何か「~べき」という考えを持っているか。そして、それはどのような影響を与えているか──。
すでに定着してしまっている固定観念を捨てることは、決して簡単なことではありません。
しかし、固定観念は決して不変的なものではなく、新しい経験や知識、内省を通じて変化させることができます。
これからの時代、特に今後数年の間は、多種多様な分野での技術的革新などの要因によって、社会全体が大きく変容していくと予想されます。
こうしたカオスの渦中では、人が当たり前に持っている「~べき」や「~べきではない」といった考え──すべてではない──が足枷になる可能性が非常に高い。
もしかすると、すでに個人にとって深刻なハンデになっているかもしれないし、社会にとって破滅的かつ致命的、絶望的で壊滅的なダメージを与えているかもしれない。
実際、教師の固定観念が学生の成績や学習意欲に大きな影響を与えることが判明*しているし、固定観念が個人の世界観と変化への適応能力に大きな影響を与える可能性がある*といった研究報告もあります。
今回は「固定観念を捨てるには『〇〇べき』という考えを見直そう」というお話。
固定観念と既成概念の違い
固定観念とは、一度形成されると変えることが難しい、柔軟性のない信念や考えを指します。
これらは、多くの場合、個人の先入観や偏見、または無意識のうちに学習された社会的な信条に基づいています。
また、ある信念が個人のアイデンティティ──「自分は何者なのか?」という自己統一性──の一部になっている場合、仮に新しい情報や証拠が提示されたとしても、個人がその考えを変えることを拒否するケースが多いです。
つまり、いくら科学的根拠に基づいて『地球は平面ではないし、地球温暖化は事実である』と論じたとしても、地球平面説や温暖化陰謀説を唱える人々の考えを変えることは難しいということです。
一方、既成概念とは、一般的に受け入れられている、あるいは広く共有されている考えや信念を指します。
これらは、社会的な合意や一般的な理解に基づいており、特定の事実や情報によって疑問を挟む余地なく受け入れられることが多いです。
より分かりやすく言うならば、既成概念は社会全体で共有されている「常識」や「通念」のようなものでしょうか。
- 固定観念:個人の内面に存在する信念
- 既成概念:社会的な合意、または一般的に受け入れられている信念
よって、「個人の固定観念は社会の既成概念によって作られる」と言えます。
これらの違いを理解した上で、次に固定観念が心にどのように根付くのか、そのメカニズムを詳しく見ていきます。
固定観念が形成されるまで
固定観念は、主に3つのプロセスを経て形成されます。社会的影響、内面化、そして、自己防衛です。
1. 社会的影響
人は、生まれ育った社会や文化の中で、特定の価値観、行動規範、期待に晒されます。これらは、メディア、教育、宗教、家族、社会構造を通じて強化されていきます。
こうした要因から、人は何が正しく、望ましいのか、あるいは受け入れられるのかを学習し、それに従って行動するようになります。
2.内面化
一般的な信念や期待が繰り返し提示または要求されると、人はそれを「自分の信念体系の一部」として受け入れることがあります。
『男は人前で泣くべきではない』という教育のもと育てられた人は、それを信念として生きるようになる、ということですね。
これが"内面化"であり、社会的な既成概念が個人の固定観念へと変わる瞬間です。
そして厄介なことに、人は、これらの信念が個人的なものであるかのように錯覚し、自分の自由意志によって選択されたものであると考えることもあります。
3.自己防衛
形成された固定観念と異なる視点が出てくると、多くの場合、人は防御的になり、信念を守ろうとします。
固定観念の否定は、自己同一性や世界観の一部である信念に対する脅威に繋がる可能性があるからです。
こうして固定観念が守られると、結果的に信念が強化され、より強固な"当たり前"になっていきます。
要するに、自分と異なる視点や価値観を持った人間との対話が難しくなるのです。
固定観念のメリットとデメリット
固定観念を信念体系として取り込むメリットはいくつか考えられますが、その一つに「リソースの節約」が挙げられます。
ある固定観念に従って行動すると、その分だけ思考や選択のプロセスが減り、決断に要するエネルギーを溜めておけるんですね。
しかし、現代において、それらの"自動化"は「かえって面倒なことを引き起こしかねない危険分子になる可能性」も孕んでいます。
確かに、固定観念に従って生きるのは楽であるし、ある意味では幸せな生き方であるかもしれません。
けれども、冒頭で話した通り、変化の多い時代においては、固定観念にまみれた生き方はかなり危険であると僕は考えています。
社会の既成概念がブッ壊れれば、個人の固定観念もやがてブッ壊れます。
どうせブッ壊れるならば、社会によって壊されるより、自分でブッ壊して新しい固定観念を形成する、あるいはそのスペースを作っておいたほうがダメージも少なく済みます。
これは単なる「ブッ壊れるのが遅いか早いかの違い」ではなく、あくまで「技術・スキルの習得」の話です。
凝り固まった考えを自分で発見し、その歪みを自分で強制する──。これは、認知行動療法のプロセスそのものです。
この技術を身に付けておくことで、どのような状況あるいは変化に対しても柔軟に対応できる有効な手段となり得ます。
目玉焼き
仮に、ここに「目玉焼きに醤油をかけなければ死ぬと思い込んでいる一人の男」がいるとして、今この瞬間、何らかの要因によって世界から醤油が消え失せてしまったとしましょう。
