『日常に革命を起こしたい!』と切望しているのは、きっと僕だけじゃないはず。
「豊かに生きたい」
「幸せになりたい」
「より良い暮らしを手に入れたい」
そう願うことはとても自然なこと。誰だってそう、僕だってそう。
——でも、"豊か"ってなんだ? "幸せ"って? "より良い暮らし"ってなに?
ネットをさまよい歩いても、Yahoo!知恵袋を覗いてみても、流行りの自己啓発書を読んでみても、それらしい答えが見つからない……。
健康でいること、経済的自由を手に入れること、家族や友人を大切にすること——。
ってたしかにそれは大事だけどさ、ホントに知りたいのって、なんていうのかな……。
もっとこう、
『日常革命ー!』
って感じのやつなんですよ、僕がほしいのは。
で、気づいた。
『"豊かさ"とか、"幸せ"とかって人によって全然ちがうじゃねーか。こればっかりは自分で考えないと答え出ないわ』
そう、つまり『考える時間』が圧倒的に足りてなかった。致命的なアイデア欠乏症。貧血ならぬ貧考。
だから、ちょっと「考えること」について考えてみました。
アイデア革命を、日常に。
日常に革命を起こす上でもっとも重要な要素は、やっぱり何と言っても「アイデア」です。
言うなれば、このアイデアを引っ張り出すために「考える」という作業を行うようなもの。
たとえば、星野源さんの『アイデア』という曲ひとつ取ってみても、たいへん多くのアイデアが詰まっています。
作詞・作曲・編曲はもちろんのこと、PVにおけるカメラワーク、演出、ファッション、マーケティング手法、メッセージ性、ダンスパフォーマンス、etcetc……。
それらすべての根源は「アイデア」です。アイデアなくして、何かを遂行することなど不可能なのですよ。
なぜアイデアが大事なのか?
ここで言うアイデアとは、つまり、着想や物の考え方、ちがう角度からの視点といった意味ですね。
同じものでも、見る角度がちがえばまったくちがうものになります。
たとえるなら"月"でしょうか。月の形は変わりませんが、日によって欠けたり、満ちたりして、地球から見たときの月の姿は変わりますよね。アイデアも似たようなものです。
I love you.を「我君を愛す。」と訳した学生に対し、当時英語教師をしていた夏目漱石が、
『日本人はそんなセリフ言わないよ。きっと「月がきれいですね」って言うよ』
と言った、という有名な話がありますが、これもアイデアによるものですよね。
日本人の気質を瞬時に分析し、シチュエーションを想像し、実際の条件に当てはめ、ちがう視点から物事を見る。
つまり、アイデア(考え方や物の見方)によって、現実は変わるんですよ。
考え方や視点を変えて物事を見ることで、疑問や悩みの解決に役立てることができるってことですね。
ボブ・ディランの『君の立場になれば君が正しい。僕の立場になれば僕が正しい。』って言葉はもっと有名になるべき。
— あめぎ (@ameyohure) September 26, 2019
抽象的なアイデアと具体的なアイデア
世阿弥(ぜあみ)って人の名前、聞いたことありますか?
この人は自分の父ちゃんと一緒に猿楽(現代で言う"能楽")を大成した人なんですが、世阿弥は役者に向けてこんなことを言ってるんですね。
役者には、「我見」「離見」「離見の見」っていう3つの視点が大事だよー。
「我見」は、舞台からお客様を見る目。
「離見」は、お客様から自分を見る目。
「離見の見」は、我見、離見を俯瞰して全体を見ること。この3つがあってこそ、いい演技ができるんだよー。
これはビジネスにおいても、実生活においても同じことが言えます。
ひとつの視点からだけではなく、多角的に、いろいろな立場から物事を見ることで、新しい発想にたどり着くことができるんですね。
これを今回の話に当てはめると、『具体的なアイデア(我見、離見)だけじゃなく、抽象的なアイデア(離見の見)も持っておいたほうがいいよ』と言うことができます。
抽象的な未来予測しかできない現代社会
目まぐるしく変わりゆく現代では「具体的なアイデア」が重宝されることが多いですが、こんな時代だからこそ、もっとちがった視点、「抽象的なアイデア」"も"大切になってくるんですね。
具体性のあるアイデアは即効性さえあるものの、「変化」には、弱い。ちょっと条件が変わると、途端に使い物にならなくなっちゃう。
その点、現代社会は未来予測がめっちゃ難しい、変化の多い時代です。
お金や結婚に対しての価値観の変化もそうですし、仕事のあり方、働き方の多様化もそうですし、投資に対しての考え方もそうですね。
もう、先のことなんて誰にもわからない。予測不可能な要素が多すぎて、確実性がどんどん下がってきちゃってる。
となると、考えようによっては、『具体的なアイデアよりも、応用の効く「抽象的なアイデア」こそ重要』とも考えられるわけですよ。
