28歳男性フリーランスがうつ病&PTSDになった原因かもしれないもの

2021年4月にうつ病、同年7月にPTSD(心的外傷後ストレス障害=トラウマ)が発覚した28歳男性フリーランスの者です。

うつ病&PTSDになってしまった原因と思われる事柄を、28年の人生から時系列で紐解いていきます。

特に精神的に苦しかった出来事のみ書いていくので、場合によっては閲覧注意でお願いします。長文なので、小説を読む感覚で読んでいただければ幸いです。

幼少期:宗教教義の刷り込み

母親が某キリスト教系宗教の熱心な信者のため、幼少期から宗教教義の刷り込みがありました。

教育方針も割と宗教色が強く、僕の精神が捻れに捻れ、人類および現代社会のあらゆるものに関して斜に構えるような見方をするようになったそもそもの原因です。

週に3回の礼拝──集会のようなものがあり、とにかくそれに行きたくなかった。──が、そんなワガママを許される訳もなく、ただ親の言いなりを守り、表では良い顔をする毎日が淡々と続く。

カウンセラー曰く、幼少期にこのような宗教色の強い教育があると、一般的な人に比べ偏った感覚や考え方が植え付けられ、精神発達の領域に重大な悪影響が及ぶ可能性があるとのこと。もう本当にその通り。

しかし、親を恨んでいるわけではないです。宗教に頼らざるを得ない状況にあったことも理解できるし、大人になってからは僕の「宗教になぞ興味はない」という意見を認めてくれるようになったから。といっても当時の教育が今の考え方に根強く関わっていることは間違いありません。

中学時代:いじめ

そんな幼少期を過ごし、まともに育つわけがない。家では良い子ちゃんを演じ、その鬱憤を学校で晴らすような小学校時代を過ごしていたように思います。

そのツケが中学校で廻ってきたかな、という印象。暴力的なものはなかったものの、約3年間に渡り陰口や変なあだ名、無視、仲間はずれなどの「いじめ」がありました。

それに加え、例の宗教の集まりに行きたくないあまり、入りたくもない部活動に所属──学校も家も自分が落ち着ける場所は本当になかった。

いじめの中心人物たちはいわゆるスクールカースト上位にいるサッカー部たちだったのですが、よりにもよって僕が所属していたのもサッカー部。まさに現実は小説よりも奇なり。

