「やりたい気持ちはあるし、やる気だってある」
「その時々を見れば、いつだって自分は本気のはず」
「でも、いざ行動に移してみると『三日坊主』になってしまう」
このように「目標を達成するまでのモチベーションが保てなかった」といった経験は、誰しも一度はあるのではないでしょうか?
自分で言うのもなんですが、僕は「中途半端で続かない人」です。
「やるぞ!」と心を決めて行動を始めてみても、途中で面倒になったり、疲労や時間の都合などを言い訳にして、結局、継続をやめてしまうんですよね。
しかし、「中途半端だからこそ見えてくる『可能性』もある」と気づいてからは、心がずいぶん軽くなりました。
あえて「中途半端であること」を認めて、受け入れることで、「何をやっても中途半端で続かない」という状況から脱却することができたのです。
「中途半端で続かない」ことのデメリットとは?
「中途半端な自分」に劣等感を感じている人は、おそらく以下のような「悩み」や「心配」があるのではないかと思います。
- 自分には「才能」がない
- 自分は「頑張れない人間」なんだ
- 何のスキルも身につけられていない
- 他の人はもっとできているはずなのに
- この先も「熱中できるもの」は見つからないだろう
こういった気持ち、とてもよく分かります。
僕自身、中途半端な自分を変えたい一心で、たくさんの自己啓発本を読んだり、YouTubeやTwitterで「意識高い系インフルエンサー」の言葉を必死で追いかけていたことがあります。
「中途半端で続かない人」に対してよく言われる言葉
自己啓発本などで特によく出てきた言葉は、以下の3つです。
- 目標はひとつに絞ろう
- 計画をしっかりと立てよう
- 自分にもっと自信を持とう
「中途半端でもいい」と言ってくれる本はゼロに近い
僕は、この言葉を素直に受け取ってしまいすぎて、逆に苦しくなっていたんですよね。
- 「目標をひとつに絞れない自分」はきっとおかしいんだ
- 「中途半端な自分が立てた計画」が中途半端すぎて笑える
- 「中途半端な自分」にどうやって自信を持てと言うのだろう
「中途半端でもよくね?」と言っている本や人は、僕の見てきた限り、ゼロでした。
これから目標をひとつに絞るにしろ、熱中できるものを探すにしろ、スキルを身につけるにしろ、まずは
「中途半端な自分でもいい」
と認めることが大事なのではないでしょうか? 少なくとも僕は、中途半端な自分を認め始めてから、ようやく「中途半端さ」が抜けてきたように思います。
逆説的ではありますが、「中途半端をやめたいなら、まずは中途半端な自分を認めてあげる」ことが大切です。
「中途半端で続かない人」の心理と特徴
中途半端で続かない人の心理や特徴は、主に以下の3つです。
- 好きなこと・興味のあることが多すぎる
- 続かないクセがついている
- そもそもの目標が高すぎる
好きなこと・興味のあることが多すぎる
「ひとつのことに集中したほうが、伸びるのは早い」というのは紛れもない事実です。自分の求める結果を手に入れるためには、それ相応の「時間」と「努力」が必要になります。
それでも、勘違いして欲しくないのは、「興味のあることが多いのは、決して悪いことではない」ということです。
お金が欲しい、痩せたい、能力を高めたい、尊敬されたい──。理由はいろいろあれど、それは紛れもなく自分自身が「やりたい」と思ったことです。興味のあることです。
「夢はひとつだけ」という呪縛
子供の頃、よく周りの大人から「あなたの夢はなんですか」と聞かれませんでしたか?
僕は、将来なりたいもの、やりたいことがたくさんあったので、正直に「あれもやりたい、これもやりたい」と言っていました。しかし、大人たちはそれを「よし」としなかったんですよね。
「夢はひとつね」
「ワガママなのはダメです」
「そんなにたくさんは無理よ」
あなたも、仕方なしに「たったひとつの夢(のようなもの)」を決めてきたのではありませんか? その状況を強いられてきたのではありませんか?
別に、やりたいことは複数あったっていいんですよ。ひとつに絞らなくたって。やりたいことは全部やっていいんです。
たとえ、本や映画、他の人から聞いた話などに影響されたものだったとしても、「やりたい」と思ったのは他でもないあなた自身なのですから。
続かないクセがついている
何をやっても続かない人は、「途中でやめてしまう」というクセがついてしまっているのではないでしょうか?
