何かを極めたいときは自分だけの「好き」を極める→人生の幸福度がアガる

「なんでもいいから極めたい!」と思う瞬間、ありませんか?

「イラストを極めたいなあ」とか、「ギターを極めたいなあ」とか、「文章を極めたいなあ」とか──。

僕はしょっちゅうあります。多趣味のくせに飽き性なので、良くも悪くもひとつのことに集中できないんですよね。すぐ熱が冷めちゃって。

どれも好きであることには変わりないんですが、ある一定のラインに差し掛かると急に興味が薄れてしまう、というか「ああ、もういっか」となってしまうんです。

何かを極めたい理由にはいろいろあると思うのですが、だいたいこんな感じではないでしょうか?

「かっこいいから」
「モテそうだから」
「特技がほしいから」
「お金になりそうだから」
「何かに熱中したいから」
「誇れるものがほしいから」

わかります。めっちゃわかります。どれかひとつだけというわけでもなく、複数の理由がごちゃ混ぜになっていることも多いですよね。

「何か極めたらかっこいいし、暇しなくていいし、モテそうだし、お金にもなりそうだし」みたいな。

「何か」と言っているくせに、「これは○○だからダメ」、「こっちは○○だから極めても意味ない」などと、無意識のうちに選んでしまっている部分もあるのではないでしょうか?

そこで「何か極めたいなあ(かっこよくて、モテそうで、お金になりそうな"何か"を極めたいなあ)」と思っている人におすすめしたいのが、自分だけの「好き」をとことん極めるという方法です。

好きを極めるということ──つまり、何かをひたすらに愛するということ──超偏った愛「偏愛」は、それだけで価値があります。

価値があるということは、そこにビジネスチャンスだってありますし、偏愛にはさらなる偏愛が集まってくるので、ズバリ、人生の幸福度がアガる、という寸法です。

何かしたいけど何がしたいのか分からない

中には「何かしたいけど、何をすればいいか分からない」という方もいらっしゃると思います。

きっと、そんな人でも自分が「これ好きやわあ」とか「これ好きかも」と思えること、ひとつやふたつ、ありますよね。それでいいんです。

「好きを極める」というのは、別にお金に直結しなくても、自分が有名になれるようなものでなくても別にいいのです。

だって、そういうのは、すべて「後からついてくるもの」だから。

(もし借金で首が回らないとか、とにかく「月にあと3万円の余剰資金が必要」とかいう場合には、四の五の言っている暇はないので、一刻も早く確実にお金が手に入る手段を検討しましょう)

「好き」ならなんでもいい

「好きを極める」と言っても、別にどれかひとつじゃなくてもいいです。複数でも問題ありません。

確かに、物事を「極める」には、どれかひとつに注力したほうが伸びは速いです。

しかし、僕みたいな飽き性、もしくは多趣味の人は、どう頑張ってもすぐに飽きてしまうし、いつの間にか他のことに興味が移ってしまうんです。こればっかりは仕方がない。

「じゃあ、そういう飽き性の人や多趣味の人は何かを極めることができないの?」と言うと、決してそんなことはありません。

多趣味と言えども、他の趣味に比べて「これはちょっと好き!」という趣味がいくつかありますよね。もう何なら趣味じゃなくてもいいです。

「二次元の金髪美少女が好き」でもいいですし、「なんかよう分からんけど、メガネ男子がマジでツボ」とかでもいいんです。「俺は多趣味を極めてやるぜ」でも大いに結構。

そういった「好き」を、どんどん「発信」していけば、付随した知識も増えていき、仲間も集まってくるでしょう。そこに「価値」が生まれます。

価値があるということは、需要があるということ。需要があるということは、それをビジネスに転換することだって不可能ではありません。

「何かを極める」というのは、決まった中から選ぶのではなく、自分が好きなものなら、なんでも極めていいのです。

「技術的に上手」はやがて飽和状態になる

今の時代、その気になれば経験ゼロの素人からでも、すぐに技術を磨くことが可能です。

YouTubeや無料講座、ブログ、Yahoo!知恵袋、Twitter、Instagramなど、野生の教科書はいくらでもあります。

技術的なところに始まり、ブランドの魅せ方や自己ブランディング、マーケティング、情報発信まで、すべて家にいながら学ぶことが可能です。

毎日のように新しいコンテンツが出てきて、どんどんおもしろいものが生まれてる時代──もう消費者側も楽ではないですね(アニヲタの意見

『技術的に上手であること』がそこまで重視されない時代」がすぐそこまでやってきているのではないでしょうか?

