人生にあるのは「トレードオフ」の問題だけである

何かを選ぶということは、他の数百万もの選択肢を選ばないことである──。

この明白な事実を本当の意味で頭から理解でき、心から実感できたのは、ここ数年のこと。

ある日、急に幼少期のトラウマが呼び起こされ、今まで闇の奥深くにあった封印されし記憶がついぞ扉を蹴破って顔を出したのは、僕が27歳のときでした。

精神科を受診したところ、うつ病とPTSDを併発していることが判明。どうやらその原因は15年にも渡る宗教による束縛と中学時代の3年間に及ぶイジメだったようです。

宗教二世の苦悩に関する話題は今でこそメディアなどで問題になっていたりしますが、自分に限ってはその"虐待"を受けていた自覚さえありませんでした。

あまりに大きな傷を抱え、あまりに多くのものを失ってきた僕の脳と身体は、現実と向き合うことよりも記憶の封印を選んだ。ただ、それだけのこと。

30歳という節目を迎え、うつ病による症状もほとんどなくなった今、別に過去のことを悔やんだり、恨んだり、憎んだりといったことは一切ありません。

なぜなら、人生にあるのは「トレードオフ」の問題だけだから。

トレードオフ

トレードオフとは、何かを得ると、別の何かを失う──といった相容れない関係のことで、一得一失に近い概念です。

確かに、過去に目を向ければ、失ったものもたくさんあると感じるでしょう。

しかし、どんなに後悔したとしても、過去は決して戻らないし、手に入るはずだった経験も、いなくなってしまった大切な人も、捨ててしまった卒業アルバムも返ってはこないのです。

ただし、その代わりとして手に入ったものもあるはずなのです。それは、明確な何かであるとは限らず、他の人から見たらゴミクズ程度の価値しかないと判断されてしまうものかもしれない。

自分では「代わりに手に入ったものなどない」と思っていても、必ず何かしらあるはずなのです。トレードオフは避けようと思って避けられる類のものではないから。

ビルボード

僕は普段そんなに音楽を熱心に聴くタイプの人間ではありませんが、2024年1月のある週のBillboard JAPANを見てみたら、TOP10の中に知っている名前が2~3組ありました。

"知っている"とは言っても、過去、バンドをやっていた時代に同じ企画やイベントに出たとか、何度かお話ししただけ、とかそんなものですが。

とはいえ、国内ビルボードのトップ10に3組もそういった方々がいるのは、かなりレアなことなのかもしれません。

普通、自分が過去にバンドマンをやっていて、どこかで関わりのあった人が紅白に出ていたり、アニメのOPに抜擢されていたり、アルバム売上ランキング上位に入っていたら、程度の差こそあれ『クソッ、自分もあの場所にいたかもしれないのに』と思うはずです。

何を隠そう、僕自身がそうでした。──ただ、悔しいだとか、憎いだとか、嫉妬、後悔、そういうものではなく、純粋な過去の分岐点としての「自分があの場所にいたらどうなっていただろうか」という好奇心に近い感情です。

仮に"運命"なる存在が、僕が選ぶすべての選択肢を「紅白に出られるまでのフローチャート」として強制コマンド実行したとしても、きっと僕はどこかでバンドをやめていたことでしょう。

前述した通り、僕には幼少期からの封印されし胸糞ヒストリーがあり、いつそれがデビルズフェイスとしてコンニチハするか時間の問題であったからです。

そもそも、僕はどちらかと言えば、自ら進んで前に出るタイプでもないし、有名になりたいわけでも、お金持ちになりたいわけでもなかった。

それは、今までの経験、例えば、自転車で日本中を旅して毎日のように適当な公園にテントを張って過ごしていたこと、ブログ運営でたまたま大金が手に入って海外をぶらぶら遊んでいたこと、フィリピンに留学しに行ったついでにツアー会社を立ち上げたこと、キャンピングカーでアメリカ大陸を横断したこと、などから学んだことです。

学んだ、というよりは体験を通して改めて「ああ、自分はただ自由に、平和に暮らしたいだけの人間なのだな」と再認識したと言ったほうが適切かもしれません。

しかし仮に、僕がバンドをやめずに音楽を続けていたとしたら、上記のような体験は何一つ得られなかったのです。

つまり、ブログ運営を仕事にすることも、自転車で日本を旅することも、海外に行くことも、会社を立ち上げることも、アメリカ大陸を横断することも、富士山に登ることもなかった、ということ。

まさに「人生はトレードオフの連続」というわけです。

少なくとも僕は、"たられば"の話は酒の肴になるのが精々だと思っているし、どんなに自分の知り合いに有名人がいたとしても「で──。お前は結局何をしたの」と思ってしまうタチだし、大事なのは今この瞬間であってこれから、と思いながら毎日を生きています。

等価交換

ブログを書くことに1時間使うのだとしたら、その1時間を映画に回すことはできない。缶ビール1本に300円使えば、その300円を貯金に回すことはできない。

トレードオフは日常の、世界のありとあらゆるところに存在し、切っても切り離せないものです。

話の通じない人を相手にするのは明らかに時間を無駄にする行為であるし、呪霊と対峙することでSAN値が急激に減少してしまうことも往々にしてあるでしょう。

僕にとっては、芸能界の誰が結婚しようと、不倫しようと、何を上納しようと、多目的トイレでナニをしようと、ひたすらどうでもいいこと。

SNSでは毎日のように火の手が上がっていたりしますが、大抵の場合、主語になっている言葉の定義が人によって違うか、単に誰かを蹴りたいだけの人間が群がっているだけです。

少なくともあんな魔窟では真の意味で建設的な議論など到底できないし、もしできていたとしてもそれは見せかけであり、幻想であり、集団幻覚の何かだと思っています。

つまり、どうでもいいことに時間を使った分だけ、必ず失っているものはあるということ。それがお金なのか、心なのか、脳のリソースなのかは分かりません。

ただ確実に何かを支払っていることは間違いないのです。この世の原則は等価交換であるのだから。ああ、Xアカウント消して本当によかった。