過剰供給社会と消費者の迷走から考える「資本主義の限界」

「Amazon、従業員に原則として週5日の職場出勤を要請」というニュースが話題になっていました。

ちなみに、MATANA(Microsoft、Amazon、Tesla、Alphabet、NVIDIA、Apple)の出社方針は以下の通り。

  • Microsoft:ハイブリッドワークを推奨。週に50%の出社を求めるなど、一定の柔軟性を持たせている。
  • Amazon:2025年1月から週5日の出社を要請している。
  • Tesla:出社を強く推奨。週に最低40時間のオフィス勤務を義務付けている。
  • Alphabet (Google):ハイブリッドワークを採用。週に3日程度の出社を基本としている。
  • NVIDIA:ハイブリッドワークを採用。出社日数の詳細は部署によるが、柔軟な出社方針を取っている。
  • Apple: ハイブリッドワークを採用。原則として週に3日の出社を推奨している。

多くのテック企業は週2~3日の出社とリモートワークを組み合わせた柔軟な働き方を採用しているので、今回のAmazonの試みは珍しいものと言えます。

リモートワークが広がることで、睡眠不足やストレスが軽減され、労働者のウェルビーイングが向上するのは確かです。

とはいえ、フルリモートワークは生産性でオフィス勤務に18%劣るといったデータもあるため、現段階では、何日出社がベストかは「企業による」としか言えなさそう。

いや、そもそも、現代社会における供給が過剰すぎるのでは──。資本主義の限界、見え始めてやしないか──。

供給過剰と消費者の主体性の行方

現代社会では、生産者が消費者の需要に先行して供給を行う構図が一般的になっています。

資本主義の成長を維持するためには、産業が絶えず新しい製品やサービスを創出し、消費者に「欲しい」と感じさせることで需要を生み出していく必要があります。

冷蔵庫やスマホ、車など、日常生活に必要な製品であっても、必ずしも頻繁に新しい技術革新が求められているわけではありません。

それにもかかわらず、定期的にマイナーアップデートが行われ、消費者は次々と新しいものを購入することが促されています。

こうした資本主義の仕組みは、消費者の"主体性"を生産者に委ねているとも言えます。

企業が製品を供給し、それに伴う消費を促進することで経済成長は続く──。しかし、その一方、消費者は自分が本当に何を必要としているのかを見失ってしまうことが多い。

自分が何を必要としているのか、何が欲しいのかを広告に教えてもらう時代、それが現代なのかもしれません。

資本主義の限界と終わりのないラットレース

資本主義社会において、経済は、成長し続けることが前提とされています。この成長を維持するため、企業は常に新しい価値を創出し、市場に供給し続けます。

こうした技術革新や新しいトレンドに追随しなければならないというプレッシャーは、生産者だけでなく消費者にも降りかかり、終わりのない競争──いわゆる「ラットレース」に巻き込まれます。

しかし、このような"成長"は果たして本当に必要なのだろうか。経済成長の追求が人々の生活にどのような影響を与えているのか、今一度問い直す必要があるのではないか──。

『せやかて工藤、新しいiPhoneにしないとイジメられるんや!』

『バーロー。大事なのはモノじゃなくて、どう使うか──だろ? 流されず自分で選ぶ──それが本当の強さじゃねーのか?』

資本主義の崩壊

資本主義社会が生産性と経済成長を絶えず追求する一方、その限界も見え始めている気がしてなりません。

経済が成長し続けなければならないという前提に立った社会では、無理な生産、あるいは消費が行われ、結果的に環境への負荷、労働者の疲弊が引き起こされます。

つまり、『資本主義社会がさぁ、ここまで来ちゃったんだよね。パンドラの匣は空いちゃったの』ということです。

自分にとって本当に価値あるものに焦点を当てる

現代の資本主義社会は、過剰な供給と消費者の主体性の喪失が進んでいる中、持続可能性を失いつつあります。

消費社会のプレッシャーから解放され、生活の質を高めるためには、自分にとって本当に価値あるものに焦点を当てることが大切であることは間違いありません。

奇しくも、近年の円安傾向によって、消費社会の異常性に気付き始めた日本人は多い気がしています。

そう考えると、「若者の◯◯離れ」も、もしかすると「消費社会の馬鹿らしさ」への気付きの表れなのかもしれない──。

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