うつ病になって学んだ3つの成功哲学

28歳でうつ病ならびにPTSDと診断され、実家での療養生活を始めてから約2年半が経ちました。

症状が酷いときは、風呂に入る気力すら湧かず、1日14時間以上眠らないとベッドから起き上がる体力さえ回復しない始末。

寝れば悪夢、起きれば希死念慮。まるでアクセルを踏んでいるのにブレーキが全開で作動しているような、生きながら溺れているような、そんな感覚。

しかし今は、そんな日々からもなんとか脱し、本当の意味で人生が好転し始めたと感じています。

正直、この2年半はクソみたいな──いや、文字通りクソな日々でした。

そんな中でも「成功」を収めることができたことは、自分の中で大きな自信になりました。

問題は、やる気でも体力でもなかった。マジでちょっとしたコツだけ。

そういう意味では、病気になった価値があったように思います。これは、ただの強がりかもしれないけれど。

成功を手にしたときの共通点

今回この記事を書こうと思った一番の理由は、4年前のアメリカ大陸横断中にふと思いついた「夢」がいつの間にか叶っていたから。

別に自慢するつもりのないので具体的に何をしているかは明言はしません。ただ、そのときの自分に今の状況を言っても信じないことは確かです。

病気の療養中だったにも関わらず、経験も知識も信頼もゼロの状態から約3年で夢が叶った──。

この事実は、僕の中でぼんやりと形成されつつあった「成功の法則」の確信度をぐっと高めてくれました。

これまでの人生においても、自転車で日本中を旅したとか、海外で会社を立ち上げたとか、ブログからの収益だけで学費ローンを全額返済したとか、そういう種類の成功がありました。

今回まとめる3つのポイントは、そうした「僕の人生における成功の共通点」とも言えるべき哲学です。

1.不要なものを手放す

これは物質的なモノから、固定観念や悪習慣、常識といったものを含みます。

療養中は、おそらく健常者(健康である人)の10分の1すらも力を発揮できないビッグデバフ状態だったため、自然と不要なものを手放さざるを得なかったのです。

例えば、仕事や人間関係、重要だと思っていた作業、行動、思考、信念、思想など、ですね。

「結婚はするべき」「家は買うべき」「年収が多いほど偉い」「ブランド物の服でないと見下される」「車は絶対に必要」

はい、クソ。

「実家暮らしはダサい」「人生が上手くいかないのは過去のせい」「どうして自分だけ」「アイツは成功していて羨ましい」

はい、クソ。

「寝る間も惜しんで頑張らなければ成功できない」「有名にならなければならない」「努力して何者かにならなければ」

はい、クソ。

人生において何を優先するかは人それぞれであり、信念や価値観、美意識によって変わってきます。特定の誰かを否定するつもりはありません。

ただ、このときの僕にとって最優先事項が「病気の症状を少しでも軽くすること」だっただけ。

そのために、自分の害になる、あるいはなりそうだと判断したものについては徹底的に排除しました。というよりかは、そうせざるを得なかった。

ちょっとしたストレスがかかると、頭痛や腹痛といった身体的な症状はもちろん、悪夢や希死念慮のような心的な問題も現れてしまっていたので。

「不要なもの」はそこにあるだけでノイズ、つまりストレスになるし、手放して少しでも楽になるのならやらない手はない。

不要なものを手放せれば90%は成功したようなもの

人は、思っている以上に思い込みや既成概念、常識に縛られています。これをブチ壊すためには、かなり根気がいる。

むしろ、「不要なものを手放すことができれば、90%は成功したようなもの」と言ってもいいとさえ思っています。

ただし、まず"おかしい"と感じなければ、どこかを、あるいは何かを直そうとは思いません。歪んだ社会では歪みに気付かない。

その点、僕は病気のせい、いや、病気のおかげで社会から隔離されていたので、不要なものの見極めはそれほど難しいことではありませんでした。

自分が異常になって初めて世界の異常性に気付くという皮肉。星新一の小説かな。

2.ひとつずつやる

人が1日のうちにできることは、本人が思っているよりもずっと小さく、少ないものです。

しかし、目標設定と行動の難易度設定が適切にできてさえいれば、結果は自然と現れます。うつ病だった僕でもできたのだから間違いない。

例えば、散歩。医師から「朝散歩をしなさい」と言われたものの、長らく『それができたら苦労はしねーよ』と思っていました。

ベッドから起き上がるのさえ辛いし、自分が吸血鬼になったのかと思うほど太陽が怖い。カーテンを開けるのさえ億劫。玄関から出るのも無理。

だから、ひとつずつやることにした。

一口に「散歩」といっても、布団から出る、着替える、靴を履く、玄関を開ける、散歩する──など、複数のステップがあります。

それをひとつひとつ日常に取り込んでいくだけ。

布団から出るなら、布団から出るだけを毎日やる。それをやったらクリア。それ以外はやらなくていい。

1週間続いたら今度は布団を出て、靴を履く、それだけを続ける。できなくても凹まない。今日は調子が悪かったな、それだけ。

そうして一進一退を繰り返していくうちに、いつの間にか散歩に行くことが普通になっていました。まあ、時間はかかったけれど。

たぶんこれを聞いて「アホらしい」と思った人もいるかもしれません。

──じゃあ、聞こう。新年に立てた"今年の目標"は達成できました?

僕はできた。なぜなら、ひとつずつやったから。

「人間は1年でできることを高く見積もり、10年でできることを低く見積もる」

3.孤独を恐れない

「深い孤独がなければ、まともな作品はつくれない」とパブロ・ピカソが言うように、個の余白は人生にとって重要な要素です。

今までの人生を振り返ってみても、何か結果を出す前は必ず「孤独」と「集中」がセットになっていた時期がありました。

家族や友人を切り捨てろ、と言いたいわけではなく、自分ひとりで考える時間も必要だということ。

まあ、僕の場合は病気がきっかけで勝手に孤独になっていただけなのですが。

SNSは毒

SNSは手軽に孤独を補えるツールですが、本当の意味で心の隙間が満たされるわけではないし、ましてや病気の治療に役立ったり、良い習慣の助けになったりもしません。

僕はSNSを完全な毒と見なしている過激派なので、可能な限り、これらの気配を日常生活から排除するように努めています。

クソみたいなニュースやゴミみたいな発言を見て楽しむぐらいなら、無心で猫を撫でているほうが100万倍マシ。マジで。

何かがおかしいと感じていながらその原因が掴めないままの人生を変えるためにも「孤独」は有効な手段だと僕は考えています。

自己防衛としても、常識をブチ壊して洗脳から抜け出す戦略としても、ね。

とはいえ、スマホがインターネットに繋がっている限り、孤独になることを徹底的に邪魔してくるから厄介なのです。しかも、時と場所を選ばずに。

幸い「孤独の技術」は誰でも鍛えることができるので、実践しようと思えば今からでもすぐに始めることができます。

方法は簡単。スマホの通知をすべてオフにし、SNSのアプリを削除するだけ。アカウントは残しておいてもいい。僕は全部捨てたけど。