「なんとなく始めて、なんとなくやめてしまう」という、言うなれば、続かないことに慣れてしまっている状態です。
しかし、僕はそれでもいいと思っています。やってみないことには、自分に合っているかどうかも分かりませんから。
ただし、間違っても「自分は何をやってもダメな人間なんだ」と思わないようにしてください。どうか「自分の可能性」を否定しないであげてください。
たくさんの諦め=たくさんのことを始めてきた=経験値が豊富
僕のように多趣味な人は、きっとこれからの人生においても興味のあることがどんどん増えていくでしょう。
あらゆることに挑戦し、挫折するたびに自己嫌悪になっていては、いくら精神ゲージがあっても足りません。
もしかすると、「こんなことなら、やらなきゃよかった」と思ってしまうこともあるかもしれません。でも、後悔を恐れていては、いつまで経っても今のままです。
「たくさんのことを諦めてきた」ということは、同時に「たくさんのことを始めてきた」ということでもあります。
人間は何かを始めようとするときに一番エネルギーを消費します。中途半端だということは、それだけ「スタートダッシュ時のパワー」がある証拠なんです。
何かを始めるたびに間違いなく経験値は増えているので、安心していろいろなことに挑戦していってください。
僕はこれまでの人生で「あのときからは始めていれば、今頃はきっと──」と何度も後悔してきました。
残念ながら、現代の科学では過去を改変することはできません。中学生だった僕の「男子がいないことを理由に『吹奏楽部』へ入らなかったときの後悔」は一生消えないのです。
セーブポイントを中学時代に置いておけばよかったのですが、どうやら僕の人生では「"今"からしか始められない仕様」に設定されているようです。
きっと、あなたの人生も同じ仕様のはずです。「自分の人生でもっとも若いのは今」です。始めましょう、今から。
そもそもの目標が高すぎる
目標が高すぎると、行動が継続できず、中途半端に終わってしまうことが多くなります。
よくあるパターンが、
- これは続けていてもお金にならない
- これ以上続けてもどうにもならない
- 上手くできないから続ける価値がない
- もっと効率のいい方法があるのではないか
- 仕事に必要なスキルだとは思えなくなってきた
のような「役に立たなきゃ意味がない思考」です。
それは本当に仕事に直結してないとダメですか? お金が稼げないとダメ? 上手くできないとやる価値がない?
理想が高いのは立派なことですし、目標を持つことは素晴らしいことです。それでも、継続できなければ意味はありません。
プロセスを楽しむ余裕を持つ
今の時代は、やけに「効率化」が神聖視されていますが、もっと肩の力を抜いて、「旅の道中を楽しむ余裕」も必要なのではないでしょうか?
たとえば、漫画「ワンピース」を例に挙げてみましょう。物語の主人公である「ルフィ」は、「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」を見つけて海賊王になることを夢見ています。
しかし、もしルフィが、
「あいつと闘ってもワンピースに近づくわけじゃないから逃げよう」
「いや、あの島に行くのは効率的じゃないから行くのはやめておこう」
なんて言っていたらストーリーとしてつまらないし、仲間にも出会っていないだろうし、たぶん全10巻で海賊王になってしまいます。
プロセスこそが旅の醍醐味であり、人生の面白い部分なのではないでしょうか?
少なくとも、「過程」を楽しめるようになれば、中途半端な自分も多少は許せるようになると思いますよ。
中途半端で続かないからこそ見えてくる可能性とは?
ここまでの話で「中途半端な自分でもいいかも」と少しでも感じてもらえたでしょうか?
