刑罰は「復讐の代行」ではない。司法における求刑や刑罰の目的とは

僕らが暮らしている社会では、法律が僕らの生活を守ってくれています。

もし誰かが法律を破った場合、その人には「裁判」でどのような罰が適切かを決める必要があります。

このとき、検察官が「このくらいの罰を与えてや」と裁判官に伝えるのが「求刑」です。

一方、裁判所が最終的に判決で言い渡す実際の処罰を「刑罰」と言います。

では、この「求刑」や「刑罰」は、どんな目的で行われるのでしょうか?

刑罰の目的とは何か

1.更生

刑罰の一つの目的は、法律を破ってしまった人が「再び犯罪を犯さないようにする」ことです。

これは「更生主義」と呼ばれ、犯罪を犯した人が自分の行動を反省し、社会で真面目に生きていけるようにサポートすることが大事だという考え方です。

2.抑止

もう一つの目的は「抑止」です。これは、刑罰を与えることで、他の人が「こんなことをすると罰を受けるのだ」と思い、犯罪を思いとどまることを狙っています。

つまり、犯罪が増えないようにするための役割も刑罰にはあるのです。

3.社会秩序を守る

社会が平和に機能するためには、皆がルールを守る必要があります。

もし誰かがルールを破った場合、その行為が何の罰もなく許されてしまうと、他の人も安心して暮らすことができません。

そのため、法律に基づいて犯罪者に罰を与えることで、他の市民が安心して生活できる環境を整え、違法行為が繰り返されることを防ぎます。

これにより、社会の安全と公平性が確保され、公共の秩序が維持されるのです。

復讐と刑罰の違い

よく勘違いされがちですが、刑罰は「復讐」をするためのものではありません。

例えば、被害者やその家族が犯人に怒りを感じることは自然ですが、刑罰はあくまで冷静に法に基づいて決定されます。

刑罰は「犯罪に対する責任を取らせる」という意味で行われますが、それは個人の復讐を代行しているわけではなく、社会全体のルールを守るためのものです。

日本や先進国での刑罰思想

更生主義が重視される国々

多くの先進国では、「更生主義」が重視されています。

例えば、ヨーロッパの国々や日本もこの考え方を大切にしています。

犯罪者を厳しく罰するだけでなく、社会復帰を支援し、もう一度、真面目に生きていく手助けをする──ということですね。

応報主義が根強い国々

一方で、アメリカなどの一部の国では「応報主義」も重視されます。応報主義は「犯した罪に見合う罰を与えるべきだ」という考え方です。

特に凶悪犯罪に対しては、厳しい刑罰を求める声が多いです。ただし、アメリカでも州ごとに違いがあり、更生を重視する州もあります。

日本の状況

日本では、どちらかというと「更生主義」が主流ですが、社会秩序を守るために刑罰の「抑止」も大切にされています。

また、凶悪犯罪に対しては応報主義的な要素もありますが、基本的には犯罪者の更生を目指すアプローチが重視されます。

法実証主義とは何か

「法実証主義」は「法律は人間が作ったルールに基づいて動くべきだ」という考え方です。

つまり、個人の感情や恣意的な判断ではなく、法律という明文化された社会の合意に基づいて公平な裁判が行われるべきだ──ということ。

これにより、裁判の透明性が保たれ、不公平な処罰や偏見に基づく判断を避けることができます。

法実証主義の背景と歴史的文脈

法実証主義は、18世紀から19世紀にかけて発展した思想であり、特にドイツの法学者ハンス・ケルゼンによって理論化されました。

この思想は、法を客観的かつ論理的な規範として扱い、人間の感情や道徳とは切り離すことを主張します。

これによって、法律がより一貫性を持ち、公平であることを保証しようとするものでした。

この考え方は、啓蒙時代の思想に大きな影響を受けており、特に人間の理性を重んじる思想から生まれました。

それ以前の時代では、法律はしばしば宗教的な道徳や君主の意思によって左右されていましたが、法実証主義はそのような主観的な影響を排除し、誰もが従うべき客観的な規則としての法を追求しました。

法実証主義を実現している国

ドイツやフランスなどのヨーロッパの国々では、この「法実証主義」が重要視されています。

例えば、ドイツの法体系は法実証主義に基づいて非常に厳密に構築されており、判例よりも法律の文言そのものが優先されます。

また、フランスのナポレオン法典も同様に法実証主義の影響を受けており、法律の明文化とその適用が重視されています。

日本もこの考え方を取り入れていて、裁判はあくまで法律に基づいて行われます。

まとめ

求刑や刑罰の目的は、単に犯罪者を罰するためだけではありません。更生させることで再犯を防ぎ、社会全体の安全を守る役割も果たしています。

日本では更生主義が重視されていますが、厳しい刑罰を求める声もあるのが現実です。

人々が暮らす社会が安全で秩序を保つためには、法によって適切に裁かれ、統制される仕組みが重要と言えるでしょう。

ユートピアの実現は可能なのか?ルソーの社会契約論から考える

社会で演じる「役割」に飲まれると人は疲弊する

“自分は何者か”を強制されるSNSの中で感じる違和感