まあ、どっちが優れているって話じゃなくて、具体的なアイデアと抽象的なアイデア、時と場合によって使い分けられたら便利だよね、って話です。
アイデアはただのデータの組み合わせ
アイデアって聞くと、「ただの運」によるところが大きいように感じちゃいますが、決してそんなことないです。
人間はゼロからイチを作り出すことはできないんですよ。
エジソンだろうが、アインシュタインだろうが、信長だろうが、ホリエモンだろうが、イチからモノを作った人、考えた人なんていません。
木のそばで昼寝してて、急にりんごが落ちてきて『これって……もしかして……万有引力?!』とツバを飛ばしながら叫んだアイザック・ニュートンも、
星が動いてると考えられてた時代に『なあ、これって天が動いてるんじゃなくて、俺たち(地球)が動いてんじゃね?』って言ってしょっぴかれたガリレオ・ガリレイも、
別にイチからその真実にたどり着いたわけじゃない。
たとえそれが天と地がひっくり返るような優れたアイデアだったとしても、それはすでにある情報と情報の組み合わせに過ぎないんです。
言うなれば、アイデアはただのデータの組み合わせ、ってことですね。
アイデアの作り方
ジャームズ・W・ヤングは著書「アイデアのつくり方」にて、アイデアの作り方を以下の5段階に分けています。
- データ(資料)集め
- データの咀嚼
- データの組み合わせ
- ユーレカ(発見した!)の瞬間
- アイデアのチェック
そして同時に、『アイデアの製造過程はひとつの流れ作業だから、特別な才能がなくても誰でもできるし、誰でも訓練することは可能だよ』とも言ってます。
これは、日常革命を切望する僕らにとって希望とも言えるべきセリフなのではないでしょうか?
特にこれと言って才能のない凡人だって、この段階を踏めばアイデアにありつけるわけですよ。これをやらない手はありませんよね。
「考える時間」を作ると日常に革命が起きる
誰でもアイデアを作り出せるとは言っても、そこにいたるまでにはやっぱり段階を踏まなくちゃいけません。
データを集めて、それを噛み砕いて、組み合わせを考えて……。文字で書くと大したことなさそうですが、けっこうな重知的労働です。
だからこそ、日常的かつ継続的に「考える時間」を確保するということが重要になってくるわけですね。
一日15分でも情報収集を続けていれば、一ヶ月で450分、一年で5400分(90時間)です。
僕は文章を書くのが好きなので、仮に15分で400字書けるとすれば、一ヶ月で12000字、一年で144000字ですね。
一日たった15分続けるだけでも、一年経てば長編小説ぐらいは書けちゃうってことですね。これってなかなかすごいことですよ。
【情報収集編】ネットやスマホはほどほどに
ネットやスマホからでも情報は得られますが、僕はすぐに別のところに気が移っちゃうので、
『どういった知識を取り込むかをあらかじめ決めておく、もしくは時間の制限をかける』
ってことを心がけるようにしてます。
ちょっと気抜くと平気で3時間ぐらいTwitter見てたり、2chまとめを見てたりするので、スマホほど油断ならないものはない、と思ってますね。
それも情報源ではあるんですが、あとで罪悪感を覚えるぐらいならアニメ観たり、ゲームしてたほうがいい、ってのが僕の持論。案外、アニメが日常革命起こしたりするので、やっぱり物は試しです。
【考える編】ノートを活用する
本を読みながらぼんやり思索にふけることもありますが、やっぱり考えはノートに書き留めておくのが一番ですね。
情報でも、アイデアでもなんでもいいので、とにかく書いておく。そうすると、あとで見返したときにそれが刺激になって、また新しいアイデアが生まれることがありますから。
シャーロック・ホームズのスクラップブックみたいなもんです。暇つぶしでそれ見るぐらいのテンションで十分。
スマホでも、「あ、これおもしろいな」とか「これ記事にできそう」とか思ったものは、すべてEvernoteとPocketに突っ込んでます。
ジャームズ・W・ヤングの「アイデアのつくり方」は60分で読めるぐらいライトな内容ですが、いろいろな思考法の元となっている本ですので、ぜひ読んでみてください。
広告業界寄りの目線で書かれてますが、実生活にも大いに役立ちますので。
「アイデアの作り方」がおもしろかったら、デカルトの「方法序説」も刺さるかも知れません。
古い本なのでちょっと堅苦しいと感じる部分もあるかとは思いますが、そういうところは基本飛ばしてオッケーです。
「一日5分」からはじめる情報収集ハックという記事も書いてます。
やりたいことがあるのに行動に移せない?1日5分の情報収集から始めよう
煮詰まったときのリフレッシュ法についても書いてますので、どうぞ参考にしてみてください。