まずは、中途半端な自分を認めてあげることが大切です。中途半端な自分を許すことができないと、これまでに培った経験も、スキルも、努力も、過程も「すべてゼロ」になってしまいます。
逆に言えば、中途半端で続かない自分を認めた瞬間に、すべての経験と知識は一気にあなたの味方になってくれるのです。
「中途半端な人生」を振り返る
僕の「中途半端な人生」を振り返ってみます。
- 男子がいないことを理由に吹奏楽部へ入ることを諦め、好きでもない卓球部へ入部(中学)
- 卓球に飽き、サッカー部へ転部(中学)
- 軽音楽部に入り、バンドを結成(高校)
- ふと運動がしたくなり、軽音楽部とバレー部を掛け持ち(高校)
- バンドの物販をデザインをする中でグラフィックデザインに興味が湧き、デザイン系の専門学校へ進学(専門)
- バンドに専念するため、専門学校卒業後も就職せず(フリーター)
- 「旅に出たい!」と思い、6年間続けたバンドを脱退(旅人)
- 旅の資金稼ぎのため、スキー場の住み込みリゾートバイトへ
- キャンプ用品を集め、自転車で日本一周の旅へ
- 自転車旅の途中、ふと英語の勉強がしたくなり、フィリピン・セブ島留学へ
- フィリピンへ移住し、ツアー事業を立ち上げる
- キャンピングカーでアメリカ大陸横断
- 富士山登頂
「中途半端な自分」を認められるようになったのは、上記で言う「バンドを脱退」のあたりからでしょうか。
上には書かなかったのですが、僕は「仕事」に関しても中途半端で、フリーター時代には10以上のバイトを転々としてきました。
「どうせ自分は中途半端なのだから、いっそのこと中途半端を極めてやろう」
そう思うようになってから、本当にいろいろな経験を積むことができましたし、不思議と「ひとつのこと」に集中することもできるようになっていきました。
「まるで後悔がない」といえば嘘になりますが、あるとしても、すべて「やらなかったことに対する後悔」です。
やって後悔したことといえば「真冬に氷の混じった川で滝行したこと」ぐらいですが、それも今となっては大事なトラウマ。
自分の中途半端さを認めず、何かひとつの目標を無理やりにでも決めて人生を送ってきていたら、きっとここまでいろいろな経験はできなかったでしょう。
知識と経験は「あらゆる分野」に応用可能
人生の中で体験した事柄は、すべて「活きて」います。
特定のジャンルで得た知識や経験は、他のジャンルでも十分に応用が可能です。正直、どんな経験でも「活かすか、殺すか」は自分次第なんですよね。
ただし、これは「知識と経験を活かしてやろう」というスタンスではなく、あくまで「あれ、いつの間にか過去の知識と経験が役に立っているなあ」という実感です。
いわば、点と点がつながって線になっていく、という感覚でしょうか。
「中途半端さ」は弱点ではない
「中途半端」と言うから何か悪い意味のように思えてしまうだけであって、興味が多いことは決して悪いことではありません。
「ひとつのことを突き詰めてきた人はないメリット」を、僕ら「中途半端ーズ」は持っているのです。
それは、知識や経験であったり、初めてのことを習得するまでのスピードだったり、物の考え方だったり、美しいと思える物の数であったり、さまざまです。
興味のあることが多いということは、この世にある多くのものを「素敵だ」「美しい」「面白そう」と思えるセンスがあるということです。
「時間は有限なのだから、他のことにかまけている時間はない」
という見方があるのなら、
「時間は有限なのだから、ひとつのことにかまけている時間はない」
という見方があってもいいのではないでしょうか?
「中途半端」からの脱却方法は?
とはいえ、やはり「中途半端な自分を変えたい」と思う人もいるでしょう。
「中途半端な自分」を認めることさえできれば、いつでも「中途半端」から脱却することは可能です。
「"本当に"自分の好きなこと」を見つける
「本当に」というキーワードは、一度すべてをぶっ壊し、自分の心の奥底に眠っている答えを引き戻す「魔法の言葉」です。
興味があちこちに散らばって悩んでしまったときは、「本当に自分の好きなことはなんだろう?」と自分に問いかけてみてください。
きっと、どれだけ道に迷ったとしても、「本当に自分の好きなこと」は残っていきます。
好きでもないことを続けることは難しく、心のどこかでメリットを感じていない行動は継続できません。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、まずは自分の「好き」を追求してみましょう。
お金や時間をいくらかけてきただとか、仕事のためにならないとか、そういうのはいったん抜きにして考えることがコツです。
継続には「細かい目標設定」を
継続していくために必要なことは、具体的な目標を持つこと、そして自分が達成できそうなゴールを設定することです。
- 目標を「これでもか」というほど細分化する
- 同じ目標に対して「最高目標」と「最低目標」の2つを設ける
たとえば、「一日2時間はブログを書く」という「最高目標」があったとしましょう。
しかし、日によっては急に予定が入ってきたり、疲れてたりして作業時間の確保が難しいことがありますよね。
そういったイレギュラーな事態に備えて「15分でもいいからブログを書く」という「最低目標」を設けておくと、継続が途切れにくくなります。
最低目標すら守れないときのため、「ブログの運営に関する記事を"5つ"ストックしておく」といった「保健目標」を持っておくのもよいでしょう。
とにかく、一日のうちに少しでも「継続したい事柄」に関する情報収集や行動に時間を割いておくのです。
毎日数分でも続けておけば、もし「3日坊主」になってしまっても、継続を復帰するまでの時間が短くなります。
「自分に甘すぎるのでは?」と思っても、とにかく続けることが一番大事です。目標を紙に書き出しておくのも有効ですよ。
脳科学的に正しい「習慣化のコツ」は?
『脳科学的に正しい「習慣化のコツ」を徹底解説!習慣を味方にする方法とは?』では、物事を継続するコツを詳しく解説しています。
中途半端で三日坊主だった僕も、この記事に書いてあることを実践し、今では「複数の行動の習慣化」にも成功しました。
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