過ぎまで布団から出られない、あるいは風呂に入るという思考そのものが空の彼方へ消えてしまっているほど調子の悪い日でも──。
とにかく、調子が最悪な日でもできることを続ける。他のことなんてどうでもいい。ただこれだけを守る。
精神を病んでいるときというのは、ただでさえ気持ちが沈み、ネガティブな感情が渦巻き、絶望的なまでに「できないこと」が増えていきます。
しかし、もし仮に、そんな地獄の中でも「できること」や「続けられていること」がひとつでもあったとしたら──。
うつ病の療養とドルコスト平均法の共通点
その日の僕は、午後4時を過ぎても布団から這い出すことができず、飲まず食わずの状態で、尿意を我慢しながら部屋の天井の模様で迷路をしていました。
いい加減に起きなくては、何かしなくては、本当に良くなるのか、こんな状態で未来に希望はあるのか──。
そんな、床から生える見えない無数の黒い手に心身を束縛されているような状態で、どっぷりと不安と焦りと絶望に浸っていたときのこと。
ふと、こんな考えが浮かんだのです。
「──うつ病の療養と投資には共通点があるな」
どういった思考回路が働いたのかは不明ですが、以前に読んだ本多静六の「私の財産告白」やバートン・マルキールの「ウォール街のランダム・ウォーカー」の内容が急に想起されました。
それらの本の内容はほとんど忘れてしまったものの、妙に「ドルコスト平均法」の知識だけが鮮明に思い出されたのです。
ドルコスト平均法は、投資手法のひとつであり、価格が変動する商品に対し、常に一定の金額を定期的に購入することを指します。
言い換えれば、購入金額を平均化することによってリスクを抑える方法ということです。
短期的なハイリターンを狙うことには向いていないものの、長期的に見れば「複利」の効果によって雪だるま式にリターンを期待できます。
なぜこの手法が有効なのかというと、市場というものは、上昇や下降を繰り返しながらも、基本的には長期的に見て右肩上がりに成長していくものだからです。
重要な点なので、もう一度言います。上昇や下降を繰り返しながらも、長期的に見て右肩上がりに成長していくもの。
何かに似ているとは思いませんか。──そう、調子の波と非常によく似ているのです。
うつ病の療養を「長期的に見れば右肩上がりに成長していく市場」と捉えてみると分かりやすいでしょう。あるいは、習慣や人生といったものでも構いません。
こうした"チャート"は、データとして見たとき、必ずいくつかのステージもしくはフェーズに分かれます。
調子の良いときもあれば、悪いときもあり、さほど変化が見られない時期もあります。そして、その未来を完全に予測することは不可能です。
例えば、うつ病には大きく分けて以下の3つの期があります。
・急性期:症状が最も強く出る
・回復期:症状が徐々に改善する
・再発防止期:症状は安定するが、再発のリスクがある
ただし、これらは「後から振り返ってみて初めて判断できること」なので、その場その場で正確に今の自分の場所を特定することはできません。
つまり、うつ病の療養中における調子の波は、株価の動きと非常に似た性質を持っているということです。
ここで有効なのが、ドルコスト平均法という考え方です。ドルコスト平均法は、価格が変動する商品に対し、常に一定の金額を定期的に購入する方法でした。
これをうつ病の療養に置き換えると、「日によって変動する調子の波に対し、常に一定の行動を定期的に行なう」となります。
しかし、うつ病はその特性上、調子の波の振り幅が大変大きい病気です。よって、上記の一文に以下の修正を加えます。
「日によって変動する気分の波に対し、"調子が最悪な日でもできること"を定期的に行なう」
0.5歩を積み重ねるということ
僕はうつ病の治療として通院と投薬を始めた当初から、医者から「散歩」をするように言われていました。
しかし、当時の僕にとって散歩をすることは、例えるならば、毎日高さ100mのバンジージャンプをしろと言われているようなもので、とても続けられそうなものではありませんでした。
