やらない後悔よりやって後悔?念願は「今の心を願う」と書くのだよ

僕はいままで後悔ばかりしながら生きてきました。

大切な友人を亡くしてしまったとき、大切な愛猫を亡くしてしまったとき、学生時代にいじめに遭ったとき、とかとか。

で、あるとき気がついたわけです。

あぁ。僕はやってしまった後悔よりも、やらなかったことに対して後悔するタイプなんだな』と。

よく「やらない後悔よりやって後悔」なんて言いますが、どうやら僕はあれがモロに当てはまる人間だったようです。

「どうしてあのとき優しい言葉をかけてあげられなかったのかな」とか「どうしてあのとき会いに行ってやれなかったんだろう」とか「もっとたくさん話しておけばよかった」とか思っちゃうわけですよ。

大事な何かを失ってようやくその大切さに気づくんです。人間ってやつは本当に不器用で、バカで、不条理だから。

でも、それは仕方のないこと。

今回は「やりたいことがあるならいますぐやっとけ、会いたい人がいるならいますぐ会いに行け」っていう話です。

いつだって僕は「やらなかった自分」に対して後悔をしていた

僕が後悔していたのは、いつだって「やらなかった自分」。

大切な何かを失ったことに対する悲しみや悔しさよりも、「行動しなかった自分」に対しての後悔が強いんです。

なんだかんだ言って、自分が一番可愛いわけです。残念なことに。

僕が行動していれば結果は変わっていたんじゃないか、って心のどこかでいつも後悔してるんです。

「自分ならもっとやれたんじゃないか」、「自分なら何か変えられたんじゃないか」って、過去の自分を過大評価してるんです。

あめぎ
自分ならもっとやれたんや……。自分なら何か変えられたんや……
まなき
過去の自分を過大評価しすぎじゃない?

本当はそんな勇気も持っていないのに。だから過去の自分は「やらないこと」を選んだのに。

あとからならいくらでも、なんとでも言えます。でも、そのときはそのときにしかやってこないし、同じ日はもう二度とやってこないわけですよ。

『じゃあ、後悔ってなんなんだ?』って思ったときに、僕はただの言い訳、慰め、逃げ道っていう結論に辿り着いてしまったんです。

もしかしたらこれは間違った考え方なのかもしれないし、偏った考え方なのかもしれません。

人生において後悔しないってのは無理な話かもしれません。それでも僕は「やって後悔する」ことを選んだんです。

最善の策を考えると同時に、一番最悪なパターンも考えてしまう

ハッキリ言って、僕は心配性です。不安症です。完璧主義者です。

自分の思い通りに事が進まないと気が済まないし、あることないこと考えて自分で自分に鎖を繋いじゃうタイプです。

それが僕のコンプレックスでもあり、後悔してしまう一番の原因でした。

控えめに言っても、僕はネガティブで被害妄想が強く、どちらかというと頭が回るほうの人間です。

自慢じゃありませんが、「あ、こいつ僕のこと嫌ってるな」っていう予感は今のところ8割り型当たってます。

どういう言葉をかければ相手が喜ぶか、相手が何を求めてるか、どんな対応をすれば心を開いてくれるかってのもなんとなく分かります。

それだけに、行動を取ることが億劫になってしまうんですよ。

「もし違っていたら?」「もし失敗したら?」「もしそうならなかったら?」「もし天候が崩れたら?」「もし通り魔に襲われたら?」

頭の中は常に「予想外の出来事が起きたとき」のこと。もしくはそれに対する処置や対策のことばかりです。

これじゃあまともに動けるはずがないです。

常に最善の策を考えているはずが、同じぐらい最悪なパターンも考えちゃうわけですからね。

だから僕は「略してとりてみ」というブログをはじめた

僕は自分の思考回路の一部を捨てることにしました。

具体的に言うと、「考える」っていうプロセスをごそっと省き捨てることにしたんです。

「考えて悩んで行動が制限されてしまうくらいなら、いっそのこと考えるのをやめてしまおう」と思い立ったわけです。

「ただそう思っただけ」では、これまでと同じことの繰り返しになるのは目に見えてました。それはこれまでの経験から十分理解済み。

『ならばいっそ、ブログにでも書いて発信してみりゃ嫌でも行動するようになるんじゃないか?』

そう思って立ち上げたのがこのブログ「略してとりてみ」です。

"とり"あえずやっ"てみ"る、略してとりてみ。もう考えるのなんてやめて、「とりあえずやってみる」ぐらいの勢いで行動してみなよ、っていう自分に対しての宣戦布告でした。

だから別に、このブログを読んでいる人に対して「結果なんて気にしないでとりあえずやってみなよ!」っていうメッセージを送ってるわけじゃないです。

やりたきゃ勝手にやればいいですし、やりたくないならやらなきゃいい。

ぜひ僕が発した言葉なり何なりを、自分の都合の良いように解釈しちゃってください。頭の中で改変しちゃってください。

それでもし、ちょっとでも前に進めたんなら、僕はそれだけで最高に幸せです。一番生きててよかったと思う瞬間です。焼肉おごります。

いつどこでなにが起こるかなんて誰にもわからない

当たり前のことをそれっぽく言うと、なんとなくありがたみが増すと思いませんか?