この男、もしかしたら、あと5秒足らずで、発狂しながら便所に頭から飛び込み、溺死してしまうかもしれません。
しかし、この男が、自分の中にある「目玉焼きには醤油をかけるべきである」という固定観念を自らの力で壊し、異なる観念を形成することができれば、状況は一変します。
『仕方ない。初の試みではあるが、目玉焼きにソースをかけてみるか──』
この選択ができるか如何によって、男にとっての世界のあり様は大きく変わります。
男を殺すのは、目玉焼きでも、醤油でも、トイレの水でもありません。男は"絶望"によって死に至るのです。
そして、絶望をもたらすのは他でもない、男の中に潜む固定観念です。
固定観念を捨て去る技術があれば、絶望にも対抗でき、新たな選択肢を手にすることもできるのです。
固定観念を捨てる方法
固定観念を捨てるためには、まず、自分がどのような固定観念を持っているかを認識し、それらがどのような悪影響を及ぼしているかを考える必要があります。
簡単なのは、自分の中にある「~べき」や「~べきではない」といった考えを一度紙に書き出してみること。
例えば、朝食は健康のために摂るべき、朝はコーヒーを飲むべき、女性は〇〇歳までに結婚して子供を生むべき、新入社員は定時に帰るべきではない、目玉焼きには醤油をかけるべき、など。
これは持論ですが、こうした「認知の歪み(バイアス)」は、その大多数が幻想であり、足枷であり、無意識のうちに形成された虚像です。
中には現実的かつ有効なものも存在しますが、わずかでも違和感を持っていたり、変えたいと考えているならば、壊しておいて損はありません。ただし、痛みを伴うものではありますが。
「~べき」が現れたときの対処法
「すべき」や「しなければならない」といった強い信念は、多くの場合、自分自身や他人に対して非現実的な期待を寄せてしまうことに繋がります。そして、結果的に周囲の状況の悪化させる要因となります。
例えば、多くの人が「良い親であるべき」という考えを持っていると思いますが、これは大きなプレッシャーをもたらすものであるし、親自身の幸せや家庭内の雰囲気に悪影響を及ぼす可能性があります。
この固定観念をより建設的な形に変えるためには、まず「良い親とは何か」という問いに対して様々な答えがあることを認識し、自分自身に合った親のあり方を模索することが重要であると言えるでしょう。
このように、「~べき」に基づく主張、あるいは思考が現れたときは、それが現実的であるか、個人の状況や価値観に合致しているかを評価し直す必要があります。
『これは、自分にとって本当に意味があることなのか?』
自分が持っている考えが現実的かつ妥当なものなのか、一度、紙に書き出して再考してみる。
そうすることで、今まで見えてこなかった"思考のクセ"や"凝り固まった考え"を発見できることがあります。
それでも思考がまとまらないようなら、信頼できる人、もしくはプロのカウンセラーに相談することを検討しましょう。
事実とバイアスを分けて考える
もちろん、「税金はきちんと収めるべき」や「年金は必ず払うべき」のように社会的な協調や公共の福祉を保つために存在するルールや義務は別です。これらは認知の歪みには該当しません。
ただし、これらのルールや義務、個人の信念に関しても、他の固定観念の材料になる場合があるので注意が必要です。
例えば、国税庁「令和3年分 民間給与実態統計調査」によると、日本国内で年収1,000万円を超えている人の割合は4.9%だそうです。これは、単なる"事実"に過ぎません。
しかし、これを受けて、『年収が1,000万円を超えている人はその分だけ多く税金を収めている。だから、年収1,000万円以上の人は偉い』だとか、『年収が200万円未満の私は価値のない人間だ』などと考えるのは、思考の飛躍であり、認知の歪みです。
特定の統計などのデータをもとに『アイツは偉い』や『自分には価値がない』といった自己評価をするのは、認知の歪みとしてよくある一形態であり、自分の状況や能力、価値を一面的な観点でしか見ていないことになります。
統計はあくまで一つの参考情報でしかなく、年収がいくらあろうが、SNSのフォロワーが何人いようが、付き合った恋人が何百人だろうが、そういった情報によって個人の総合的価値を判断することは不適切です。
確かに、ある市場にとっては価値があるとされる情報であっても、根源的な意味で、自分や他人の価値を決める要因にはなりません。
事実は事実として。情報は情報として。ある市場にとっての価値はある市場にとっての価値として、考える。処理をする。
既存の固定観念以外にも、このように無意識レベルでの「思考の飛躍」が起きてしまうのが、知能の高い人類の欠点でもあります。
こうした思考のクセは一朝一夕では矯正できないため、気長に取り組んでいく必要があると言えるでしょう。
まとめ
固定観念をブチ壊し、柔軟な思考を手に入れるための具体的なステップは以下の通りです。
- 自分の固定観念を特定する。
- その観念がどのように形成されたかを理解する。
- 現実的な視点や考えを模索する。
- 専門家の意見や科学的な知見を取り入れる。
長年に渡って形成された歪みを直すのは骨が折れる作業であるし、いざ矯正しようとしても内なるゴーストが待ったをかける場合もあります。
しかし、固定観念を変えるのに遅すぎるということはありません。千里の道も一歩から。
すべての固定観念を疑う必要はありませんが、明らかにクソだと判断できる固定観念は、発見し次第、破壊工作を始めていくことをおすすめします。