高校時代:高校デビュー

嫌な記憶ではないですが、今後の人生に大きな影響を与える伏線でもあるのでさらっと触れておきます。

高校生になり、見事高校デビュー。髪をオレンジ色に染め、親に反抗、挙げ句、バンドを始めた頃です。

専門学校:友人の死&全国区の音楽コンテストでグランプリ

バンドを続け、音楽系かデザイン系で迷った結果、デザイン系の専門学校へ進学。

「俺はロッカーだから音楽に関して人に教わることなどない」というあまりに痛々しい理由からの進路です。

表向きは親に対して「バンドはそこそこに、将来はちゃんと就職するよ」というアピールも込められていました。

そして在学中、学校で特に仲の良かったグループの男友達Kが突然の自殺。もともとうつ病でそこに失恋が重なった結果らしいです。

あまりにショックでそんなに泣けもしなかった。Kとは将来の夢を語り合うぐらいの仲だったので、僕はそのショックを音楽に打ち込むことにしたのです。

そんなこんなで全国区の音楽コンテストにて、1万組の中から見事グランプリを受賞。このままメジャーデビュー行けるか、と思ったが──。

20歳-:メジャーデビューならず

結果、メジャーデビューならず。テレビやラジオ、某大手携帯電話会社など少なからずメディア露出はあったものの、声をかけてくれる事務所がなかったんですね。

これも自分の中ではけっこうな挫折に入っているのかもしれません。高校時代から数えて7年ほどのバンドマン活動に終止符を打った時期でもあります。

友人の死と友人の死

このあたりで立て続けに友人を二人亡くします。どちらも女の子ですが、一人は末期がん、一人は自殺で。

正直なことを言えば、前者Hは僕の想い人だった人、そしてもう一人のMは元カノです。

Hは僕と二人で食事に行って2ヶ月後に、Mは僕がデートに誘ってOKをもらった2週間後に。

特にMに関しては僕が少なからずストレスを与えて、そんな決断の一端を担ってしまったのではないかという罪悪感が今も拭えない。

二人とも未だに夢に出てくるので、そのこともあり精神を病んでしまったのかもしれません。言わずもがな、このあたりから恋愛恐怖症。

逃避、逃避、逃避

すべてが嫌になり、もう半ば自殺願望引っ提げて現実逃避フェーズに入ります。

まず雪国のスキー場にリゾートバイト、それから自転車で日本一周、急に英語が喋りたくなりセブ島に留学、その後フィリピンに移住、ツアー会社を立ち上げました。

文字通り「死ぬ気で」いろいろやってみた結果、たまたま成功続きだった時代です。

このあたりでも詐欺にあったり、財布やスマホを盗まれたり、手持ちのカメラ類が全破損したり、水死体を見たりとショッキングな出来事が続きます。

車の事故

調子に乗ってハワイでオープンカーを乗り回していたら、あわや衝突事故になりそうな瞬間がありました。

その後、キャンピングカーでアメリカ大陸を横断中、次は本当に車を破損。壁から突き出した岩に車を当ててしまったという単身事故ですが、これがきっかけで「車こわい」になりました。

車の修理代をそのときの大陸横断メンバーで割り勘にしてもらったので、その申し訳なさも大きい、未だに事故のことを引き摺っていて、帰国後は一度も車の運転してません。

コロナ禍により事業経営不振

新型コロナウイルスの影響により、フィリピンのツアー会社は閉業に追い込まれ、これまで収入面での頼みの綱だったブログの売り上げも激減。

医師曰く、このあたりの仕事──収入面での出来事も今回のうつ病に影響しているとのこと。さらに28歳で実家暮らし、ニート、独身という属性がさらに精神へのダメージを促進するゥ!!!!

ムカデ

2020年とある夏の夜──ふと顔面に違和感を感じ、夜中に目が醒めた。顔にそっと手を当ててみると何やら蠢くものが。

嫌な予感がしてバッと"何か"を手で払い除け、すぐさま部屋の明かりをつけると──。

見た瞬間にこれは人類の敵だと本能的に察知できる見事なフォルム。現代に現れた生けるゲルニカ。怪しいほどに艶かしく映えるオレンジ色の頭部と尾。

そこにいたのは、ムカデだった。つい今の今まで顔面に20cm強のムカデが張り付いていた。

──そういえば聞いたことがある。人は一生のうちに数回は寝ているうちにクモなどの害虫を飲み込んでいる、と。虫たちは口内の唾液を求めて顔面近くにやってくる、と。

そのままそっと部屋を後にし、家にあったゴキジェットまで全力で疾走、ロンギヌスの槍を手にした僕は再び自室へと舞い戻った。

「よし、まだいるな」

床にじっと張り付いていたムカデはいつの間にか枕の上に移動していた。こちらの様子を伺っているのか、じっと動かない。

噴射口の向きを入念に確認し、標的めがけてロンギヌスの槍が炸裂する──。走る! 走れ、メロス! うわあああああ!!!!!

スーパーボールを彷彿とさせるような物凄い俊敏さで地面を這いずりまわるムカデ。

ガルマ、死す! どこでもドア~! メメタァ! バルス! 松田ァ~誰を撃ってるゥゥゥ!

絶叫したい気持ちを必死で抑えている傍ら、頭の中ではある種、走馬灯のような謎の映像が流れる。半狂乱しながらゴキジェット片手に部屋の中を乱舞するいい歳したオトナ。

「もう少しでヤツを、ヤツを仕留められる──!」

そう思った矢先、ロンギヌスの槍は永遠に沈黙(液切れ)し、第13の使徒(ムカデ)は部屋の壁の下にあるわずかな隙間に姿を消した──。

そう、ヤツは"ここから"入ってきたのだ。ならば当然、出ていくときも"ここから"なのだ。

姿を見失ったからも懸命に隙間目掛けてロンギヌスをトランスミッションするのだが、出てくるのは虚しくみすぼらしい音と埼玉のマイナスイオンのみ。

言わずもがな、この日から睡眠の質は著しく落ちた。ゴム製の液体で部屋の壁じゅうの隙間を埋めた。くそう、欠陥住宅だこれはァ

まとめ

なぜかムカデの下りが一番長くなったしまいましたが、事実、この1件があってからより悪夢の頻度が上がり、また虫に関する内容も増えてきたように感じます。

自分としては今までの人生で味わったすべてのショッキングな出来事でいっぱいいっぱいになっていたコップに、ムカデがタイミングよくトドメを刺したような結果になってしまったのでしょう。

まあざっくりとではありますが、以上が僕がうつ病&PTSDを発症した原因と思われるものの一覧でした。

特に大きな要因と言えるのが宗教、いじめ、そして友人たちの死、でしょうか。細かく言えばもっとありますが、すべて挙げているとキリがないのでこの辺にしておきます。


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