でもこれってあんまり現実味がないですよね。特に安全で平和な日本って国じゃ。

日本だって例外じゃないです。

いつ地震が来るかもわからないし、通り魔に刺されるかもしれない。強盗に命を奪われるかもしれないし、突然病気に体を蝕まれてしまうかもしれない。

危険なんて身の回りに腐るほど転がってます

実際、僕も自転車を漕いでいて何度も「死ぬかと思った」ってときがありますし。

もし自分の身に不幸が起きたときに、やっぱり一番後悔するのって「後悔したことへの後悔」だと思うんですよ。

つまり、「やらなかったときの後悔」をしてしまうと思うんです。

だから僕は考えるのをやめた。悩むのをやめた。

「何が起きるかわからない=怖い」ってのは当たり前の思考です。

だからと言って、フルスピードで走っているのにブレーキをかけないなんてのはあまりにもバカで命知らずです。

僕は出発前のブレーキを外しただけ

もしこの先の道が寸断されていたり、間違った道に進んでいたりしたときに、いつでもブレーキがかけられるように準備だけはしっかりしてます。

間違ったっていいんです。失敗したっていいんです。そのときは謝るなり、引き返せばいいんです。

中学生の頃からずっと夢だった「旅」へ

僕はいま、中学生の頃からずっと夢だった「自転車日本一周」の旅に出ています。

これも「やらないで終わってしまう」ことが怖くて、半ば強引に出発しました。紛れもない僕のやりたかったことです。

だから不思議と後悔ってものはなく、「失敗したらそんときはそんとき」ぐらいの気持ちで自転車を走らせてます。

もし死んでしまったら、これから美味しいものも食べれないし、きれいな景色も見れないのでとっても嫌です。

でも僕は、これからもきっと「自転車で旅になんて出なけりゃよかった」だなんて思わないです。

「旅に出たくて出た」ってことで満足しちゃってるんですから。

それでもやっぱり家族とか友人とかが悲しむと思うので、死ぬ気はさらさらありません。安全運転でいきます。

それに、「もっと親孝行しときゃよかったな」とか「もっとみんなでお酒飲みたかったな」とか結局後悔すると思いますしね。

追記:さらなる飛躍

自転車旅行を終えた後、セブ島へ留学へ行き、フィリピンへ移住し、フィリピン人とツアー会社を立ち上げ、マレーシアとタイに旅行へ行き、オープンカーでハワイを一周し、キャンピングカーでアメリカ大陸を横断し、タイムズスクエアで新年を迎えました。

本当に、すべて勇気出してやってよかった。

やりたいことがあるなら今すぐやっとけ、会いたい人がいるなら今すぐ会いに行け

別に、死ぬとか死なないとかの話じゃないです。

やりたいことを先延ばしにしてたら、その間にいろいろと不安になっちゃって結局やらずに終わっちゃうんじゃないかなって思うんです。

会いたい人がどこか遠くに行ってしまうかもしれないし、「会いたい」ってときは自分か相手が一番辛いときかもしれないんです。

伝えたいときに伝える。言いたいときに言う。やりたいときにやる。

なんだかんだ、これが一番大事なんですよね、きっと。

「会いたいです」って連絡入れるだけでも違うと思います。お世話になってる親や友人に「いつもありがとうね」って伝えるだけで違うと思うんですよ。

好きなら好きで、嫌いなら嫌いでいいじゃないですか。それが自分の素直な気持ちだったら、人の目なんて気にしてる場合じゃないです。

いいですか?「念願」ってのは、今の心を願うって書くんです。

過去に囚われたり、未来を恐れたりしてたら、心と体が離れ離れになっちゃいます。考えるべきは常にです。

まとめ

だらだら喋ってきましたが、とどのつまりこういうことです。

あめぎ
楽しくいこうや

ただでさえ息苦しい世界に生きてるっていうのに、どうでもいいことで頭を悩ませる必要はないです。

僕は真のバカになることはできませんが、バカのフリして生きてます。考えるってプロセスを省いて無理矢理自分の思考を捻じ曲げてます。

これが案外効くんです。"フリ"をしているだけでその存在に近くなってくるから人間って不思議。

他にも「ネガティブな言葉は極力使わない」「人の悪口を言わない」「自分が悪いと思うことはしない」「感謝を忘れない」ってのはいつも心がけてます。

このブログを立ち上げたときにそう決めました。

もっと言うと、このブログは「僕がサボらないようにみんなに見張ってもらう」ために作ったと言っても過言ではないです。

なので、「略してとりてみ」を読んでくださっているみんなには本当にいつも感謝してるんです。

ま、そんな感じです。外は雨が降ってます。