太陽の光を浴びて散歩をすることは、ビタミンDの生成、体内時計の調整、セロトニンの分泌促進、ストレス軽減など、多くのメリットがあります。
しかし、そもそもの話として、まず朝きちんと起きられていないし、起きられたとしてもすでに太陽が業務を終える2~3時間前がせいぜいでした。
散歩という行動ひとつ取っても、朝起きる、ベッドから出る、カーテンを開ける、歯を磨く、顔を洗う、着替える、靴を履く、玄関を開けるなどなど、数多くのハードルがあるわけです。
いや、朝起きられねーのに無理だろ、そんなん。
ここで方程式「日によって変動する気分の波に対し、調子が最悪な日でもできることを定期的に行なう」の出番です。
僕は、散歩を習慣化するため、まず、「何時に起きてもよいから、目を醒ましたらベッドから出ること」を日々の目標にしました。
目を醒まし、寝転がりながらでもベッドから出られたら、また戻って寝ても良いし、そのまま起きても良い。そして、それができたらその日は他のことは一切頑張らなくて良い──としたのです。
そうした小さな0.5歩を、ひとつの行動につき5日から1週間ほど続け、どんなに調子が最悪な日でも「できること」がひとつでも多くなるよう、じっくり、しかし着実に積み重ねていきました。
1.目を醒ましてベッドから出られるようになったら、2.カーテンを開ける。カーテンを開けることができなかったとしても、決して自分を責めず、また1.に戻る、という風に。
早く治したいという焦りや将来の不安、希死念慮は、すべて放置。そういったネガティブな感情は消そうと思って消せるものではないので、目の前をただ通り過ぎる車を眺めているようなものとして捉えるか、どうしても辛いときは眠剤を口に放りこんでひたすら寝ていました。
そうしてひとつずつ行動を積み重ねていった結果、ムラはあったものの、2~3ヶ月で5分程度の散歩に出られるようになりました。
正直に告白すると、いくつかのハードルをすっ飛ばしたことが成功の要因だったかもしれません。
具体的に言うと、夜に「朝起きてそのまま外に出られる格好」で寝てしまい、朝起きてからカーテンも開けず、着替えず、歯も磨かず、顔も洗わず、そのままの状態で靴を履いて、玄関を開け、散歩に行くようにしたということです。
その工程も一気に日常に取り入れるのではなく、ただ「靴を履く」だけの時期、ただ「玄関を開ける」だけの時期、ただ「外に1歩踏み出す」だけの時期を経ました。
おそらく、その行動を目にしたら、100人中99人が「馬鹿らしい」と言って笑うでしょう。いや、実際、僕自身そう思ってた。馬鹿らしい、と。
なのに、今ではどうか──。結果、もう3年以上「朝散歩」を継続できています。それだけでなく、瞑想・読書・家族へ夕食を振る舞うことも習慣として定着しています。これは、単に病気が改善したからというだけでなく、たったひとつの方程式に従ったから得られた結果だと思っています。
「日によって変動する気分の波に対し、調子が最悪な日でもできることを定期的に行なう」
この方程式は様々な場面で、様々な目的に応じてカスタマイズが可能なので、非常に使い勝手が良いのです。
人生や習慣においても有効
「日によって変動する気分の波に対し、調子が最悪な日でもできることを定期的に行なう」という公式は、習慣作りにおいても、人生においても有効に機能すると僕は考えています。
どのような状況・場面・環境にも、想定外やイレギュラーは付き物であり、その時々のあらゆる能力・思考・信念・目標・選択は様々な要因の影響を大いに受けます。
そんな中、お金、時間、モチベーションなどといった常に変動する指標を軸に意思決定を行なうことは、抱えているリスクの割にリターンがさほど大きくないものと考えられます。
「お金がなくてもできることは何か」「時間がなくてもできることは何か」「モチベーションがなくてもできることは何か」
そういったことを考えることがまず第一歩なのだと思いながら、僕は日々、万華鏡のような精神からもたらされる調子の波を乗りこなしているのです。