精神疾患と犯罪についての誤解はなぜ起きるのか?

サスペンスやホラーなどの映画・小説では、よく精神疾患を持つキャラクターが犯人、または怪しい人物として描かれることがあります。

例えば、登場人物が精神科に通っていたり、うつ病や双極性障害、統合失調症といった病気を持っている──といった演出で、観客や読者に「コイツが犯人では?」と思わせます。

しかし、実際のデータを見ると、精神疾患を持つ人たちの犯罪率は、むしろ精神疾患を持っていない一般の人々よりも低いことが分かっています。

では、なぜこんな誤解が生じてしまうのか──。

なぜこんな誤解が広がるのか?

なぜ精神疾患を持つ人が犯罪者だと思われやすいのでしょうか。

それは、心理学者ダニエル・カーネマンが提唱した「ヒューリスティック」という考え方が関係しています。

ヒューリスティックとは、人が複雑な問題に直面したとき、少ない情報や経験をもとに、迅速に判断を下すために使われる「思考のショートカット」です。言うなれば、脳の省エネ。

メディアで精神疾患を持つキャラクターが何度も犯人として描かれると、人は無意識のうちに「精神疾患=危ない」という誤った結びつきに飛びついてしまうんですね。

また、心理学者アルバート・バンデューラの「社会的学習理論」も、これを説明するのに役立つかと思います。

彼の理論では、人は他人の行動を観察し、真似をすることで学ぶとされています。

映画や小説で精神疾患のキャラクターが悪者として描かれるのを何度も見ていると、人はそれを現実と結びつけ、精神疾患を持つ人が危険だという間違ったイメージを持つようになります。

実際のデータはどうなっている?

実際、精神疾患を持つ人が犯罪を犯すリスクは、一般的な誤解とは異なり低いです。

アメリカ精神医学会(APA)によると、精神疾患自体が犯罪の原因ではなく、貧困や薬物乱用といった他の社会的要因が犯罪と関連していることが多いとされています。

また、健常者のほうが突発的な行動や違法行為に走るケースが多いとする研究もあります。

精神疾患がある人々は慎重な判断を下すことが多いという報告もありますが、犯罪のリスクに関しては、疾患の種類や個人の状況によって異なるため一概に断定はできません。

犯罪は「普通の人」が起こす確率のほうが高い

なんというか、現代は「犯罪を犯す=普通ではない人が起こすもの」というイメージが強すぎるように思います。

例えば、警察庁のデータによると、殺人事件における犯人と被害者の関係で最も多いのは、配偶者や家族などの親しい間柄です。具体的には、約30~40%が配偶者や恋人、家族によるもの。

また、被害者が配偶者や恋人、家族である割合も同様に高く、身近な人間関係が大きな要因となっています。

こうしたデータから、殺人などの重大犯罪は計画的に行われるものよりも、突発的に起こることが多いと言えます。

特に、感情的な衝動や争いが引き金となり、結果的に重大犯罪に発展するケースが少なくありません。

この点は、精神疾患の有無とは関係ない──むしろ、健常者が突発的に暴力行為に走る可能性があるということを示しています。

哲学者の視点から見た誤解

哲学者フリードリヒ・ニーチェは、社会がどのように価値をひっくり返すかを「価値の逆転」と呼びました。

現代社会では、精神疾患を持つ人々が「普通ではない」と見なされ、そこからくる恐れや偏見が犯罪に結びついていると考えられます。

また、ミシェル・フーコーは『狂気の歴史』で、歴史的に精神疾患と犯罪が誤って結びつけられてきたことを指摘しています。

彼は、社会が精神疾患を持つ人々を隔離することで、彼らを危険な存在とみなすような誤解が広がってきたと述べています。

精神疾患=犯罪というイメージはただの誤解

精神疾患を持つ人が犯罪を犯しやすいというイメージは、メディアや社会の誤解によって広まったものです。

実際には、精神疾患を持つ人々が犯罪者になる可能性は低く、サポートを受けることで社会に適応する力がさらに強まります。

確かに、こういった描写を用いたほうがストーリーとしては分かりやすく、ミステリアスゆえに面白さも際立つことは、理解できる──。

しかし、それでも現代を生きる人は皆、この誤解を見直し、精神疾患を持つ人々に対する正しい理解を広めていく必要があるのではないでしょうか。

精神疾患を抱える多くの人たちは、日々懸命に社会と向き合い、困難を乗り越えています。

彼らに対する誤解や偏見がどれだけ彼らの生活に負の影響を与えているかを、人は、社会は、もっと理解すべき。

先日観た、石原さとみ主演の映画『ミッシング』にも「精神疾患=犯罪者」という解釈のできる描写があったように、このヒューリスティックはとても身近で、ありがちなものです。

偏見や差別を生み出すのは、思い込みや無知──。忘れず、生きていきたい。