言い方を変えるなら、「誰でも一定のラインまでは上手になるから、元々そこにあった価値が薄れていく」ということです。

たとえば、イラスト(絵)ですね。Twitterを眺めていると、上手な人、たくさんいますよね。でも、イラストが上手いからといって、みんながみんなバズっているわけでもない。

「めちゃくちゃ絵が上手いわけではないけれど、その人にしか描けない画風がある」とか、「絵師さんのツイートがめちゃくちゃ面白い」とか──。

そういった「技術的な部分以外で価値を生み出している成功パターン」を、最近はよく目にする気がします(というより、純粋に絵の技術だけでバズっている人、あまり見かけないような)。

人間はストーリーに引き寄せられる生き物

何かがめっちゃ好きってことは、必ずその人に、その人なりの「ストーリー」があるはずなんですよ。

「なんでそれを好きになったのか」とか、「どういうところが好きなのか」とか、「どのぐらい好きなのか」とかね。

ぶっちゃけ、ネット上でも、現実世界でも、その気になればいくらでも外面は作り込めるんです。

本当は詳しくないのに詳しいフリをしたり、本当は好きじゃないのに好きなフリをしたり、本当は知らないのに知っているフリをしたり。

でも、そういう嘘ってすぐ分かるじゃないですか? 雰囲気というか、言葉の節々からというか、その人の普段のツイートからなんとなく、というか。

ファッションブランディングでもある程度の価値は生み出せますが、それが上手にできる人は相当レアです。詐欺師を目指しているのではない限り、おすすめはしません。

逆に言うと、「好き」は隠すことができず、誰にも止められはしないので、それだけ、そこに価値が生まれる可能性があるということなのです。

「偏愛」は最強の価値である

ただ単に上手なものが欲しければプロに頼みますし、低価格でそれなりのクオリティのものが仕上がる方法があるのなら、当然そちらを選ぶでしょう。

先ほども言った通り、技術的な面でのアベレージはこれからどんどん上がっていきます。そして、技術と反比例するように価格は下がっていきます。そうしないと、食っていけないから。

そうなると、クリエイターは別のところ(技術以外の分野)で価値を生み出していく必要が出てきます。消費者側も、技術の飽和状態が続くと「なんか何もかも一緒でつまんねーな」と感じてしまうでしょう。

ここで「偏愛」の出番です。

才能や個性、センスというものは、どうしたって個々人の性格によるところが大きいので、結局は「好き」の延長線上にあるものなんですよね。

つまり、超偏った愛──つまり「偏愛」の先にこそ、才能と個性があるのです。

下手とか関係ない

ゆえに「どれだけ上手か」ということより、「どれだけ好きか」のほうがよっぽど大事なことなのです。

技術や知識面は、続けてさえいれば勝手に上達していきます。なので、「下手だから」とか、「知識がないから」といったことで悩まなくていい。

写真を撮るのが下手でも、好きならどんどん発信していいし、これから上手くなっていけばいい。

文章だって、絵だって、音楽だって、アニメだって、映画だって、ドラマだって、なんだってそうです。

好きならどんどん知識は増えていくし、好きが加速すればそれだけニッチな分野に携わっていることになるし、もうそこまで来たらその分野のプロでしょう。

アニメの感想も立派なコンテンツ

「何かをクリエイトするようなことじゃないと価値は生まれない」というのは確かにそうかもしれませんが、たとえば、アニメの感想だって立派なコンテンツです。

「時間がなくてアニメが観られないけど、どうしても内容を知りたい」という層がいるとすれば、「ただの感想」にも需要があり、そこには「価値」があるということになりますよね。

A「アニメが好きで好きでたまらない+時間に余裕があってアニメを数多くチェックできる人」

B「アニメが好きで好きでたまらない+時間に余裕がなくてアニメをあんまりチェックできない人」

この場合、AとBで需要と供給が一致しているんですよね。

ゲーム実況に関しても同じことが言えるかと思います。

「自分ではプレイしないけど、実況プレイで満足できる」という人もいれば、「ホラーゲーはダメだけど、実況なら楽しめる」という人もいるでしょう。

そういった「ニッチなところだけど需要がある」というポジションは、これからどんどん増えていくと考えています。

今後どのような流れが来るのかを正確に予想することは難しいので、お金が欲しいにしろ、有名になりたいにしろ、「自分の好きを極める」ことこそが唯一の道なのではないでしょうか。

打算的に生きる人より「好き」を極めてる人のほうがかっこいい

なんでもそうだと思うんですが、「何かを極めてる人」ってかっこいいですよね。

別に「何か」自体はかっこいいものでなくてもよくて、「極めてる」ということ自体が純粋にかっこいいんですよ。

だってそれって、「自分の好き」に正直に、損得を考えず、ひたすら続けてきたことの証明じゃないですか。なにそれ、めちゃくちゃかっこいい。

小賢しく生きられてしまう、打算的に人生のゆく末を決められてしまう時代だからこそ、偏った愛「偏愛」を持った人が輝くのかもしれません。

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