多くの人が経験する現象のひとつに「頭の中で声が聞こえる」というものがあります。
思考や考えが頭の中で音声として再生される、もしくは会話形式で行われる──。
この現象は、一般的に「内的対話」や「内的モノローグ」と呼ばれ、頭の中で自分自身が声を発し、思考を整理したり、問題解決に向かって会話を進めることを指します。
僕の場合、会話より独り言のほうが圧倒的に多く、声も時と場合によって異なり、そもそも、声が聞こえるよりかは単語が持つイメージのようなもので思考することが多いように感じますね。
また、ドラマや映画でよく見かける「天使と悪魔」のシーン、つまり、善悪の象徴が頭の中で会話をしているという場面は、単なる比喩的表現や創作の一部だと思っていたんですが──。
実際には、頭の中で会話形式、ないしは会話イメージで思考をしている人も存在するということで驚いています。
多くの人が頭の中で、自分と自分が会話してるって聞いてびっくりしてる。天使と悪魔がいるみたいな。いないんですけど。鬼滅の刃見てて、キャラが切羽詰まった状況でもめちゃくちゃ脳内でしゃべるのは、見る人に分かりやすく伝えるために作られたものと思ってた。じゃなくて実際頭の中はあんなのなの?
— 吉本ユータヌキ (@horahareta13) February 9, 2023
多くの人が頭の中で、自分と自分が会話してるって聞いてびっくりしてる。天使と悪魔がいるみたいな。いないんですけど。鬼滅の刃見てて、キャラが切羽詰まった状況でもめちゃくちゃ脳内でしゃべるのは、見る人に分かりやすく伝えるために作られたものと思ってた。じゃなくて実際頭の中はあんなのなの?
自分の思考プロセスを考える
僕のケースだと、頭の中での思考は主に「テキスト」として再生されているように思います。
具体的には、何もない広い空間にブログの記事や小説を書くような形式で思考が流れ、それが頭の中で文章として組み立てられている──言語化されている──ような印象です。
その際、声も再生されることはありますが、僕の内的対話の声は、話すスピードよりも遥かに高速で頭の中を駆け巡るため、口で話すよりも文章を書く方がずっと楽に感じます。
調整可能な思考のスピード
興味深いのは、この思考のスピードが自分の意識で調整可能であること。必要に応じて声の再生スピードを遅くしたり、意識的に声を消すこともできます。
ただ、頭の中だけだとどうしても思考スピードが早くなってしまうので、じっくり考えたいときは紙とペンを使い、あえて思考スピードをゆっくりにする対策をしています。
声の主について
頭の中で再生される声の主は、その時々で変わります。この点も実に面白い。多くの場合、自分ではない、落ち着いた雰囲気の男性の声です。
高すぎもせず、低過ぎもせず──例えるなら、NHKのアナウンサーのような特徴のない、淡々とした声。
とはいえ、これもまた直近に視聴したアニメや映画の影響を受けやすく、特定のキャラクターや声優の声で再生されることもあります。
例えば、何の前触れもなく、宮野真守や櫻井孝宏、早見沙織といった声優の声で思考が再生される──などです。なぜかは知らん。
それぞれの声が持つキャラクターのイメージによって、文章の読まれ方や思考の質が異なるようにも感じますね。
思考がユーモアに偏っているときには宮野真守の声、思考が速く、鋭いときは櫻井孝宏の声、物事を落ち着いて判断しているときは早見沙織の声といった風に。
声の主は意識的に変更することも可能なものの、それによって思考の速度や内容の偏りが出ることがあるため、基本的にはデフォルトのNHKのアナウンサーのような男性声で再生されます。
他の人の思考プロセスとの違い
人それぞれ、思考のプロセスや頭の中での声の聞こえ方が異なることは、とても興味深い。
中には、自分の思考が言葉として頭の中で構成される前に、実際に口に出してみないと次に何を言うか分からないという人もいるそうで。
つまり、思考を文章にして自分で脳内で"聞いてから"口に出す人もいれば、抽象的な非言語思考のみを持ち、それらを意識的に言語化して言葉を発している人もいるということです。
会話という点だと、僕の場合は、まず頭の中で文章が高速で組み立てられ、その後、それを一度声として頭の中で高速再生してから、実際に口に出していることが多いような気がしますね。
読書や漫画では声が聞こえない
僕は基本的に思考はテキスト+高速再生の声ですが、読書や漫画といった媒体だと、ほとんど声が聞こえません。
ただただ単語や言葉のイメージ、概念がだーっと流れていき、それを感覚的に味わっているような印象です。
意識的に声を再生することもできるものの、ある種の"まどろっこしさ"を感じてしまうので、ほとんどのケースにおいて脳内の声のボリュームは切ります。切りますというか、切れている。
とはいえ、どうやら僕は、活字を読む際に漢字や単語だけを追ってしまう癖があるらしく、単に声を再生している暇がない、あるいは高速すぎて音として認識できていないだけかもしれません。
まとめ
このように、思考のプロセスや声のあり方は人によって様々。その違いが個々の思考の仕方や表現にどのような影響を与えているのか、とても気になります。
僕は、会話形式ベースで思考が進んだ経験があまりないので、どういった感覚なのか想像が付かない。意図的に特定の誰かを呼び出して勝手に相談することはたまにありますが。