最近、ゆとり世代の若者たちに増えてきたと言われている「夢を持たない人たち」。
"持たない"というよりかは、"持てない"と言った方がニュアンスとしては近いのかもしれませんが。
きっと、あれでしょう?自分が何を求めていて、何がしたくて、でも何ができるのかわからない、みたいな。
夢を持ちたいのに、なぜかやりたいことが見つからない、わからない。
なぁなぁに生きている今の状況がどうにも気に食わない。
それでも、特にやりたいこともないからこのままでいいか、という「もやもや感」。
『君、絶望してる?』
こんな問いを引っさげて、ぶらり江ノ島旅行に行ってきました。
夢がないのは当たり前
↑江ノ島の海で遊ぶ親子2人を見てぼーっと過ごす。たまにはこういうのもいい。
夢があるからって別に偉いわけじゃない。夢を持っていないからって、それを気にすること自体がおかしい。
こんなご時世で、必死に夢を追いかけてそこに全力投球できるような人こそ珍しい。きっと、それはそれで幸せなことなんでしょうけどね。
今のゆとり世代って人たちは、"良い意味でも悪い意味でも現実が見えている"んじゃないでしょうか。
人とあまり関わりを持たないのも、自分の意見をハッキリ言わないのも、すべては自分を守るため。
そっちの方が楽だし、生活に支障がないなら別に喋らなくてもいい。なんならLINEでいい、とかね。
今どき、愛の告白だって、仕事やバイト辞めるのだって、LINEで済ませちゃうギャグ漫画のような人たちも出現し始めたって話じゃないですか。
もう、これゆとりっていうか人間としてどーなのよ、ってレベル。
今の日本の教育は、ここまで大事な何かが欠けてしまってるってこと。
え、それとも僕がおじさんなだけ?
http://koicure.com/renai/336.html
ゲームとか漫画とかアニメとかのせいにするのは結構なことですが、そもそもの人格を作るのは結局、"教育"。
かといってすべてを教育のせいにするわけではありませんが、きっと、ネットの普及などで精神が異常に発達した今の若者たちに、日本の社会体制なんかが追いついていない状況なんでしょうね。知らんけど。
小学生のときに書かされた「将来の夢」
小学生の頃、作文でよく書かされませんでした?「将来の夢」っていうタイトルで。
夢を持つことは大切です。大事なことです。きっと人生に輝きが生まれます。
それでも僕はその時間が嫌いでした。
だって、その将来の夢さえ他人にコントロールされているんですもん。
ああいうところで書かされる将来の夢って、基本一つじゃないですか。
やりたいことは誰しもたくさんあるはずなのに、なんで将来の夢は一つしか選ばせてくれないのでしょうね。
仕事だってそうです。僕は色々な仕事がやりたいのに、将来就きたい職業は一つしか選ばせてくれない。そんなのつまらない。
「将来は立派なサラリーマンになりたい!」って書いたら「もっと夢を持て」って言うし、「年収100億の社長」って書いたら「現実見ろ」でしょ? アホじゃない?
僕なんて、毎年変わってましたよ。将来の夢。
オリンピック選手だったり、調理人だったり、弁護士だったり、警察官だったり、消防士だったり。
↑釣りしてる人がたくさんいましたー。フジツボもたくさんでした……。
最近まで売れないバンドマンやってたぐらいですから、「夢を追いかけている人の現実」ってやつを痛いぐらい見てきております。
このご時世、40代フリーター実家暮らしなんてザラにいます。
別にそれを不幸だとも、可哀想だとも、僕は思いません。むしろ、それはある意味で幸せな生き方なのかもしれません。
ホント、漫画や小説みたいに人生上手くはいかないです。
それでも、望まないと幸運はやってこない。
ただ、『宝くじは買わなきゃ当たんねーだろ!』という盾を片手に、自分のすべての行動を正当化しちゃうような人は嫌いです。
確かに、宝くじは買わなきゃ当たりません。
でも、だからってすべての人にそれを押し付けるのは違うと思うのです。
しかも、『案外、人生は上手くいく』。
これを本気で心の底から思ってる人と、自分を騙し騙し思ってる人では雲泥の差が生まれます。
「頭の隅から隅までお花畑」はそれはそれで困りますが、ある程度お花畑の方が幸せ。自分に嘘はつかずに、現実を見据えて、自信を持って生きる。
とても難しいことだとは思うんですが、とても大事なこと。
「夢を持つ」という概念を捨てた
↑願い事を祈りながら手を叩いて、龍の目が光ると願いが叶うらしい。光りませんでした。
たった一つの夢ならそんなの要りません。
夢って、もっと自由なものじゃありませんでした?
もともとカテゴライズされているものの中から選ぶだけなんて、それこそちょっと夢がないです。
「僕の夢はこれ!」って自信満々に言える人は素直にすごいと思います。心の底から尊敬します。
僕の場合、夢っていうと少し敬遠しちゃいますね。プレッシャーを感じてしまうというか、息苦しく感じてしまうというか。
「夢」ってだけで遠く感じちゃうんですよ。
だから僕はそれを捨てました。
夢っていう言葉に自分の夢を縛られてしまうぐらいなら、それをいっそ捨ててしまおう、と。
夢という言葉にプレッシャーを感じてしまうのならば、いっそそれごと捨ててしまおう、と。
夢に振り回されるぐらいなら、夢なんて捨てちゃったほうが楽になる。
「やりたいこと」にランクダウンさせる
↑しらす丼のハーフ&ハーフ。超絶美味かった。
夢、はやめましょう。夢からただの「やりたいこと」にランクダウンさせましょう。
きっと、こんなご時世じゃ夢って言葉を発しただけで脳が自動的にリミッターかけちゃうんですよ。「いやいや!そんなの無理だって!もっと現実見ようよ!」って。
だから、その脳すらも騙す。
「やりたいこと」っていうと途端にドバドバ出てきませんか?
『えー、これで飯食っていけるのー?』という不安を感じても、自分の中から出てきた"欲"を敏感にキャッチすべきなんです。
夢を持てないってのはある意味「自分の欲に対して麻痺状態にある」ということでもあると思うので、少しずつ少しずつ自分の欲を受け入れていくんです。
きっと、そうしていくうちに漠然と「自分の夢」が見つかるはず。
そして、そのときにはもう「夢」に対してプレッシャーは感じていないはず。
『なーんだ。夢って"やりたいこと"の延長線上にあるものなのか』って。
言葉で言われるのと、自分で気づくのは全く違う。その瞬間はきっと自分でわかります。「あー、これか」ってね。
まとめ
↑スマートボールなんて初めてやったよ……。
食べたいものを、美味しいものを、食べる。きれいな景色を見る。素敵な場所に行く。会いたい人に会いに行く。大切な人に会いに行く。
これができたら人生幸せなんじゃないかなと思います。というかこれがすべてです。
そして、その体験を誰かと共有することでまたその幸福度はグンっとアップするはず。
「夢がない」なんて悩むよりも、美味しいものを食べに行こう。江ノ島に行こう。
夢なんて捨てちゃおう。そのうち勝手に見つかるさ。